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世界王者・村田諒太は「語れるボクサー」 恩師・哲学書の言葉を胸に
プロボクシングの村田諒太選手(31=帝拳)が、10月22日の世界ボクシング協会(WBA)ミドル級タイトルマッチで勝ち、新王者になりました。村田選手の魅力は、ボクシングの実力だけでなく、その「言葉力」にあります。(朝日新聞東京本社スポーツ部・伊藤雅哉)
22日、チャンピオンのアッサン・エンダム選手(フランス)を7回終了TKO勝ちで下し、新チャンピオンになりました。試合直後のリング上で、フジテレビの田中大貴アナウンサーからインタビューを受けました。
「村田選手が泣いているのを初めて見ました」
そう聞かれた村田選手は「泣いてません。大貴さんが幻覚を見たんです」と言って、会場をわかせました。
スポーツ選手は、試合後のインタビューではとかく通り一遍の答えになりがちですが、村田選手は違います。インタビュアーの名前を口にするあたりに、その人間性が出ていました。
村田選手は「語れるボクサー」と言われます。ジムの浜田剛史代表(56)は「評論家がボクシングをしているよう」と評します。
世界チャンピオンになるような選手は高校から直接プロに行く選手が多いなか、村田選手は東洋大に進みました。その後、東洋大職員としてアマチュアとして競技を続け、2012年ロンドン五輪で金メダルを獲得しました。
その後、異例の「遅さ」となる27歳でプロ転向を表明したのです。
五輪の金メダリストとして、プロになったら世界王者が最低ラインと周囲から思われました。
「他人の評価を気にしすぎる」性格で、「プロで負けることは自分の存在を失うこと」と思っていました。その恐怖に打ち勝つために、救いになる言葉を探しました。
アマチュア時代から読書が趣味。プロになってからは奈良市に住む父の誠二さん(62)のすすめで哲学書も読むように。加えて、恩師らの大事な言葉も胸に刻んできました。そうした蓄積から、名文句が次々に生まれるのです。
「やれることは何かといえば、自分のいいところを出すだけ。ガードを上げてプレッシャーをかけて、強いパンチを打ち込んでいく。それが通用するかどうかの、単純な話なんです」(試合10日前の練習で、戦略を問われて)
「注目されているのは分かっていますし、プレッシャーなんてものは引き連れて戦うのがボクサーだと思っています」(試合2日前の記者会見で)
「高校の恩師(武元前川さん)が言ってたことですけど『ボクシングで試合に勝つってことは相手を踏みにじって、その上に自分が立つということだ。だから勝つ人間には責任がともなうんだ』と。だから彼の分の責任もともなって、これからも戦いたいと思います」(試合後のリングで)
「ベルトは思ったより重いです。自分にのしかかる重みだと思います」
「金メダルを取った時とは経験値が違いますね。あの時は夢見心地で、この先どうなるのか訳が分かっていなかった。結局、金メダルを取ってからの人生のほうが大変でした。このベルトも責任をともなうので、今のほうが大変さを痛感しています」
「チャンピオンベルトを巻いたからといって急に実力が上がるわけではない。世間の評価は上がっても、自分の実力は一歩一歩しか進んでいかないんです。そういう意味では謙虚に、堅実に進んでいくしかないかなと思います」(試合後の記者会見で)
「金メダリストだから世界王者が課せられる。他の人にはないプレッシャーがありました」
「(試合を自己採点すると)70~80点。ネガティブに100点から減点した点数じゃなくて、1点ずつ足していった上での70~80点です」(一夜明けの会見で)
こうした名言だけでなく、時に軽妙なトークができるのも魅力です。
王者になった日には総選挙がありました。それに引っかけ、ある記者が「将来は政治家になるつもりはありますか?」と聞きました。世界6階級を制覇し、米国で高額のファイトマネーを稼いだ後、母国のフィリピンで上院議員になったマニー・パッキャオ選手という例もあります。いつもと違う角度の質問に一瞬考えた後、ニヤリとしてこう答えました。
「パッキャオのようにラスベガスで100億円稼いだら考えます!」
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