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川端康成、今も残る「自殺の謎」 「国宝」3つも所有!目利きの顔も

ノーベル賞の受賞を受け三島由紀夫と談笑する川端康成=1968年10月18日
ノーベル賞の受賞を受け三島由紀夫と談笑する川端康成=1968年10月18日 出典: 朝日新聞

目次

 45年前の1972年4月16日、日本人初のノーベル賞作家となった川端康成が、神奈川県逗子市のマンションで自殺しました。遺書はなく、いまも謎とされる自殺の理由。文豪の足跡をたどります。

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大阪生まれ

 川端康成は、1899年、大阪市に生まれます。父母が早くに亡くなり、祖父母に引き取られ育ちます。東大国文科を卒業し、横光利一らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の代表作家として活躍しました。

 代表作に「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」「古都」などがあります。

 「伊豆の踊子」は、一人旅の学生と旅芸人一座の若い踊り子とのほのかな恋と別れを描いた名作です。実は、文庫本で30ページほどの短さですが、何度も映画化されました。

 1974年には山口百恵さんが主演。相手役に抜てきされた三浦友和さんと結婚しています。

伊豆を走るボンネットバス=1976年6月1日
伊豆を走るボンネットバス=1976年6月1日 出典: 朝日新聞
1899年、大阪市生まれ。父母が早く亡くなり、祖父母に引き取られ育つ。東大国文科を卒業し、横光利一らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の代表作家として活躍した。1968年にノーベル文学賞を受賞し、72年死去。主な著書に「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」など。
2015年3月10日:(京ものがたり)川端康成が描いた北山杉 失われゆく「古都」、憂いを込めて:朝日新聞紙面から
一人旅の学生と旅芸人一座の若い踊り子とのほのかな恋と別れ――文庫本で三十ページほどの物語が、七十年近くも日本人の心をとらえ続けている。川端康成の『伊豆の踊子』。
1994年8月21日:『「伊豆の踊子」物語』 西河克己さん(著者紹介):朝日新聞紙面から

ノーベル文学賞で語ったこと

 1968年、川端はノーベル文学賞に選ばれます。授賞理由は「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現するその叙述の巧みさ」でした。

 川端自身は「日本の伝統のおかげ」「各国の翻訳者のおかげ」、まな弟子の「三島由紀夫君のおかげ」を自らの思う受賞理由に挙げました。

 「作家にとっては名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、いしゅくしてしまうんではないかと思っています」とも語りました。

ノーベル文学賞受賞が決った翌日、取材に応じる川端康成=1968年10月18日
ノーベル文学賞受賞が決った翌日、取材に応じる川端康成=1968年10月18日 出典: 朝日新聞
川端自身は「日本の伝統のおかげ」「各国の翻訳者のおかげ」、まな弟子の「三島由紀夫君のおかげ」を自らの思う受賞理由に挙げ、「作家にとっては名誉などというものは、かえって重荷になり、邪魔にさえなって、いしゅくしてしまうんではないかと思っています」とも語った。
2008年10月16日:(あすは何の日)10月17日 川端康成にノーベル文学賞:朝日新聞紙面から

72歳で自殺、遺書はなし

 1972年、72歳の川端は海に近いマンションの一室で、ガス管をくわえ自殺します。遺書はありませんでした。

 ノーベル文学賞を受賞した文豪が、布団の中でガス管をくわえて自死するという衝撃的な事件は日本中を騒然とさせました。

 ノーベル賞の候補に挙がりながら若すぎると評された三島由紀夫が割腹自殺した2年後の出来事でした。

 謎めいた死は様々な臆測を呼びます。川端の自死をテーマにしたとされる小説が発表され裁判になったこともありました。

川端康成氏が自殺した逗子マリーナマンション=1972年4月17日
川端康成氏が自殺した逗子マリーナマンション=1972年4月17日 出典: 朝日新聞
1968年に日本人初のノーベル賞作家となった川端康成が、神奈川県逗子市のマンションで自殺。72歳だった。布団の中でガス管をくわえていた。遺書は見つからず動機はわかっていない。
2013年4月16日:(1972年のきょう)川端康成が自殺:朝日新聞紙面から
5年後に発表されたモデル小説「事故のてんまつ」は騒ぎにもなった。遺族が「虚構を事実のように書いている」と損害賠償を求め、著者臼井吉見が最後には謝罪した。
2006年4月14日:(文化の暦)72年4月16日 川端康成ガス自殺 遺書なし、真相憶測の域出ず:朝日新聞紙面から
当時69歳。候補に挙がりながら若すぎると評された三島は2年後、川端はさらにその2年後に自殺した。
2008年10月16日:(あすは何の日)10月17日 川端康成にノーベル文学賞:朝日新聞紙面から

買った後に国宝、優れた目利き

 川端は美術品コレクションの優れた目利きでもありました。

 2009年に開かれた「川端康成コレクション」展には国宝3点が出展されました。この国宝、いずれも川端が購入後に国宝に指定されています。

 中でもお気に入りだったのが「聖徳太子立像」です。子どもらしく丸みのある体や衣のひだが生き生きと表現されています。

 川端が入院中の1958年12月24日に購入して枕元に置きました。鎌倉の自邸に戻ってからも座敷や書斎に飾っていたそうです。

久留米市美術館で特別展に出展された「埴輪」。川端康成が「ほのぼのとまどかに愛らしい」と表現した=2017年4月2日
久留米市美術館で特別展に出展された「埴輪」。川端康成が「ほのぼのとまどかに愛らしい」と表現した=2017年4月2日 出典: 朝日新聞
川端のコレクションは絵画や書画、焼き物など多岐にわたる。総数は二百数十点で、今回は出展されないが、国宝3点も含む。いずれも川端が購入後に国宝になり、目利きであったことが証明された。
2009年3月3日:文学切り開いた「美」 求めた心の安らぎ 「川端康成コレクション」展:朝日新聞紙面から

ひいきの店、愛用の原稿用紙

 川端ゆかりのお店は各地にあります。

 京都の「志る幸」は汁物で知られる名店です。作家の池波正太郎や川端康成も好んで通ったといわれています。

 JR新宿駅そばの京懐石「柿傳(かきでん)」は、店の看板が川端康成の直筆です。

 東京・神保町の古書店「一誠堂書店」は、川端康成、三島由紀夫、東山魁夷、松本清張らがひいきにしました。開業が1903(明治36)年。昭和初期には雑誌や新聞に「天下一の古書店」と紹介されました。

 浅草の文具店「舛屋」が販売する「満寿屋の原稿用紙」は、川端愛用の品として知られています。お店のサイトには、「満寿屋の原稿用紙」を使った名だたる文豪の名前が掲載されています。

志る幸(京都市下京区四条河原町上ル一筋目東入ル、075・221・3250)は、阪急河原町駅から徒歩2~3分。作家の池波正太郎や川端康成も好んで通った。池波のファンらも訪れる。
2017年2月23日:(都ものがたり 京都)田辺聖子が描写した利久弁当 白味噌汁、あふれる滋味:朝日新聞紙面から
JR新宿駅そばの京懐石「柿傳(かきでん)」で開かれた茶席に臨んだ。店の看板が、ノーベル文学賞受賞者川端康成の直筆という名店で、着物姿の3代目安田眞一さんが出迎える。
2010年7月28日:(はぐ Hug 育む)夏休み 料亭で学ぶマナーと味:朝日新聞紙面から
神保町の書店街。「一誠堂書店」の看板も=1964年4月28日
神保町の書店街。「一誠堂書店」の看板も=1964年4月28日 出典: 朝日新聞
うちは1903(明治36)年の開業ですから今年で創業111年になります。祖父は故郷の新潟県長岡で書店を開いたんですが、日露戦争の頃には大志を抱き樺太に渡ったそうです。
2014年2月4日:(リレーおぴにおん)老舗の流儀:13 人脈を武器に反転攻勢へ 酒井健彦さん:朝日新聞紙面から
戦後も川端康成、三島由紀夫、東山魁夷、松本清張ら文化人が顧客となってくれました。現在の品ぞろえは一般の古書、アジア関係の古い洋書、明治より前の古典籍の3本柱です。
2014年2月4日:(リレーおぴにおん)老舗の流儀:13 人脈を武器に反転攻勢へ 酒井健彦さん:朝日新聞紙面から
こだわりの世界で生き残る原稿用紙があった。川端康成、司馬遼太郎、宇野千代らそうそうたる作家たちが愛用した東京・浅草、舛屋が販売する「満寿屋の原稿用紙」がそれである。
2014年2月22日:(サザエさんをさがして)原稿用紙 作家たちが見せたこだわり:朝日新聞紙面から

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