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「学校きてね」「待ってるよ」不登校の子ども葛藤する「お手紙」問題
学校に行かない、もしくは行けない子どもたちは、同級生などからもらう手紙や寄せ書きに複雑な思いを抱いています。不登校を経験した女性は「よかれと思って書いてくれているのはわかっているけど、そっとしておいてほしい」と話します。
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学校に行かない、もしくは行けない子どもたちは、同級生などからもらう手紙や寄せ書きに複雑な思いを抱いています。不登校を経験した女性は「よかれと思って書いてくれているのはわかっているけど、そっとしておいてほしい」と話します。
「学校に来てね」「待ってるよ」ーー、学校に行かない、もしくは行けない子どもたちは、同級生などからもらう手紙や寄せ書きに複雑な思いを抱いています。「学校でつらいときは興味を示してくれなかったのに」「『行かなきゃ』というプレッシャーになってつらい」。ネガティブな気持ちを持ちつつも、その思いを飲み込んでいるのは、みんなの「善意」が見えるからこそ。葛藤と申し訳なさの中で、学校に行けない自分を責めている……不登校新聞と協力して行ったアンケートから、やりきれない気持ちが見えてきました。
「クラスメイトがよかれと思って書いてくれたことはわかっています。でも、そっとしておいてほしかったです」
東北地方に住む20代のワカナさん(仮名・女性)は、言葉を選ぶように、ぽつりぽつりと話します。
ワカナさんが、学校の教室に入ることが難しくなったきっかけは、中学校2年生のクラス替え。1年生の頃の友だちと離ればなれになり、クラスの中で孤独感を持っていました。
朝起きられなくなり、「学校に行きたくない」と言っても、母親に無理やり玄関まで引きずり出されたこともあったそうです。母親には「どうして普通のことができないの」と言われ、「何度も死にたいと思った。それくらい追い詰められていました」。
ワカナさんが学校に行けなくなった頃、小学校が一緒だったという、クラスメイト6人からお手紙をもらいました。そこには「待ってるよ」「学校に来てね」など、登校をうながす言葉が書かれていたといいます。
「嬉しいという気持ちは全くなかったです。クラスメイトの1人としてではなく、『不登校の子』として見られているな、と感じました。不登校の生徒は、周りにいなかったので」
それまで言葉少なにゆっくり話していたワカナさんが、当時を思い出し、急ぐようにいいます。
「教室で1人でつらかったとき、誰も興味を示してくれず、何もしてくれませんでした。いきなり手紙だけもらって……」
「もしも学校に行っても、誰かが何かしてくれたのでしょうか」
かみしめるように、ワカナさんは続けます。「この状況になったら、どんなことをしてもらっても気を遣います。疎外感も感じるでしょう。してほしいことは、何もありませんでした」
不登校を経験した他の人たちは、クラスメイトなどからもらう「お手紙」をどう感じているのでしょうか。
不登校新聞(NPO法人全国不登校新聞社)の協力で行った、不登校の生徒、もしくは経験者を対象にしたウェブアンケートでは、20人から回答が得られました。そのうち、半数以上の人が「クラスメイトなどから手紙をもらったことがある」と答えました。
「手紙をもらったことがある」と答えた人のうち、手紙をもらったことについてどう感じたか聞いたところ、「良かった」と回答したのは約2割。「良くなかった」がおよそ3割で、肯定的に捉えている人数は少ないことがわかります。
半数近くが「わからない」という回答で、「優しい言葉ばかりで嬉しい半面、『どうして私は行けないのだろう』とつらくなった(10代女性)」などの理由も。「良かった」「良くなかった」では言い表せない、複雑な心境が垣間見えます。
一方、「手紙をもらったことがない」と答えた人で、「良くなかった」と答えたのはごく少数。「良かった」の理由には、「もらっていたら、ストレスになっていたと思う(30代男性)」という声もありました。
特にアンケートの回答や、取材する中で多く聞かれたのは、「自分のために誰かの時間を割いてしまっているのが申し訳ない」という声でした。
東海地方に住むユウカさん(仮名・女性)もそのひとりです。
ユウカさんは中学3年生。小6から学校に行けなくなり、現在フリースクールに通っています。
3年生になって、担任の先生から、クラス全員分の寄せ書きを受け取りました。「はやく学校きてね」「待ってます」「体育祭きてください」ーー。寄せ書きを見つめながら、「全体的に似た言葉が並んでますよね」とユウカさんは話します。
「クラスの中には、会ったことのない子もいて、きっと何を書いたらいいか迷ったと思います。もしかしたら周りの子が書いたものをまねしたり、先生が言ったことを書いたりしたのかもしれません」
メッセージの内容については、「負担だとは感じていない」というユウカさん。自分に向けられた言葉よりも、「迷惑をかけてしまっているのでは」ということが気になっています。
「言葉を考えてくれた一生懸命さに、私は応えられないと思います。私のために時間をもらっていることが、本当に申し訳ないです」
ユウカさんに限らず不登校を経験している人は、「自分は周囲にどう思われているのか」を非常に敏感に考えていることを、取材の中で強く感じました。投げかけられる言葉から、相手の気持ちを探って疲れてしまったり、自分を責めてしまったりすることもあります。
それでも、ユウカさんには「涙が出るほど嬉しかった」というお手紙がありました。それは幼稚園の頃から仲の良い親友からもらった手紙です。
【私はちゃんとユウカちゃんを支えられている? 私はいつもユウカちゃんに支えられているよ 2人のきずなは誰になにを言われても、何があっても絶対に消えないからね】
学校に行けなくなった当時、ユウカさんは「自分でもどうして行けないのかわからなかった」そうです。周囲の人に『どうして学校に来ないの?』と何度も聞かれ、「理由が答えられないのもつらくて、聞かれても別の話にすり替えていました」。
「手紙をくれた彼女は、私が学校に行かなくなっても『元気?』って言うだけで、何も変わりませんでした。『私に何ができるのだろう』と思っていたことも、彼女はこのお手紙で救ってくれました」
「他のクラスメイトと関わりがないことを寂しいと思うこともあるけれど、私はこの子がいてくれるだけでいい」(ユウカさん)
アンケートにも、「手紙をもらって良かった」と回答した人がいました。しかし、理由を読むと単純に「嬉しい」という感情だけではない、ひっかかりがあるのを感じます。
手紙を送る人や、受け取る人にとっても、感じ方はさまざまです。不登校の生徒にみんなで手紙を送ることについて、どう考えたらよいでしょうか。
NPO法人日本スクールソーシャルワーク協会の山下英三郎名誉会長は、「本人にとってプラスになるという根拠がない限り、待っていただいた方がいいと思います」。
クラスメイトから忘れられていないということを、嬉しく感じる子どももいます。「ただ、学校に行かなければならない、とプレッシャーを感じる子どもの方が多いのではないでしょうか」と指摘します。
生徒の有志で手紙を送るケースもありますが、クラスメイトでまとめて手紙を書くということは、担任の先生の判断でされている場合が多いといいます。山下さんが考えるのは、「学校に来られない子どもをみんなで励まそう、という『善意』がベースにある」ということ。
「その善意を疑わず、相手が求めていることからずれてしまえば、悪意にも等しくなってしまうのです」
クラスメイトや部活のメンバーなど、一律で手紙を書く場合、本人と直接トラブルがあった生徒も参加していることもあります。アンケートでは「いじめていた人の手紙は『誰かに書かされている』と感じた」「言葉では言いあらわせない気持ちになった」という声も寄せられ、手紙の一方通行さにやり場のない思いを抱えていることがわかります。
山下さんは、手紙を受け取った生徒が反応しなかった、もしくはできなかった場合、手紙を送った生徒が「いいことをしたのに、あの子は何もしなかった」と否定的な見方を強めてしまう可能性もある、と危惧します。
「こうした働きかけをする前に、子どもが学校のことを知りたいと思っているか、人からの接触を喜んでいるかどうか、少なくとも先生には考えてもらいたいです。そういった様子を知れるように、親御さんや、本人との関係づくりが重要だと考えています」(山下さん)
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