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飛行船ツェッペリンの悲劇…土浦カレーとの「意外な接点」
茨城県土浦市の名物はカレー? 数あるご当地カレーの中でも、ちょっと不思議な立ち位置ですが、実は由緒正しい歴史があります。その起源は、1929年8月19日に、ドイツから日本に飛来した巨大飛行船「ツェッペリン伯号」です。当時は4日間で約30万人もの見学者でごった返す騒ぎになりました。しかし、1937年、別の機体が爆発事故を起こし、巨大飛行船は姿を消します。土浦とカレーと巨大飛行船の歴史をたどります。
1929年8月19日、巨大飛行船「ツェッペリン伯号」は、世界一周の途中で、霞ケ浦飛行場に着陸。23日にアメリカへ旅立ちました。
全長235.5メートル、最大直径30.5メートル、重量55.7トンで、浮揚ガスの水素容積7万5000立方メートルという大きさがあったといいます。
「あまりの大きさに驚き、県内や東京から押しかけた人たちで飛行船フィーバー」となり、茨城県内や東京からも見物客が殺到。4日間で約30万人もの人でごった返したと言われています。
土浦とカレーとの接点ができたのが、「ツェッペリン伯号」の飛来でした。
当時、市民が飛行船の乗組員にカレーを振る舞ったという史実があり、それをヒントに、2005年、地元のメンバーが「ツェッペリンカレー」を開発しました。
「ツェッペリンカレー」には、土浦市の特産品であるレンコンが使われています。土浦は、カレーの街として売り出し中で、給食などにもたびたび登場しています。
土浦で「飛行船フィーバー」を巻き起こした「ツェッペリン伯号」。巨大飛行船に人生を捧げたのが、飛行船の名前にもなっているドイツ人のツェッペリンです。
軍人だったツェッペリンは、52歳のとき、中将の肩書を捨て退役します。自分で飛行船を開発するためでした。
伯爵だったツェッペリンは、城や館、領地から馬車や馬などすべてを売り払い、飛行船の資金にします。
全財産をつぎこんで作った機体が炎上する事故もありましたが、市民からの義援金で再起。飛行機の建造会社と運航会社を設立します。
当時の巨大飛行船は、客室は2階建てになっており、2階には二十以上の個室と食堂、ラウンジと読書室。1階には、シャワールーム、バー、喫煙室。食堂にはチーク材のテーブルといすが並び、大きな窓から眼下の展望が楽しめたそうです。
軍事用としても使われ、ロンドンなどを爆撃しますが、次第に飛行機に空の主役を奪われはじます。
それでも飛行船にこだわり政府関係者を説得する中、ツェッペリンは1917年3月、78歳で亡くなります。
追い打ちをかけるように、1937年、「ツェッペリン伯号」とは別の機体の「ヒンデンブルク号」が爆発事故を起こし、乗員、乗客96人のうち、30数人が死亡。事故後、ドイツ政府は新たな飛行船の製造を禁止しました。
巨大飛行船は、世界の空から姿を消します。
飛行船の生みの親であるツェッペリンは、土浦の名物カレーが生まれるきっかけを作った男でもありました。
当時の製造会社の流れをくむメーカーがツェッペリンの名を冠した「ツェッペリンNT」をドイツで復活させたのは、爆発事故から60年後の1997年でした。「ツェッペリンNT」は、全長75.1メートル、幅19.7メートル、高さ17.5メートル。最多で12人が乗れます。
最近では、飛行船を警備に使う動きも出ています。
警視庁は、2020年東京五輪・パラリンピックに向け、上空からの見張り役として、ズーム機能のある高性能のカメラを積んだ飛行船やドローンの導入を検討しています。
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