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いじめ加害者を演じてわかる「楽しさ」 自分の中の悪い人と向き合う
いじめの加害者になったことは、ありますか。たとえば「演技」の世界で加害者になってみたら、何が見えてくるのでしょう。いじめ加害者を描く映画「許された子どもたち」を制作中の内藤瑛亮さんと、女優として様々な役を演じつつ、いじめについても発信を続ける春名風花さんに、対談してもらいました。
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いじめの加害者になったことは、ありますか。たとえば「演技」の世界で加害者になってみたら、何が見えてくるのでしょう。いじめ加害者を描く映画「許された子どもたち」を制作中の内藤瑛亮さんと、女優として様々な役を演じつつ、いじめについても発信を続ける春名風花さんに、対談してもらいました。
あなたは、いじめの加害者になったことは、ありますか。たとえば「演技」の世界で加害者になってみたら、何が見えてくるのでしょう。いじめ加害者を描く映画「許された子どもたち」を制作中の内藤瑛亮さんと、女優として様々な役を演じつつ、いじめについても発信を続ける春名風花さんに、対談してもらいました。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美)
内藤さん、春名さん、おふたりとも「是非、対談してみたい」と二つ返事で受けてくれました。
対談の冒頭、内藤さんが、まず映像を見せてくれました。
内藤さんが実施した「いじめロールプレイング」というワークショップの様子です。
参加するのは、11~15歳の16人。
4人グループに分かれ、被害者役の子1人が「自分の嫌いなもの」を粘着テープに書き、胸に貼ります。例えば「注射」。加害者役の子たち3人は、その「注射」という存在を、いじめます。
演技、スタート。
加害者A「ねえ注射さあ、痛いんだけど」
被害者 「・・・」
みんなまだ、硬さがあります。
加害者B「お前さあ、先端とんがってさ。いきがってんの?」
加害者Aが、ふふふと笑います。聴衆も笑います。
Bの注射をいじる”うまい表現”に、思わず吹き出してしまったという感じ。
加害者C「注射のせいでさ。肌が青くなっちゃうんだけど」
加害者B「お前ぱっと見、武器なんだけど」
聴衆からどっと笑いが起きます。
被害者も、思わず苦笑しています。Bはその後も、”面白い攻撃”をくり出します。その度に起きる、笑い声。「ナイスボケ」「その発想はなかったわ」という感じでしょうか。コントかバラエティ番組のような空気感です。
記者も、この場面を見ている時、思わず笑ってしまいました。
そして次の瞬間、背筋が寒くなりました。「わたしは今、模擬とはいえ、いじめを見て笑ってしまった」と。
このワークショップは、いじめで子どもを殺してしまった子ども、つまり加害者を描く映画「許された子どもたち」(2019年公開予定)の出演予定者を対象に行ったものです。
子どもたちの半分は芸能事務所所属ですが、残りの半分は一般の子どもたちです。
ロールプレイングのほか、他人のいじめ加害経験を自分のこととして演じてみたり、少年法について学んだりしました。
子どもたちへの心理的影響を考え、臨床心理士ら専門家の指導を受けつつ、実施したそうです。
内藤 「僕も現場で見ていて笑いました。いじめって、やる側からするとすごく楽しい行為なんでしょうね。周りの笑い声は、実際のいじめでは傍観者の立場に近い。『うまいこと言ったなアイツ』『いいパンチしたな』みたいな笑い。人間の根源には、やはり攻撃性があるんだろうなと思います」
――途中から、大喜利のようでしたね。「みんなを笑わせよう」みたいな。
内藤 「そうですね。参加した子は『正直楽しく思っちゃいました』『うまいこと言ってやりたいという感覚になっていった』と言っていました。大喜利で良い回答をした人は人気を得ていく。だから加害者側は、被害者が傷つくかどうかより、どうやったらウケるかというところに気持ちがいく」
「弱者をみんなで攻撃することに喜びを感じる性質は、誰もが持っている、自分たちはそういう恐ろしい生き物なんだって、自覚することが大事なのかなと思います」
春名 「うう、参加したかったです……」
内藤 「ごめん、募集対象年齢じゃなかったもんね(笑)」
春名さんは、いじめ問題について、発信を続けています。8月20日には絵本「いじめているきみへ」(朝日新聞出版)を発売します。
2012年に当時12歳だった春名さんが朝日新聞に寄せたコラム「いじめている君へ」が大きな反響を呼びましたが、このコラムの絵本化です。
春名 「すごくいいワークショップだと思いました。役になる前に、自分を理解するっていうことなんだと思います。誰でも自分より弱いものを見たら安心するし、スポーツで体を動かしたら気持ちがいいのと同じ感覚で、いじめたら気持ちよくなる。自分の中の悪い面って、なかなか認められないけど、演技という目的が他にあって、そのために自分を見つめ直すという作業はいいなと思いました」
ワークでは、演技が終わったら、被害者役の子の胸に貼った粘着テープをはがしました。演技は終わりだと視覚的にも分かりやすくすることで、被害/加害の関係性が現実でも続かないようにします。
きついと思ったら、いつでも手を挙げて演技をやめられると、あらかじめ子どもたちには伝えてあります。子どもたちが傷つかないようにという万全の配慮をしたうえですが、それでも内藤監督としては、迷いながら実施したそうです。
春名 「映画って、自分がいままで生きてきたなかで培ってきたものが作品に反映されるわけじゃないですか。監督は、いじめを作品で扱う時、ご自身のなかで参考にした経験ってありますか」
内藤 「いじめがある種の子どもにとっての娯楽になっているのかなというのは、元々思っていて。僕が小学生の時、クラスにキレやすい子がいて、みんなであえてその子をキレさせるようないじめがありました」
「ある日、休みの日にクラスのみんなで集まってサッカーをしようという話になったんですけど、サッカーは口実で、サッカーの中でその子をキレさせて楽しむといういじめっ子たちの企画でした。サッカーをしに行く時、ある種の祭りに参加するように、ワクワクした高揚感が自分にありました」
「思い返すと、自分自身の残忍な加害者性にぞっとします。今回の映画では序盤に子どもがひとり亡くなっちゃうんですけど、その前にみんなが盛り上がって高揚しているという感じは入れようと思いました。それは自分の経験からですね」
――先ほどのワークショップの映像でも、まさに盛り上がっていましたね。
内藤 「そうですね。その瞬間は楽しいけど、冷静に思い返すと怖い。ワークでも、あとで映像を見直して『俺めっちゃ笑ってる・・こわ・・』と思いました」
「撮影前にワークショップをやったのは、子どもたち自身がこの問題をどう捉えているのか、僕自身が知りたかったからです。子どもの生々しさというか。実年齢が高い人が中高生を演じるのではなく、実際の中高生に演じてもらいたかったので、素人の子どもたちも起用しました。ワークショップで得た気付きは、脚本に反映しました」
春名 「ぼくは、舞台で加虐心を持った役が多かったので、『いじめは楽しい』という心理はわかります。ビンタしたり、潰したりだましたり、復讐したり殺したり、殺されている様子を見て興奮したり」
「特に、好きな人が自分のモノにならないから好きな人の妻をおとしめるという役や、好きな人を殺してしまうといった役の時は、ハッとしました。傷つけるというのは、相手の心に自分という存在を刻みつける行為なんです」
――と、いいますと。
春名 「ただ楽しいだけなら他にも娯楽はたくさんあるけれど、いじめによって『他人の中に自分が存在している』ことを確かめて、承認欲求を満たしているんじゃないかなと。けれど、それで満たせる承認欲求は少しだけで、愛してもらえて得る承認欲求と比べると、とても陳腐なものだと思います」
――加害/被害を演じると、本人にも影響が出るのでしょうか。「許された子どもたち」の撮影に参加した子どもたちは、どうでしたか?
内藤 「休憩時間の子ども同士のやりとりを見ていて、不安になったことがありました。加害者役の子たちが被害者役の子に対して、ストレスを与えるような接し方をしているように感じたんです。役柄の関係性に影響を受けちゃったのではないか……と」
「でも、大人から見ると微妙なんですよ。当たりが強い気もするけど、親しい友達にちょっとキツイ冗談を言うこともあるし。大丈夫なの?冗談なの?と判断に迷う。止めづらいなと思いました。いじめ事件のニュースで、よく教師が『子ども同士の遊びだと思っていました』と言いますよね。その全部を肯定するわけじゃないけど、ちょっと分かるなと思いました」
春名 「たしかに現実でも、まだ被害者でも加害者でもないのに、大人が『いじめだ』と間に入ることで、そういう関係になってしまうことはあります。大人が動く危うさはありますね」
内藤 「ああ、名付けちゃうんだね。介入することで、関係性がより悪化することの怖さも感じました。かといって放任する訳にもいかない。『被害者役の子が辛そうだから』とは言わずに、『“監督の演技指導”として、被害者役と加害者役の間に仲のいい空気感が生まれないように、休憩中も話さないようにします』と伝えて、距離をとらせました」
「被害者役の子には、カウンセラーさんといてもらって、撮影上つらいことがあったら、いつでもギブアップしていいですと伝えました。撮影現場で自分がしたいことがあったら言っていいんだよってことは繰り返し話しました。その子の親にも状況は報告していました。撮影中盤から落ち着きましたね。クランクアップ後は被害者役と加害者役も仲良くしていて、ほっとしました」
――そのあたり、春名さんは役者さんとして、どうですか?
春名 「ぼくは結構役に染まる傾向があるので、他の仕事に影響がでるくらいになったら、なるべく人と会うようにしています。友人の見ているぼくは、『役のぼく』ではなく『春名風花本人』なので、お話ししていたら自然に『春名風花』に戻っていって、落ち着きますね」
内藤 「その被害者役の子は、だいぶ成長しましたよ。すごく内気な子だったんですが、撮影終盤は自分で意見も言えるようになりました。声も大きくなりました。いじめられ続けている状況から、自分の思いを伝えられるようになる役柄なんですけど、『この役から強さをもらった』って言ってました。撮影が終わった時は、スタッフ・キャスト全員の似顔絵と手紙を書いて、渡してくれました」
――演技とはいえ、被害者と加害者の間に大人が入るのは、難しいですね。
内藤 「子ども同士の関係性とかグループって、大人が直接解決はできない。親とか先生が出てきた時にこじれてしまうこともある。子ども自身が行動しないと、本質的には解決できない。かといって放置していたらうまくいくかといえば、そうでもない」
「大人ができるのは、子ども自身が望んでいることができるように、選択肢を提示してあげることだと思います。先ほどの撮影現場の例でいうと、『こういうことをしてもいいよ』『嫌だったらやめてもいいよ』『助けてくれる人はここにもいるよ』と選択肢を提示して、最終的には本人自身が選んで、行動することができたからうまくいったんじゃないかと」
春名 「それ、すごくよくわかります。ぼくはずっと、学校で演劇の授業を取り入れるべきだという話をしています。子どもたちって生まれてから親と学校と習い事くらいしか活動場所がなくて、それ以外の人と関わることが少ない。幼いうちからいろんな視点に立つことを教えてあげることが大事で、それが演技でできる」
「あるどこかの心理実験で、看守役と囚人役をわけて、数日たったら、看守は段々看守らしい行動になり、囚人は囚人らしい行動をするようになったというのを聞いたことがあります」
内藤 「スタンフォードですね」
春名 「そう!そうです! ひとつの役になると、自分はそういう人間なんだという思い込みが激しくなる。学校で一度いじめっ子、いじめられっ子の関係ができてしまうと、その後もなかなか抜け出すのが難しいのは、それもあると思います。でも、授業の中で加害者・被害者を何度も演じていれば、誰もがいじめたことがあるし、いじめられたこともあるし、その子が誰かにいじめられているのを助けたこともある。どの立場の気持ちも分かる」
内藤 「映画を見終わって、出てくるときにその人が、自分から劇場の人に『実はこれは僕たちの事件なんです』と声をかけたそうです。実際に起きた事件の加害者は男子でしたが、映画は女子に変えていたんですね。その加害者の男の子にとっては、それでより客観的に、自分がやったことを見つめ直せたようで。『どれだけ重いことなのかとかわかりましたので、監督に伝えておいてください』と話したそうです」
「それを劇場の人から聞いて、僕はゾワゾワしました。他人の演技を見ることで、当事者も違う視点で自分がやったことを見ることができたということでしょうか」
春名 「当事者からこう声かけられたら嬉しいですね。少しでも『こんなんじゃない』『これは嘘だ』って思えば声をかけないと思いますし。彼らの心情を否定も肯定もせず描いたからこその言葉だと思います」
――「演じる」という世界で、今後こういうことを取り組んでみたいというのがあれば。
春名 「せっかく人に影響を与えやすい仕事をしているので、春名風花を通して、いろんな人の世界が広がったらいいなと思います。自分がお芝居に出る時は、基本的に自分が面白いと思ったものを選びますが、ジャンルはばらけるようにしています」
内藤 「僕はこれからも罪を犯す少年少女と、彼らと対峙する家族や社会を描いていくだろうなと思います。特に不寛容が広まっている社会ですし。排外的・差別的な内容でも、言い切ってしまう発言の方が支持されていて、そこに恐怖感があります。撮る動機としては、そういう社会に対する恐怖感が強いです」
「言葉による説得で相手の考えを変えることは、難しい。でも、物語は別の視点を与えることで、世界の捉え方を変えることができるって、信じています」
――最後に、お互いに今後期待していることはありますか。
内藤 「ご縁があれば、一緒にお仕事をしましょう(笑)」
春名 「同じです!よっしゃー!やったー!言質とったー!! 対談の場に来ていただいたことも嬉しいですけど、せっかく近い業種なので、監督の作品のなかにお邪魔したいなと思います」
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