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練習ノートをあえてやめた 村田諒太が世界獲るためにした3つのこと
総選挙があった10月22日に世界ボクシング協会(WBA)ミドル級の新王者に輝いた村田諒太選手(31=帝拳)。試合までの練習を取材して感じたことは、「自分を客観視できる力」の大切さでした。(朝日新聞東京本社スポーツ部・伊藤雅哉)
9月半ばから週2回、村田選手の練習に通いました。選手からすれば毎日来られると収拾がつかないので、ジムが公開する曜日を決めます。可能な限り、その練習を見にいきました。
「定例会見みたいですね」と言いながら、村田選手はその日の練習の狙いなどを語ってくれます。
5月にアッサン・エンダム選手(フランス)と対戦した王座決定戦では、内容では圧倒しながら「不可解な判定」でプロ初黒星を喫しました。それでも判定への不満は口にしませんでした。
試合翌日には勝ったエンダム選手に会いに行って「日本まで来てくれてありがとう」と伝えるなど、「負けて男を上げた」と言われました。
そのエンダム選手との再戦となった今回のタイトルマッチに向けてはテレビ3局が密着取材を続けるなど、注目度はむしろ上がりました。それだけに、村田選手は試合に勝った後、「みなさんに追っかけ回されて、(また負けたらどうなるか)怖かったですよ」と苦笑いしていました。
村田選手のすごみとは、選手であり、自分を客観視してコーチ役も兼ねられる点にあります。
ミットを受けてくれるトレーナーはいますし、所属ジムは海外からタイプの違う3人のスパーリング(実戦練習)パートナーを呼んでくれました。そんな恵まれた状況に感謝しつつも、最後に決めるのは自分だという意思の強さが伝わってきました。ジムの本田明彦会長(70)は「よく考える選手だから、自分で納得しないと動かない」と言います。
ロンドン五輪をめざした東洋大職員時代は、ほとんど一人で練習をしていたそうです。自分でメニューを組んで練習し、ノートに自分を励ます言葉を書き込んでいました。
スタミナが不安で、チャンスでたたみかけられなかった5月の試合の反省から、今回は自転車型の機器を使って心肺を極限まで追い込むトレーニングを試合の約3週間前まで続けました。
1回30秒間と短いのですが、全力でペダルをこぐので吐き気をもよおし、「ひっくり返るくらいきつい」そうです。5月の試合の時はスパーリングが本格化する試合の2カ月前にはやめていました。
「でも、実はスパーリングでは心肺機能は追い込めないんですよ。防御している時は心拍数は下がりますよね。だから自分で必要だと判断しました」と村田選手。この自転車トレーニングは所属ジムとは別の場所で行っていました。
ジム側からすれば疲労が心配です。10月に入ると、村田選手は「もうやめるように言われているので」と多くを語らなくなりましたが、やめたとは言いませんでした。
自分の心理状態も客観的に把握できるので、どうすればニュートラルな状態に戻せるかの「処方箋」を自分で書けるのです。
練習で力みがちな時期は「今日は緩みをテーマにしました。ゴルフでも力みと緩みって言うじゃないですか。これはいい着眼点です」と自画自賛したこともありました。
プロデビュー後、一時は練習ノートをつけていましたが、「それだと24時間、ボクシングで頭がいっぱいになりすぎる」と簡単なメモ程度に変えたそうです。趣味は読書ですが、今回、試合直前の時期は「考えすぎるのもよくない」と、哲学書を読むのを控えました。
王者になっても自分を過大には評価しません。WBAは主要4団体の一つで、層の厚いミドル級では他団体にも強い選手はゴロゴロいます。
村田選手は「アメリカ人からしたら『村田って誰だ?』という立ち位置だと思います。まず着実に海外で価値を上げて、その先に大きな試合ができればいい。目の前の試合に向かっていくだけで、必要ない先のことは考えないようにします」と話しました。
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