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不登校の子ども悩む「プリントお届け」 遠ざけたい学校の「におい」
学校に行かない、もしくは行けない子どもにとって、「学校」を感じさせるものを遠ざけたい時期もあります。それでも学校を意識する「接点」となりうるのが、「プリントのお届け」です。学級通信やお知らせ、授業のプリントなどを、家に先生や他の生徒が届けることに、不登校の生徒はどう感じているのでしょうか。
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学校に行かない、もしくは行けない子どもにとって、「学校」を感じさせるものを遠ざけたい時期もあります。それでも学校を意識する「接点」となりうるのが、「プリントのお届け」です。学級通信やお知らせ、授業のプリントなどを、家に先生や他の生徒が届けることに、不登校の生徒はどう感じているのでしょうか。
学校に行かない、もしくは行けない子どもにとって、「学校」を感じさせるものを遠ざけたい時期もあります。それでも学校を意識する「接点」となりうるのが、「プリントのお届け」です。学級通信やお知らせ、授業のプリントなどを、家に先生や他の生徒が届けることに、不登校の生徒はどう感じているのでしょうか。不登校新聞と協力して行ったアンケートからは、それぞれの複雑な思いが見えてきました。
「クラスの一員として考えてもらえているようでうれしかったです。でも、自分が参加できないことに、焦りや不安を感じることもありました」
「難しいんですが…」と悩みながら話すのは、東海地方に住む中学3年生のユウカさん(仮名・女性)。小学6年生の頃に学校に行きづらくなり、以来、教室とは別の部屋で過ごしたり、フリースクールに通ったりしています。
中1の頃は、近所に住む親友が、頻繁に家のポストにプリントを入れてくれていたそうです。学級通信などで学校の行事の様子を知り、届けてもらったテストを家で解くこともありました。
「嫌な気持ちにもなるけど、クラスのみんながどんなことをしているか知りたかったのかな、と思います」
ところが、中2になると、プリントのお届けはほとんどなくなってしまったそうです。3年生になってからは月に1回程度、先生が家に届けてくれていますが、学校の情報は知りにくくなりました。
「置いてきぼりにされている」――、ユウカさんはそう感じるようになりました。テストも渡されなくなり、勉強に対しても「これで大丈夫なのかな」と不安を覚えています。
寂しそうに話すユウカさんに、「担任の先生に相談してみてはどう?」と提案すると、「『プリントがもっとほしい』とは、言えないです」。
思い出すのは、昨年の夏。先生が「ユウカさんが2学期から登校する」と周囲の人に話していた、と知ったときのことです。ユウカさんはそのような意思は伝えておらず、先生の勘違いだったと話します。
「何がきっかけでそうなったのかはわかりませんが、先生に期待をさせてしまったことが、自分へのプレッシャーになりました。実際、私が行かなくて、周りはどう思ったのかな……」
「プリントがほしい」と話すことで、「学校に行きたい」という姿勢だととらえられてしまうのでは、と考えています。
同じ中学校に通っている、心を許せる友だちと書き合う交換ノートには、「学校の行事について書いて」とお願いをしました。「知らせてくれるだけ」の親友を信頼している、と話すユウカさんの表情からは、考え抜いて出した答えであることがうかがえました。
「今では『無理に学校に行かなくてもいい』と思えるようになったけれど、『学校なんていいや』と投げやりになってしまいそうで怖い。心の中では『中学生でありたい』という気持ちがあるんだと思います」(ユウカさん)
プリントのお届けについて、不登校の子どもはどう感じているのでしょうか。不登校新聞(NPO法人全国不登校新聞社)の協力で、不登校の生徒もしくは経験者を対象にウェブアンケートを行いました。
回答があった20人のうち、「プリントを自宅に届けてもらったことがある」と答えたのは、全体の約7割。ほとんどの人が「プリントのお届け」の経験があるようです。
そのなかで、どう感じたかを聞いたところ、「良かった」と感じていたのは、およそ3割でした。
「良かった」と答えた理由には、「生徒として認められたかったから(30代男性)」「クラスメイトを思い出すきっかけになった(10代女性)」など。ユウカさんのように、学校に行けない、行かないながらも、学校と何らかのつながりをとどめておきたいという気持ちが伝わってきます。
一方、プリントのお届けについて、7割の人が「わからない」もしくは「良くなかった」と答えています。どんな気持ちだったのでしょうか。
「みんなができている『学校に行く』ということができず、いつも罪悪感を持っていました。クラスメイトや先生に『ずるしてる』と思われているんじゃないかと、不安でした」(りゃこさん)
家で過ごしているときも「今は○時間目」と、学校の生活を気にしていたというりゃこさん。下校時間になると「そろそろ来るかな」と、プリントのお届けを意識していたそうです。
生徒が訪ねてきても、「どんな顔をして出たらいいのかわからなかった」と振り返ります。「プリントを直接受け取れるのは、『無』になれるとき。そうじゃないと、『どう思われてるんだろう』という不安でいっぱいになってしまうからです」
プリントは受け取っても、「学校のことを思い出したくない」と、多くは読まずに捨てていたといいます。「私のために持ってきてくれてありがたいと思う一方、『学校に行かなきゃ』という気持ちとできない自分のギャップに、しんどいときもありました」
りゃこさんに限らず、取材した不登校経験者からよく聞かれたのは、「自分のために誰かの時間をもらっているのが申し訳ない」という言葉でした。りゃこさんは「例えば、1週間ごとに私がプリントをとりにいく、という風にしていれば、少しは気が楽だったのかな」と話します。
葛藤を抱きながらも、プリントを受け取る子どもがいる一方、届けている子どもはどう感じていたのでしょうか。
都内に住む20代のヒカリさん(仮名・女性)は、自身が不登校になるまでは、プリントを「届ける側」でした。
その相手は、席が近いことがきっかけで、中学校に入学して初めて友だちになった女の子、アキコさん(仮名)でした。ただ、アキコさんは同級生との関係に悩みを抱えているようでした。「学校が嫌なんだよね」と、ヒカリさんに打ち明けたこともあったそうです。次第に、アキコさんは学校に登校しなくなりました。
ヒカリさん自身は、もともと環境の変化が苦手で、中学校に入学しても心が休まらない状態が続いていました。そんな中の出来事に、「彼女の力になれなかったのでは、と考えてしまいます」。
プリントのお届けを「罪ほろぼしのように感じていたのかも」とヒカリさんは話します。「会いたい、また一緒に楽しく過ごしたい」という思いから、アキコさんの家の玄関チャイムを鳴らしていました。「彼女が出てくれると嬉しかった」――、時間があるときはアキコさんと少し話し、出てこないときは、ポストに入れて帰りました。
ヒカリさんが教室に通うことが難しくなったのは、中3の冬。高校受験が目前に迫る一方、勉強しても成績が落ちていました。志望校のランクを下げ、なんとか高校に進学したものの、「もっと頑張らなきゃ」と張り詰めた気持ちが、「ある日プツンと切れてしまった」と振り返ります。何も考えられなくなり、布団から起き上がる気力もなくなっていました。
それから、クラスの友人がプリントを家に届けてくれるようになりました。自分のことを気にかけてくれる人がいるという安心感。それと同時に感じていたのは、「それでも私は学校に行けない」という後ろめたさでした。
届けられた授業のノートを写すこともしていましたが、徐々に学校のものを見るだけでつらい気持ちになり、「ひとりにしてほしい」と思うこともあったそうです。
「学校のことを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちの葛藤が苦しかった」と、説明しがたい当時の感情をしぼりだすように話します。
思い出したのは、アキコさんのことでした。アキコさんが玄関に出てくれたとき、ヒカリさんは学校の話をすることもあったそうです。
「私はクラスメイトに会うことだけで精いっぱいでした。彼女は、どう感じていたのでしょうか。自分が経験して初めて、彼女の気持ちを深く考えるようになりました」(ヒカリさん)
今回アンケートに協力した全国不登校新聞社の小熊広宣事務局長は、「学校に行けない子どもによっては、学校の『におい』がするものをシャットアウトしたい時期もある」と話します。プリントのお届けについて、「距離を置きたいと思っても、それを許してもらえていないのは、本人にとって非常につらい状況です」。
不登校の子どもは、届けてくれる先生や生徒の善意や、それを感じて『自分で受け取ったらどうか』と言う親の希望もすべて飲み込んで、葛藤しています。小熊さんは「周囲の気持ちをおもんばかって『誰かのために』受け取るのであれば、本末転倒ではないでしょうか」と指摘します。
「プリントを受け取ることが、プラスに働く子とそうでない子の振れ幅はあまりに大きく、時期によっても異なります。例えば、『必要になったら言ってね』と伝えてとっておくなど、カスタマイズの余地はあると思います」
更に小熊さんが危惧しているのは、LINEをはじめとするコミュニケーションツールの普及によって、「学校」を意識させる範囲が広がっていることです。
「これまで学校から物理的に離れれば、ある程度切り離すことができた情報が、本人が意図しないタイミングでも入ってくることになります。学校に居場所を感じない子どもにとって、心が休まらない環境になってしまっているのです」
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