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「ハゲでもいい」7年半悩んで得た視点 嬉野Dの「#withyou」
「水曜どうでしょう」の嬉野雅道ディレクターは、高校3年生の時に床屋で言われた「この頭はハゲる」をきっかけに、7年半もの間、引きこもりのような状態になったそうです。「地球規模とか、人類規模」で悩みと向き合ったことで、「ハゲの悩みがたいしたことに見えなくなる」考え方に至ったといいます。
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「水曜どうでしょう」の嬉野雅道ディレクターは、高校3年生の時に床屋で言われた「この頭はハゲる」をきっかけに、7年半もの間、引きこもりのような状態になったそうです。「地球規模とか、人類規模」で悩みと向き合ったことで、「ハゲの悩みがたいしたことに見えなくなる」考え方に至ったといいます。
学校生活に悩む10代に向けたキャンペーン「#withyou」をwithnewsで始めたところ、Twitterなどでじわじわと反応が広がりました。その中には、「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)でおなじみ、カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さんがいました。高校3年生の時に床屋で言われた「この頭はハゲる」をきっかけに、7年半もの間、引きこもりのような状態になったそうです。「地球規模とか、人類規模」で悩みと向き合ったことで、「ハゲの悩みがたいしたことに見えなくなる」考え方に至ったといいます。
インタビューのきっかけとなったのは、嬉野さんのツイートでした。
嬉野です。みなさん。春になりました。
— T木くん(嬉野雅道 Official) (@uresiinocoffee) 2018年4月3日
今年は桜の開花が全国的に早かったようですね。
春は異動の季節です。
転勤、転校、新入学、新社会人。
若い人らは希望に満ちて期待に胸を膨らませている時期でしょうか。でも、そんなときって同時にとても厄介なときです。 #WithYou
「Twitterを見て取材してくださるなんて、そういう時代なんだって改めて思いましたよ(笑)」
<嬉野さんは、穏やかに話し始めました。嬉野さんは高校3年生のとき、行きつけの床屋で「間違いない、この頭はハゲる」と言われ、ひどくショックを受けたそうです。翌日の朝、髪の毛が散乱した枕を見て、やっぱり自分はハゲるのだと信じ込んでしまったといいます>
「18歳なのにハゲるっていうのが、僕にはどうしても受け入れられなかったですね。その1番の理由は『これまでの自分ではない自分』という見てくれで再出発しなければならないことに対する恐怖だったんでしょうね」
「そのうちだんだん誰にも会いたくなくなって、そこから引きこもりみたいになってしまったんですけど。でも、そもそも悩みの原因がイジメとか深刻なことじゃなくて、ハゲですからねぇ。ハゲを苦にして死ぬのもねぇ、そうなったらそうなったで世間に笑われそうに思えてねぇ、こりゃ死ぬわけにもいかない。暗い青春でしたね」
――悩みから抜け出すきっかけは何だったのでしょうか?
「当時、『生命潮流』という分厚い自然科学系の本がはやっていました。興味本位で読み始めたら、これが思いがけず面白かったんです。この本を読んで、『この地球という星で生き残ろう、繁栄しようとする人類』という規模、『人類という視点』に想いをはせる動機をもらいました」
――自分は何者かについて、「人類」という源流の部分から考え始めたのですね
「そしたら『他人によく見られたい自分』という欲のかたまりから、いったん脱出するための道筋が見えた気がした。つまり、人類という規模、その全体が見渡せる視点まで上昇していって、自分を俯瞰することが有効なんじゃないかと思えてきたんです」
「そこで、ピンときた。人類の視点というすっごい高みから自分を見おろしてみると、どうやら自分は人類という巨大な群を構成する、小さな一個体としての役割も担っているなって、ちょっと見えてきて」
――どういうことでしょうか?
「たとえば、サバンナを大群で爆走するバッファローの群れがいるとして。遥か上空から、その大群を見おろしているようなイメージです。乾季になると彼らは一丸となって、泉を目指して猛烈に走っているじゃないですか。それは生存をかけた大移動です」
「人間も個人個人で生きてるだけのようで、もう一方では、この群れのように生存をかけ、一丸となってどこかを目指しているんじゃないのか、そう思えてきたんです」
「だったら僕も生存をかけて走っている人類の一員なんじゃないのかとも、思えてきて」
――自然界の歴史の中で生き残り、生きていく生物なんだと
「そんな群れの中の、一匹の個体までぐんぐん視点を降ろしてみる。すると『ハゲたくねぇなぁ』と思い悩んで走ってるバッファローが一匹いた、みたいなね。こいつが勝手に悩んで『ハゲはイヤだし、死のうかなぁ』とか思い悩んでいるわけです。泉に向けて爆走してるってことも忘れて(笑)」
「次にまた、その思い悩む個体から離れ、視点をぐんぐん上に戻していくと、バッファローたちの群れが、別の巨大な生き物のように見えてくる。そこまで視点を上げれば『思い悩む個体の想念』は、まったく見えなくなっている」
――……なるほど。
「分かりづらいね、ごめんなさいね(笑)。でも、そのとき気づくんです。僕という個体には、ひとかたまりの群れとして生存しようとする人類のワンピースとしての役割も同時に持たされているんだな、と」
「そして、そのことが確認できる視点まで急上昇していけば、思い悩む僕の想念はもうまったく見えなくなっている。それは当時の僕にとって、とても大きな気づき、発見でした」
――悩みは、どうなったのでしょう?
「そんな地球規模とか、人類規模っていう単位で『ハゲる』っていう悩みに向き合ったら、なんだか、だんだん自分の悩みがバカバカしくなってきてね」
「そしたら思い悩むのもだんだん面倒になってきて、不意に、もう『ハゲでいいか』って思えちゃったんです。人類という大きな流れの中で自分を見おろしてみたら、ハゲの悩みも、それほど、たいしたことには思えなくなった」
――悩みの見え方が変わっていたんですね
「だって、ハゲてる以外、人類的には何の不都合もないんですからね(笑)」
――今自分が見ている視点から離れてみる、ということが悩みを解決するヒントだったと
「そうだと思います。例えばね、僕の実家はお寺です。物心ついた頃から、広い境内が僕の遊び場でもありましたから、僕は外へ出ていく必要がなかった。僕は人見知りなので、いつも一人で遊んでいたし、ひとり遊びが寂しくなかったんです」
「それに、そんな僕も、境内に入ってくる知らない大人に会うのは、なぜだか平気でした。それは向こうが僕のことを知ってくれていると思えて安心できるからでしょうね。でも、境内を出て門の外に出ていこうとすると、なぜだかドキドキして」
――知らない世界に出て行く自信はなかったんですね
「その気質はきっと今も変わらないんでしょうね。今だって、できるなら知らない人には会いたくない、なんて思う。そんなテレビディレクターはいませんよ、ふつう」
「でもね、『水曜どうでしょう』っていう番組にたどり着いたのは、結局、人との出会いがあったからです」
――人との出会いは必要なものだったと。
「出会いは必要ですよ。というか、人生の意味って出会いしかないでしょう。それでも僕は人の輪に入っていくのはおっくうだなぁって今でも思うけど。でも、人と出会わないことには幸福にはなれないということも同時に知っているわけでね。そこは長いこと生きてきた経験から思うことですよね」
「『じゃあどうするんだ!人見知りのオレ』って考えていたら、あるとき『あ、そうだ。自分の境内を広げていけばいいじゃん、世界をオレの境内にしてしまえば良いじゃん』って、思いついた」
――閉じた自分の世界から「出る」のではなく、自分の居場所を「広げる」という考え方に変えたのですね
「そうです。自分を取り巻く状況は何も変わらないのに、でも『境内を広げていけばいいんだ』っていう視点の切り替えだけで、僕は、とても納得がいったんです。その納得は『オレのままで生きていける』んだっていう安心感だったと思います」
「視点を変えれば、自分の状況は何も変わらないのに勝手にワクワクしていくんです。そのワクワクは『オレのままで生きていける』んだって信じられるからだと思います。自分が生きてる世界を読み解く視点は、ひとつじゃなかったってことです」
――今見えてるものにこだわらなくても、自分のままで生きられる世界、視点があるのだと
「今のままの自分とつながりたいと思ってくれる人が、この世界のどこかに本当にいるんです。生きていれば、いつかその人に出会えるんです。そんな人がいつか自分の前に現れるのが人生だと思うんです」
「だから早計に答えを出して一人で絶望へと向かってしまうのは、どう考えても損だなと、今は思います」
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