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不可解な判定に泣いた夜 村田諒太が仲間に語った「前を向く言葉」

エンダム選手を攻める村田諒太選手=10月22日、関田航撮影
エンダム選手を攻める村田諒太選手=10月22日、関田航撮影 出典: 朝日新聞社

目次

【五輪金から世界王者 村田諒太の「言葉力」】
世界王者・村田諒太は「語れるボクサー」 恩師の言葉・哲学書を胸に
練習ノートをあえてやめた 村田諒太が世界獲るためにした3つのこと

 10月22日夜。世界ボクシング協会(WBA)ミドル級タイトルマッチを制し、新王者となった村田諒太選手(31=帝拳)が、かけつけた場所があります。東京都内のバー。集まっていたのは、母校・南京都高(現京都廣学館高)のボクシング部OBたちでした。(朝日新聞東京本社スポーツ部・伊藤雅哉)

アマチュア時代の2011年、ロンドン五輪に向けて練習する村田選手
アマチュア時代の2011年、ロンドン五輪に向けて練習する村田選手 出典: 朝日新聞

あの判定はないわ

 さかのぼること5カ月前の5月20日。

 東京・有明コロシアムであったWBAミドル級王座決定戦で、村田選手はアッサン・エンダム選手(フランス)から4回に右ストレートでダウンを奪いながら、1-2の判定で敗れました。2012年のロンドン五輪金メダリストにとって、プロ13戦目の初黒星でした。

 試合会場の一角に陣取っていた南京都高ボクシング部OBら約100人は、祝勝会のため都内の店を予約していました。それがまさかの残念会に。帰る気にもならないので、午後10時半頃から飲み始めました。

 村田選手の人柄にほれ込み、後援会長を務める近藤太郎さん(42)が一人ずつに試合の感想を求めました。「あの判定はないわ」「村田がかわいそうや」「またやるなら絶対応援に来る」。そんな声が続いていた時、近藤さんの携帯電話に村田選手から着信がありました。

5月に判定負けを喫した村田選手(右)
5月に判定負けを喫した村田選手(右) 出典: 朝日新聞

偽名を使って電話してきたのは・・・

 「カトウです」

 共通の知人の話し方をマネしていましたが、紛れもなく村田選手の声でした。近藤さんとの間の、いつものジョークでした。

 そして、「何時になっても行きます。飲んで待っといてください」と言いました。村田選手が到着したのは日付が変わる頃。激戦の直後で顔は赤く、さすがに疲れ切っていたそうです。

5月の王座決定戦では村田選手はダウンを奪いながら、判定負けを喫した
5月の王座決定戦では村田選手はダウンを奪いながら、判定負けを喫した 出典: 朝日新聞

 奈良・伏見中時代の村田選手は荒れていました。

 離婚した両親への反発もあり、陸上部はすぐにやめてしまい、髪を金色に染めたこともありました。3年の時は学校も休みがちになり、プロのジムに通ってボクシングを始めました。

 素質を見込まれ、強豪の南京都高に入学。集団生活にどっぷりつかるのはボクシング部が初めての経験で、だからこそ当時の仲間への思いは強いのです。

 高校時代、大会前は校内に泊まり込んで、3週間に及ぶ合宿をしました。練習でへとへとになっても、夜は全員で一発芸を披露し合いました。

 今でこそスマートな標準語を話しますが、東洋大進学のため上京する18歳までは関西育ち。素顔の村田選手は、そんな「関西人のノリ」が大好きなのです。

金メダルを獲得後、母校の中学校を訪れた村田選手=2012年8月、奈良市の市立伏見中学校
金メダルを獲得後、母校の中学校を訪れた村田選手=2012年8月、奈良市の市立伏見中学校 出典: 朝日新聞

心理学者の言葉を引用

 監督だった武元前川さん(故人)からは、技術よりも「筋を通せ」「人の痛みを知れ」と教えられました。金メダルを取って有名になってからも、OBの集まりのたびに京都に帰っていたのです。

 エンダムに負けた夜。近藤さんは「仲間内だから、あの判定に文句の一つも言っていいだろう」と思いました。

 「あれはどうなん?」と聞いてみましたが、村田選手はかたくなに何も言いませんでした。その代わり、オーストリアの心理学者ビクトール・フランクルの言葉をすらすらと口にしました。

ビクトール・フランクルの『夜と霧』
ビクトール・フランクルの『夜と霧』 出典: 朝日新聞

 「人生に意味を求めてはいけない。人生の問いかけに応えていくのだ」

 村田選手はプロに転向したばかりの頃、五輪金メダリストの重圧に苦み、哲学書を読みあさった時期がありました。その中で見つけた、人生訓といえる言葉でした。

 「起こったことを受け入れて、自分に何ができるのかを考える」という意味です。村田選手はもう、前を向いていました。

プロ野球の始球式に登場したボクシングの村田選手=西畑志朗撮影
プロ野球の始球式に登場したボクシングの村田選手=西畑志朗撮影 出典: 朝日新聞

勝利の宴は午前3時まで

 最後にあいさつした近藤さんは、元世界4階級王者のパーネル・ウィテカー選手(アメリカ)の名前を出しました。

 1984年のロサンゼルス五輪金メダリスト。プロでも偉大な王者になりましたが、世界初挑戦は微妙な判定負けでした。村田選手と重なる部分があり、勇気づけたいと思って練ったあいさつでした。

 話の終わりに、近藤さんは村田のほうをちらりと見ました。

 あなたの言いたいことは分かっていますよ、という顔で、「村田はニヤニヤ笑ってました」。

笑顔も似合う新チャンピオン
笑顔も似合う新チャンピオン 出典: 朝日新聞

 10月22日も、近藤さんたちは東京・両国国技館に駆けつけました。村田選手がエンダム選手との再戦に勝って涙する姿を、その目で見届けました。もちろん、この夜も祝勝会の準備はしていました。

 村田選手は関係各所へのあいさつ回りを終え、最後に仲間たちの元に駆けつけました。

 最後は恒例の、母校の校歌を大合唱。宴は午前3時まで続きました。

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