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「愉快さサザエさん級」! 発達障害の親子、日々笑顔のコツ
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スーパーで財布を出そうとして出てきたのはシステム手帳。携帯電話のつもりがテレビのリモコン。支払いをうっかり忘れるので年に2~3回ガスが止まり、口座引き落としにしようと思いつつそれも忘れてしまう――。10年前に広汎性(こうはんせい)発達障害と診断された元村祐子さん(48)の日常は、本人いわく「サザエさんばりの愉快な毎日!」。でも、そうやって笑えるようになるまでには時間がかかったそうです。元村さんはどうやって自分の障害と向き合ってきたのでしょう。
元村さんはとにかくよく笑います。「また間違えたー! アハハ」「こんなことあるー? ギャハハ」。大抵自分のミスや思い違いを笑っているのですが、昔からそうだったのでしょうか。
「昔は『口から先に生まれてきた』ってよう言われて。とにかくおしゃべりな子やったんですよ」と話す元村さん。運動は苦手で1人遊びや本を読むことが大好きだったそうです。中でも一番好きな本は「国語辞典」。記憶力が良く勉強はいつもトップクラス。「絵もうまくて写生で賞を取ったこともありました」
一方、おしゃべりだけど思っていることをうまく言えないなどコミュニケーションでつまずくこともあったそうです。中学2年の時には「何がきっかけかは覚えてないけど、同じ学年の不良からリンチされて、気がついたら精神科に入院していたこともありました。何で精神科やったのか? 今もよくわかりません」。
高校卒業後、最初に就いた仕事はバスガイド。持ち前の記憶力の良さを生かしてバリバリ仕事をしていましたが、頑張り過ぎて体調を崩し1年で転職。飲食店などを経て29歳で准看護師になりましたが、病院も転々としたそうです。転職の数はなんと11回。
「一番の理由は人間関係。とにかく仕事が覚えられないというか、耳で聞いたことを覚えられない。書いたり読んだりしたことは覚えられるけど、その場で指示されたことはすぐに忘れるんですね。やることも遅い。同僚から『手を抜いてる』『やる気がない』と思われて、少しずつ空気が険悪になって辞めるというパターンが多かったです」
冒頭書いたような生活でのミスも多く、「なんでみんなができることが私にはできへんのやろう」とうつ病になったこともあったそう。
そんな元村さんが広汎性発達障害と診断されたのは、現役の准看護師だった38歳の時。当時小学4年生だった次男が発達障害と診断され、親の会などで症状を学ぶうち、「あれ? 私もあてはまる」と思ったのがきっかけだったそうです。
診断はすぐに出ました。同じころ当時小学3年の長女が、やがて保育園児だった三男も、相次いで発達障害と診断されました。「4人生んで3人も。どうやって生きていけばいいんやろう」。3日間、ふとんの中で泣いたそうです。「紙切れ1枚で突然、障害者の親にはなれなかった」
それは自分自身も同じでした。元村さんが障害者手帳を取得するまで、診断から1年かかったそうです。「今まで失敗しながらも何とか普通にやってきた。頑張ったら『障害者』じゃなくてこのままなんとか『こっち側』でやっていけるんじゃないかと思ったんですね」
元村さんの心をほぐしたのは、親の会のメンバーなど同じ状況の仲間たちでした。2013年には、発達障害と診断された当事者とともに自助グループ「UnBalance」を設立。定期的に当事者会や親の会を開き、臨床心理士も交えて情報交換をするようになりました。つらいことや苦しいことを語り合ううち、「それ私も!」「よくある!」と仲間同士で「発達障害あるある」を共有。少しずつ笑顔を取り戻していきました。
物忘れはしょっちゅうありますが、同じく発達障害の子を持つメンバーが元村さんの事務やスケジュール管理をこなし、学校の先生も重要な連絡は手紙でなく電話でしてくれます。「親も子どもも発達障害やからみんなめっちゃ助けてくれるんです。ほんまありがたい」
周囲に感謝の言葉を繰り返すうち、「『できないこと』より『できること』に目を向けられるようになった」と言います。「できないことはたくさんあるけれど、サポートしてもらえたらこんなに自分らしく生きられる。何年もかかってやっと、自分を受け入れられるようになりました」
我が子の診断をためらうお母さんからの相談をよく受けるそうです。「気持ちはようわかる。私もそうやったから。けど、早いうちから適切な支援を受けることが大事です」
3歳で診断を受けた三男はクラスの保育士を基準より増やしてもらうなど、様々な支援を受けて育ちました。障害のある自分を受け入れ、大切にする豊かな感情を持って育っているそうです。現在小学6年生。失敗しても自分を責めず、趣味のボイスパーカッションでプロと肩を並べて演奏するほどの腕前を持ち、テレビ出演も果たしました。今春高校を卒業した次男は自由な生活を謳歌中。アルバイトをしながら大学に進学するかどうか考え、長女も高校生活を満喫しているそうです。
「幼い時に支援を受けられずに大人になって発達障害と診断された人って、就職はもちろん自立した生活を送ることも難しい人が少なくない。お母さんが今目をつぶっていたら、結果的に子どもにとっても家族にとってもしんどい状況がずっと続く」
「しっかりケアを受ければ明らかに子どもは豊かに育ちます。できること、できないことを自分で受け入れられたら、大人になって働くことだってできる」
発達障害だけでなく、2年前からは体や心の様々な障害を知ってもらうイベント「バリフェス」にも取り組んでいます。今年は今月27日に大阪市内で開催。障害者が自分の現状を「プレゼンテーション」する舞台や、聴覚障害を持つ人たちによる手話コントなどが予定されています。
「今年で3回目ですが、とにかくめっちゃ笑えるイベントです。発達障害の写真家さんも来てくれるんですが、まぁ彼の失敗談の面白いこと」
「来てくださる方には、例えば高次脳機能障害、統合失調症の子が『僕こないだこんな失敗しちゃって』という話を聞いたら、『まあ大変ですね』と気の毒に思うんじゃなくて、『マジかー!』と笑ってほしい。障害を知って、違いを楽しむことで差別や偏見がなくなっていくと思うから」
違いを理解して、楽しむ。それは障害のあるなしだけでなく、人と人が関わって生きていく上で大事なことなのだと、感じる言葉でした。
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