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飛行船ツェッペリンの悲劇…土浦カレーとの「意外な接点」

着陸直前のツェッペリン伯号と見学する人々=1929年8月19日、朝日新聞
着陸直前のツェッペリン伯号と見学する人々=1929年8月19日、朝日新聞

目次

 茨城県土浦市の名物はカレー? 数あるご当地カレーの中でも、ちょっと不思議な立ち位置ですが、実は由緒正しい歴史があります。その起源は、1929年8月19日に、ドイツから日本に飛来した巨大飛行船「ツェッペリン伯号」です。当時は4日間で約30万人もの見学者でごった返す騒ぎになりました。しかし、1937年、別の機体が爆発事故を起こし、巨大飛行船は姿を消します。土浦とカレーと巨大飛行船の歴史をたどります。

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4日間で30万人が見物

 1929年8月19日、巨大飛行船「ツェッペリン伯号」は、世界一周の途中で、霞ケ浦飛行場に着陸。23日にアメリカへ旅立ちました。

 全長235.5メートル、最大直径30.5メートル、重量55.7トンで、浮揚ガスの水素容積7万5000立方メートルという大きさがあったといいます。

 「あまりの大きさに驚き、県内や東京から押しかけた人たちで飛行船フィーバー」となり、茨城県内や東京からも見物客が殺到。4日間で約30万人もの人でごった返したと言われています。

日本に飛来し東京上空を飛行するドイツの飛行船グラフ・ツェッペリン号。手前の白い建物は泰明小学校=1929年8月19日
日本に飛来し東京上空を飛行するドイツの飛行船グラフ・ツェッペリン号。手前の白い建物は泰明小学校=1929年8月19日 出典: 朝日新聞
ツ号は昭和4年8月19日、土浦上空にゆったりと巨体を浮かべた。世界一周の途中で、東京・横浜訪問を終えて隣の稲敷郡阿見町との境にあった霞ケ浦飛行場に着陸、23日にはアメリカへ旅立った。資料によると、全長235.5メートル、最大直径30.5メートル、重量55.7トンで、浮揚ガスの水素容積7万5000立方メートルという大きさ。「あまりの大きさに驚き、県内や東京から押しかけた人たちで飛行船フィーバー、4日間で約30万人もの見学者でごった返した、と聞いた。私の耳にも、その時の歓声が残っている」と、土浦市立博物館の鶴田重郎さん(63)は振り返る。
1989年7月12日:飛来60周年祝い記念 世界一周の飛行船「ツェッペリン伯号」 土浦:朝日新聞紙面から

ご当地グルメ「ツェッペリンカレー」

 土浦とカレーとの接点ができたのが、「ツェッペリン伯号」の飛来でした。

 当時、市民が飛行船の乗組員にカレーを振る舞ったという史実があり、それをヒントに、2005年、地元のメンバーが「ツェッペリンカレー」を開発しました。

 「ツェッペリンカレー」には、土浦市の特産品であるレンコンが使われています。土浦は、カレーの街として売り出し中で、給食などにもたびたび登場しています。

土浦ツェッペリンカレー
土浦ツェッペリンカレー
カレーの街として売り出し中の土浦市で14日、小中学校26校の給食にご当地の「ツェッペリンカレー」が出された。年に3回ある「土浦の日メニュー」の一日。子ども向けにアレンジしてあるが、カレーパウダーと香辛料で仕上げた本格派。ターメリックライスに、土浦特産のレンコンチップなどが添えてある。
2013年6月15日:給食に土浦のご当地カレー:朝日新聞紙面から
土浦市の看板は特産のレンコンを使った「ツェッペリンカレー」。ドイツの大型飛行船ツェッペリン号が1929(昭和4)年に土浦に飛来した際、市民が乗組員にカレーを振る舞ったという史実を元に、土浦商工会議所女性会のメンバーが05年に再現した。
2008年11月14日:土浦もカレーPR ハマ・海軍・奥美濃…仲間入りへ 「5大都市サミット」:朝日新聞紙面から

全財産を飛行船につぎ込んだ男

 土浦で「飛行船フィーバー」を巻き起こした「ツェッペリン伯号」。巨大飛行船に人生を捧げたのが、飛行船の名前にもなっているドイツ人のツェッペリンです。

 軍人だったツェッペリンは、52歳のとき、中将の肩書を捨て退役します。自分で飛行船を開発するためでした。

 伯爵だったツェッペリンは、城や館、領地から馬車や馬などすべてを売り払い、飛行船の資金にします。

 全財産をつぎこんで作った機体が炎上する事故もありましたが、市民からの義援金で再起。飛行機の建造会社と運航会社を設立します。

「ツェッペリン伯号」を見上げる霞ケ浦海軍航空隊幹部とドイツ人技術者ら=1929年8月19日
「ツェッペリン伯号」を見上げる霞ケ浦海軍航空隊幹部とドイツ人技術者ら=1929年8月19日 出典: 朝日新聞
五十二歳のとき、中将の肩書を捨て退役してしまう。独力で飛行船を開発するためだった。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から
城や館、領地から馬車や馬にいたるまで一切を売り払い、八十万マルクを用意した。現在の二十億円以上の金額だ。「役人どもに実物を見せてやらねば」が口ぐせだった。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から
第一次大戦が始まると、ツェッペリンはウィルヘルム二世に飛行船の使用を進言した。ツェッペリン飛行船はロンドンなどを爆撃し、英国民の恐怖の対象となる。しかし、戦争中盤になると、性能を高めた英国の戦闘機に撃墜されはじめた。スピードが遅く、的が大きい飛行船は本来、戦争には不向きだったのだ。八十機以上のうち五十一機が失われ、乗員ら三百数十人が犠牲になった。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から

「ヒンデンブルク号」爆発事故

 当時の巨大飛行船は、客室は2階建てになっており、2階には二十以上の個室と食堂、ラウンジと読書室。1階には、シャワールーム、バー、喫煙室。食堂にはチーク材のテーブルといすが並び、大きな窓から眼下の展望が楽しめたそうです。

 軍事用としても使われ、ロンドンなどを爆撃しますが、次第に飛行機に空の主役を奪われはじます。

 それでも飛行船にこだわり政府関係者を説得する中、ツェッペリンは1917年3月、78歳で亡くなります。

 追い打ちをかけるように、1937年、「ツェッペリン伯号」とは別の機体の「ヒンデンブルク号」が爆発事故を起こし、乗員、乗客96人のうち、30数人が死亡。事故後、ドイツ政府は新たな飛行船の製造を禁止しました。

 巨大飛行船は、世界の空から姿を消します。

「ツェッペリン伯号」で乗り込む草鹿航空参謀。太平洋横断飛行で米国に向かった=1929年8月21日
「ツェッペリン伯号」で乗り込む草鹿航空参謀。太平洋横断飛行で米国に向かった=1929年8月21日 出典: 朝日新聞
彼は、機材やエンジンを改良すれば、まだ飛行船の用途はある、と執着していた。その主張を、冬のベルリンで政府関係者らに説き回っていて体調を崩す。一七年三月、七十八歳で死んだ。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から
しかし二日目、突風に襲われる。船体は傾いて林にひっかかり、燃え上がった。飛行船の残がいを見つめるツェッペリンには、もう再起する資金はなかった。その時、一人の男が、事故現場に集まった人たちに呼びかけた。「飛行船の闘士を見殺しにするな」。新聞が取り上げ、うねりのように募金運動が起きた。今の百八十億円余りにあたる義援金が寄せられた。その金で投資金や借金を返し、飛行船の建造会社と運航会社を設立した。国内の定期便を就航させ、郵便も運びはじめる。ツェッペリンの飛行船は第一次世界大戦の前までに三万人以上の旅客を運ぶ。彼は一躍、英雄となった。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から
客室は二階建てになっており、二階には二十以上の個室と食堂、ラウンジと読書室。一階には、シャワールーム、バー、喫煙室。食堂にはチーク材のテーブルといすが並び、大きな窓から眼下の展望が楽しめた。小型のグランドピアノが置かれ、ダンスパーティーも催された。まさに「空飛ぶ豪華客船」だった。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から
アルフレット・グレチンガーさん(八一)は、そのとき二十歳。史上最大のツェッペリン飛行船「ヒンデンブルク号」のコックをしていた。一九三七年五月六日、米国ニュージャージー州レークハーストに着陸の寸前だった。(中略)乗員、乗客九十六人のうち、三十数人が命を落とした。バランスを取るため前部に移動した乗員は全員が死んだ。事故後、ドイツ政府は新たな飛行船の製造を禁止した。
1998年5月3日:ツェッペリン 人生も財産も飛行船に(100人の20世紀):朝日新聞紙面から

2020年東京五輪では警備用も

 飛行船の生みの親であるツェッペリンは、土浦の名物カレーが生まれるきっかけを作った男でもありました。

 当時の製造会社の流れをくむメーカーがツェッペリンの名を冠した「ツェッペリンNT」をドイツで復活させたのは、爆発事故から60年後の1997年でした。「ツェッペリンNT」は、全長75.1メートル、幅19.7メートル、高さ17.5メートル。最多で12人が乗れます。

 最近では、飛行船を警備に使う動きも出ています。

 警視庁は、2020年東京五輪・パラリンピックに向け、上空からの見張り役として、ズーム機能のある高性能のカメラを積んだ飛行船やドローンの導入を検討しています。

鹿児島市上空に飛来したツェッペリンNT号=2005年10月31日
鹿児島市上空に飛来したツェッペリンNT号=2005年10月31日 出典: 朝日新聞
当時の製造会社の流れをくむメーカーがツェッペリンの名を冠したNT号をドイツで復活させたのは、爆発事故から60年後の97年だった。
2009年7月26日:父が見た空、80年後 日本飛来のツェッペリン号 案内軍人の娘が再現飛行:朝日新聞紙面から
就航が想定されているのは日本飛行船(東京都)の「ツェッペリンNT」。世界最大の飛行船で、全長75・1メートル、幅19・7メートル、高さ17・5メートル。最多で12人の乗客を運び、時速125キロまで出せる。
2008年12月1日:堺、膨らむ飛行船計画 災害調査や遊覧拠点に、来年度にも:朝日新聞紙面から
上空からの見張り役として、ズーム機能のある高性能のカメラを積んだ飛行船やドローンも登場。警視庁は五輪本番までに試行を繰り返し、各企業の開発を後押しする。競技会場は海が近い場所が多いため、海上からのテロに備える技術の検討も進める。
2016年5月23日:サミット、首都に最先端警備 警視庁、東京五輪にらみ試行:朝日新聞紙面から

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