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口パク拒否、規格外の6分…クイーン映画「応援上映」に涙する
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映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開を記念して、観客が一緒に歌ったり、リズムを取ったりできる「応援上映」が11月9日夜、東京・日比谷で行われました。口パクを拒否し、ヒット作の手法に背を向けるメンバー。そして、ライブ直前に告白したエイズ・ウィルスへの感染。観客たちが涙を流しながら味わった「応援上映」から、フレディが駆け抜けた時代を考えます。
東京宝塚劇場があるビルの地下にあるTOHOシネマズ日比谷の12スクリーン。
フレディ・マーキュリーのような口ひげをつけた女性やメンバーの顔写真を貼ったお面、そして記念のTシャツに身を包んだ人たちが少しずつ、集まってきました。アラフィフ世代が目立ちます。
上映される映画自体が、画面下に英語の歌詞がカラオケのように入っているもので、もちろん日本語訳も右側に表示されます。
上映前イベントのMCは、「何回、お母さんと英語で言ってもいいです」。
そう、「Mama, ooh」。
映画のタイトルにもなった「Bohemian Rhapsody」(ボヘミアン・ラプソディ)を歌うフレディと一緒に叫んでもいいと……。
そんな時、ホールに流れたのは、「We Will Rock You」(ウィ・ウィル・ロック・ユー)。
MCの合図に合わせて、みんなが足踏みと手拍子でドン・ドン・パッとリズムをとっていきます。
ライブに来たような感覚になっていき、ボルテージはだんだん上昇していきます。
「EEEEEOOOOOO……」
ライブ・エイドのコールアンドレスポンスを思い出した人も多かったと思います。ファンも参加する、そんなスタイルを導きだしたのも、「Queen」(クイーン)でした。
映画の冒頭から「Somebody To Love」。それも、20世紀最大のチャリティーライブ、ライブ・エイドでのステージでした。
ただ、ロンドンの空港で荷物の仕分けをしていたフレディや、ライブハウスでフレディやロジャーらが出会うシーンに入っていくと、応援上映は一変して、静まりかえりました。
周囲を見回すと、今度は、映画のストーリーに引き込まれている感じです。
なべややかんをたたいたり、ドラムの上にコインをばらまいて音を出したり……。
音作りにこだわり、デジタル時代と違って格段に難しかった音を何度も重ねて録音する姿は、ファンにとって、いとおしさを感じさせてくれます。
「俺は誰よりも規格外だからね」
映画の中のフレディが言っていました。
フレディが亡くなった後に生まれた世代でも、曲が流れれば、「ああ、知っている」と言われるほど、時代を超越したバンド、クイーン。
メジャーであり、手の届かない存在と思ってしまいがちです。
でもフレディは映画の中で自分たちのことを「みんな部屋の片隅でひざを抱えていて、居場所がない。音楽が居場所だ」と話します。
同時代を生きてきたファンだけでなく、今の10代でも、20代でも、同じような光景が頭に浮かんできませんか。家で、学校で、会社で……。
アルバムを作って、少しメジャーになったクイーンが、BBCに出演して曲を披露するシーンがあります。
BBCの方針で、口パクを求められ、反発をしているシーンがあります。放送局は、ハプニングを避ける意味からでしょうし、慣習だったのでしょう。
音楽番組は日本にもあります。今、どうなっているのか、と考えてしまいました。
6分。
これは「Bohemian Rhapsody」の曲の長さです。
ラジオは3分以上の曲を流さない、前回作としてヒットした「Killer Queen」(キラー・クイーン)と同じような曲を作ってくれないか……。
そんな要求をはねのける4人が生み出したのが、6分の長さがある「Bohemian Rhapsody」です。
「僕らは同じ手法を何度も繰り返さない」
こんな言葉を聞くと、どんなビジネスでもヒットのつぼをつかんで類似の手法を繰り返すことを狙う今のような時代に生きる私たちからすると、リスクを恐れない、革命的なチャレンジを繰り返す姿勢、スタイルに、リスペクトを感じ、共感の輪に引き込まれていきます。
6分の曲を作り、ダメだと言われているラジオ局に持ち込み、生放送で独占オンエアを即決させる手法。
強引ともとれますが、それがあったからこそ、今もみんなの耳に残る曲として残ったのかもしれません。
「愛してる、メアリー。でも自由が欲しい」
「君と生きて行きたい」
「信じ合ってるだろう」
フレディは長年の恋人だったメアリーに語りかけるものの、指輪を外すメアリーのシーンは、切なさのピークです。
フレディを中心としたクイーンの姿に、応援上映として駆け付けた人たちでも、音一つ無く、見入ってしまう瞬間が何度も訪れました。
そんな映画館の聴衆のハートに再び火を付けたのが、「We Will Rock You」でした。
ファンと一体化する、あのドン・ドン・パッという足踏みと手拍子によるリズムです。ライブシーンが流れ、映画館の聴衆も、再びライブに引き込まれていきます。
もう、このころから、涙があふれてきました。
4人はメアリーの仲立ちでライブ・エイドを機会に再び家族としてバンド活動を再開させます。しかし、本番1週間前になっても、フレディの声は調子が上がりません。
その責任を一身に抱え込みつつ、フレディが3人にだけ、エイズ・ウィルスに感染していることをカミングアウトします。
「残された時間で音楽をつくる。これが俺の望みだ」
「俺が何者かは俺が決める」
フレディのとても重い言葉です。そして4人だけの秘密にしておくことを望みます。
3人も、涙ぐみながら、声をかけます。
「お前は伝説だ。俺たち全員のね……」
4人は肩や腰に手を回して抱き合います。
この原稿を書きながら、また涙が出てきました。
1985年7月13日、ライブ・エイド。
ステージ裏から出て行くシーンに、映画館の映像が切り替わると、「ウォー」というリアルな声と、スピーカーから流れるフィルムの音声が重なりました。
「Bohemian Rhapsody」
「Radio Ga Ga」(レディオ・ガ・ガ)
「Hammer To Fall」(ハマー・トゥ・フォール)
「We Are the Champions」(ウィー・アー・ザ・チャンピオン)
ステージからテレビで見ている母親への投げキス。スタジアムで見ていたメアリーの涙。
こんなシーンが挟み込まれ、フレディはウェンブリー・スタジアムの聴衆に、「お別れだ。愛してる」と言って去っていきます……。
ライブ・エイドで演奏した曲の歌詞が、映画のメッセージともつながり、ライブ感覚を持ちつつ、さらに涙が止まらなくなる、こんな感じでした。
「Don't Stop Me Now」(ドント・ストップ・ミー・ナウ)
そして画面はその後のフレディを伝える写真に切り替わります。
エンドロールで流れたのは、「The Show Must Go On」(ショウ・マスト・ゴー・オン)でした。
この映画は、見る人によって色々な見方があるでしょうし、感じ方があると思います。
また、音楽をベースとした映画だけに、一緒に歌ったり、コールできたりする「応援上映」は爽快感があり、改めて映画のマナーって何だろうと考えてしまいました。再び「応援上映」があれば駆け付けたい、そんな気分です。
古いファンからすると、「8割は事実」「批判された、アパルトヘイトの南アフリカでのライブはなぜないの?」「細かいところがちょっと違うね」といった声もあるでしょう。
ただ、クイーンファンの1人は、この映画を見た後、こう言っていました。
「フィクションでいい。フィクションでしか伝えられないこともあるから」
この映画を見てどう感じたのか、クイーンについて、フレディについて、そしてこの映画が問いかけているテーマについて、みなさんなりの感想、意見を投稿してください。
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