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2018年05月19日

「その人にあなたは出会わなければならない」嬉野さんがくれたメール

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「水曜どうでしょう」の嬉野ディレクター=奥山晶二郎撮影

「水曜どうでしょう」の嬉野ディレクター=奥山晶二郎撮影

 学校生活や居場所に悩む10代に向けて、ひとりじゃないよと伝えたいと思い、始めた「#withyou」のキャンペーン。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)の嬉野雅道ディレクターへのインタビューの後、嬉野さんが長文のメールを送ってくれました。「子どもたちに『こんな風にすればいいよ』とはアドバイスできない」という嬉野さん。それでも、自身の経験から、見えた人生の風景を教えてくれました。本人の了承の上、メールの中身をみなさんにも。


嬉野雅道さんからのメッセージ

 結局なかなか、子どもさんたちに「こんなふうにすれば良いよ」というアドバイスは、ぼくには出来ないのかなと思いました。考えても思いつかないのです。やっぱりそういうことは本人が自分でたどり着く以外ないようにどうしても思えてしまうのです。

 きっとぼくの中で、あるときから習慣づいたことは、どうすればそこから出られるか、といった直接的なヒントやコツのようなものではなく、あの日お話しした、お猿さんが木のうろに入っていた大好きな木の実を見つけて取ろうとして手を入れて掴んだまでは良かったけど、その手を抜こうとしたとき、木のうろに手を入れたときと違って木の実を掴んだ手がグーになって抜けない。

 でもなぜ入った手が抜けないのかの理屈が分からないお猿さんはただただ手が抜けないことに驚いてパニックになる。パニックになるからなお一層固く掴んだ手を力任せに何度も何度も引き抜こうとしてその度に手の甲が木にぶつかって傷して血が滲んできて痛くて痛くてますます哀しくなっていく。

 可哀相にお猿さんには大好きなものを掴んでいるのにその手が抜けないという現実がとうとう理解できない。「お猿さん。手を放せば、掴んでる木の実を捨てたら抜けるよ」と教えてあげてもお猿には言葉が通じないから。お猿はとても哀しい顔をぼくに向けて助けてとばかりにキィキィ泣きながら哀願するのではないか。そんなお猿はそれからどうなるんだろうと思うと考えているぼくの方も哀しくなってくる。

 あ。でも、そのお猿の足下に同じく好物のりんごが転がっていたらどうだろう。そしてお猿がそのりんごに気づいたら。お猿はそのりんごを欲しいと思って取ろうとするはず。りんごを取ろうとする行為に移った瞬間、お猿は、無意識に強く掴んでいた手を緩め木の実を手放し、次の瞬間、自発的にりんごを掴んでいるはず。

 気づけばお猿は、あんなに抜けなかった木のうろから、知らないうちに無理なく手が抜けていることにそのとき気づく。これが「人間がしがみついたものから逃れる唯一の瞬間なんだ」と思えたとき、ぼくにはそのことがとても大きな発見に思えたのです。

 そういえば生き物は、そういった大枠の中で生きているのです。どうしたら目の前にあるりんごに気づかせてあげられるかは分からないけど、りんごのあることに気づけばお猿は誰に教わることなく掴んだ木の実を自発的に手放している。

 つまりぼくらもそういうことをする存在に違いないということです。手放すことが目的ではなかったけれど新たに視野に入ってきたりんごを掴もうとする欲求が、りんごをつかむことに集中させるから木の実のことを忘れさせてしまうのです。

 だから行為としては「手放した」になるのだけれど、その「手放す」は、あくまでも次なるものを掴むまでの段取りの1つだったわけです。ぼくらは「掴むためなら手にしたものも躊躇なく手放す」存在なのです。

 そのことに気づいた日から、ぼくは、メンタルに溺れて苦しくなったら、その大枠の中で生きている生命体としての自分を見おろす視点に立とうとします。それはまるで昆虫の行動を観察する観察者の視点です。その視点から自分を見ると昆虫を観察しているとき昆虫の考えていることなんか見えないようにぼくのメンタルもまた見えなくなる。見えないからこそ、ぼくが生命体としてどう行動すべきかを考えることができる。

 お風呂から出ない人がいる。その人の心の中は見えない。けれど出てこないのであればそれはお風呂の湯が熱すぎず冷たすぎずで入っていられる湯加減だからです。熱すぎたらその人の心模様にかかわらず湯になど浸かっていられないからその人は出てこざるを得ないはず。

 当たり前の話だと思われるだろうけれど、でもメンタルに溺れているときであればこそ昆虫観察の視点に立ってみなければ、そんな当たり前の事実だって案外自分には見えてこない。自分だって生き物なんだから、昆虫がするような生き物としての反応は同じようにしているはずだ、ということを、「忘れないで」ということが、きっとぼくが言いたいことなんだと思います。

 ぼくが経験の中から得たものはそういった昆虫観察の視線を自分にも向けることで、自分以外の誰からも見えはしないぼくのメンタルというものからぼく自身が一度離れてみるということです。離れてみれば、そこに、メンタルに関係なく「この地球で生きようとする一個の生命体としての自分」がいることに気づくはず、ということです。

 しかし、いったいどうしてぼくらは昆虫と同じように生命体として生きている自分を忘れてメンタルに溺れてしまうのでしょう。それは多分ぼくらが、この世界をぼくら自身でめいめい解釈してゆかなければならない存在だからです。

 この世界がどのようなものとして自分の前に広がっているのか、ぼくらは自分の人生をついやして解釈してゆかなければならない存在なのです。きっとぼくの人生には、ぼくしか立っていない、ということです。

 他に誰もいないのです。他の人はみな石のウサギです。心のない犬、アイボです。

 そうしてぼくらは心のないアイボが繰り出してくる行動の中に勝手に心を見てしまう存在だということです。ぼくらはこの世界も自分も他人も全部自分で解釈しているのです。そして、石のウサギもアイボも何も語ってはくれない心のない存在だと分かっていながら、いつもそばにいてくれるのなら、いつしかそれは、そのままで慰めとも感じるのです。

 そんな奇妙な風景が、そのままぼくらの根元にある孤独なのだと思えるのです。

 でも、その孤独は、どうやらこの地球という星で生きようとするぼくら生命体の前提であるようなのです。ぼくらはそんな世界で生きている。ということは、初めからぼくらはそんな世界で生きていける存在だということです。

 人生とは、そのことをわきまえた上で、ひとり荒野へ出て行こうとするようなものではないでしょうか。そしていつか、この世界が自分にとってどんなものだったかを語っていくことが大事なことなのではないでしょうか。それぞれが違う世界を見ていることがそのときわかるからです。

 語るためには体験をしなければならない。その体験の中には転んで怪我をすることだってあるということです。そして転ぶことも怪我をすることも当たり前のことだと受け入れていくだろうということです。

 正解も不正解も間違いもないのです。

 だって自分の人生に立っているのは自分だけなのですから。他には誰もいないのです。自分で解釈しながらこの地球で生きていくのです。だから体験することだけが生きている証です。転んで怪我ばかりはしていられないから、なるべく自分に不利益にならないように。そしてメンタルに溺れて苦しくなったら、一度、大枠の視点に立って自分のメンタルから離れて判断してみればいい。

 60歳近くなった今、私はますます、私の年上の友人、鯨森惣七が絵本に書いていた言葉が胸に響きます。

 「ここにきて、一人で生きていると、いろんなことと向き合うんだ。子どもの時よりいっぱいケガをして、それで、オレはひとりだぞって自分に言う、すると真剣な気持ちが湧いてきて、知らないうちに時間が経っていく」

 この言葉の中に広がる風景に共感するのです。ここは、真剣な気持ちが湧き上がってこそワクワクしながら生きていける世界なのです。そうだよなって思えるのです。

 そんならオレはひとりだぞって自分に言わなければな、と思うのです。そうして、一つ一つ自分の足で乗り越えていかなければなと思うのです。みんなそうなのです。生き物はこの世界で真剣な気持ちで生きていくのです。そんなふうに考えながらぼくの前に広がる世界をイメージして眺めると少しだけ元気が出ます。

 でも、ぼくらは、ぼくらの前に広がる世界へ踏み出して行って、結局、その道中に何が待っているというのでしょうか。ぼくらは何のために荒野を渡っていこうとするのでしょう。

 それは他人と出会うためです。

 あなたはこの世界のどこかで、やがて人と出会うのです。この世界には「あなたは今のあなたのままでいいよ」と、そのままのあなたを受け入れてくれる人が必ずいるのです。

 その人にあなたは出会わなければいけない。だからあなたはこの荒野を渡ろうとするのです。

 その人は、あなたさえまだ知らない、あなたにできることを教えてくれるのです。あなたが既に為していることを教えてくれるのです。あなたはもう自分にないものを獲得しようとすることも何者かになろうとする必要もないのです。

 「あなたは、ただあなたにできることをするためにこの世界に現れたのです」と、そのことに気づかせてくれる人と、あなたはこの世界のどこかで出会うのです。それがあなたの人生の登場人物です。

 その人にあなたは出会わなければならない。そしてその人に教えられて、あなたが、あなたに出来ることをし始めたときから、あなたがあなたのままをこの世界に晒して生きはじめたときから、あなたの人生はやっと始まるのだと思います。

 人生の幸せはそこから始まるのだと思います。幸福は他人がもたらしてくれるものなのです。だからぼくらは出会わなければならないのです。

 じゃあ、どうやったらその人と出会えるのでしょう。それは、生きていくしかないんですよね。生き続けるしかないんです。でも、生きていればいつかその人と出会えるのです。その日のためにきっとぼくらは生きているんです。幸せになるには、その人と出会う日まで生きるしかないんです。

 それが、ぼくの人生から見えているこの世界の風景です。

 嬉野雅道



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「ひとりだと思うと、真剣な気持ちが湧いてくる」嬉野雅道さん
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