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知られざる「昭和11年三大事件」 帝都を震撼!クロヒョウと戦った男
戦前の日本を揺るがした「昭和11年の三大事件」って知っていますか? 1936年2月26日、陸軍将校らによる「二・二六事件」が起きます。そして5月には「阿部定事件」も。実はもう一つ、首都東京を震え上がらせた出来事があったのです。7月25日に起きた「クロヒョウ脱走事件」。現場は、いまパンダの赤ちゃん誕生で沸く上野動物園です。
「今入ったニュースです。先ほど、上野動物園の猛獣クロヒョウが、おりから脱走しました。現在、自衛隊と警察、消防が行方を捜索していますが、まだ見つかっていません。近隣の住民の皆さんは、危険ですので、ただちに屋内に避難してください」
もしテレビやスマホがあれば、こんな速報が流れたことでしょう。そんな伝達ツールもない当時の人々の恐怖は、相当なものだったのでしょう。
事件が起きた7月25日の翌日の朝日新聞は、「帝都の戦慄(せんりつ)」「うわッ逃げたぞ 密林のギャング」などの見出しで大きく報じています。
クロヒョウはどうやって逃げたのでしょうか。
「上野動物園百年史」(東京都発行)によると、クロヒョウは2カ月前にタイから来たばかりで、人なれしておらず、いつも室内にいたそうです。
せめて夜間だけでも運動場に出してみようと、寝室の仕切りをあけたままにしておいたところ、翌朝巡回にまわると姿が見えなくなっていました。
実は、運動場の天井のわずかな隙間から逃げたことが、あとからわかりました。
大捜索の末、職員が近くの小道のマンホールの蓋をあけて調べていたところ、暗闇の中にクロヒョウの光る目を発見しました。
安心したのもつかの間、今度はどうやって捕獲するかが問題となりました。
まず考えたのは、マンホールの上におりを設置し、地下水路内を火を使って追い込む作戦。油を燃やして試みましたが、ヒョウは思うように動いてくれません。
そこで、次に考えたのが「トコロテン戦術」です。トコロテン突き器のように、水路の大きさに合わせた板を盾のように押して進み、ヒョウを追い詰める作戦です。
ただ、ヒョウの抵抗も予想され、危険が伴います。
誰がやるのか。
皆が尻込みする中で白羽の矢が立ったのは、動物園のボイラー係だった原田国太郎さん(41)でした。
実は、この原田さん。ボイラーマンとは別に、草相撲の力士という別の顔を持っていたことが、当時の読売新聞に記されています。その怪力に期待が集まります。
意を決した原田さんが板を押して土管の中を進むと、ヒョウはうなり声をあげて抵抗。しかし、最後には観念しておりの中に入っていきました。時刻は、夕方の5時半。歓声が上がり、涙する関係者もいました。
直後の取材に、原田さんは「もし、板が倒れたら俺はヒョウと一騎打ちをする覚悟だった」と自信たっぷりに語っています。でも、原田さんは正直です。30年後の取材では「あの時は怖かった」と本音を語っています。
幸いなことに、人間も動物も犠牲者を出さずに事件は一件落着しました。
一方で、今でも全国の動物園などでは、動物たちの「脱走事件」が時々起きています。
動物が犠牲になることもあり、決して油断はできません。上野動物園などでは、職員が着ぐるみで猛獣に扮した捕獲訓練が、定期的におこなわれています。上野動物園の担当者は「動物の脱走は決してあってはならない事態。万が一に備えて実施しています」と話しています。
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