お金と仕事
ぷよぷよランドと仁井谷さん…ぷよぷよのごとく夢はじけ借金90億円
「ぷよぷよ」をつくったゲームクリエーター仁井谷正充さんの半生は、平家物語のような栄華と没落のストーリーです。40歳そこそこで売上高70億円の会社社長となった仁井谷さんはいま、アパートのこたつで再起を期し、新たなゲーム作りに没頭しています。会社の消滅はぷよぷよのごとく、あっという間でした。
お金と仕事
「ぷよぷよ」をつくったゲームクリエーター仁井谷正充さんの半生は、平家物語のような栄華と没落のストーリーです。40歳そこそこで売上高70億円の会社社長となった仁井谷さんはいま、アパートのこたつで再起を期し、新たなゲーム作りに没頭しています。会社の消滅はぷよぷよのごとく、あっという間でした。
90年代を代表するゲーム「ぷよぷよ」をつくった伝説のゲームクリエーター仁井谷正充さん(67)の半生は、平家物語のような栄華と没落のストーリーです。
ぷよぷよの爆発的ヒットで、40歳そこそこで売上高70億円のゲーム会社社長となった仁井谷さんはいま、千葉・新松戸のアパートでこたつにくるまりながら、再起を期し新たなゲーム作りに没頭しています。
「ただ春の夜の夢のごとし……」。会社の消滅は、まるでぷよぷよの「連鎖」のごとく、あっという間でした。
「企画書の絵を描くのに1千万円ぐらいつかっている」
2DKのアパートの一室。こたつに入って話を聞いていると、おもむろに立ち上がった仁井谷さんが資料ファイルから書類を持ち出してきました。A4で24枚、表紙には「コンパイル・パーク開発計画」の文字。
ぷよぷよのキャラクターがドーム状の屋根を形作った建物が描かれています。会社を、そして自身の人生を暗転させた「ぷよぷよランド」計画です。
歯車を狂わせたのは、社長だったゲーム制作会社「コンパイル」を総合エンタメ産業に進出させるという大きな夢への着手でした。
「モデルはディズニー。アニメがあってディズニーランドがあり、そこに人々が集うように、ゲームがあってぷよぷよランドがあり、そこに人が集まる。そんな壮大な夢だった」
地上10階建て。ジェットコースターや空中ブランコ、ゴーランド。巨大プールにフードコート、カラオケボックス、物産館、ホテル客室……。
ありとあらゆるアミューズメントを詰め込んだテーマパークが、ぷよぷよランド構想でした。建設予定地は幕張メッセがある海浜幕張駅。千葉マリンスタジアムに隣接する敷地で「計画は行政側とは話はついていた。建設する手前まで進んでいた」そうです。
ぷよぷよランド構想に向け、仁井谷さんは会社経営を拡大しつづけます。100人足らずだった従業員は408人に急増員。新作に巨額の宣伝費も投入しますが、ぷよぷよ以降、思うようなヒット作が生まれません。
「そうこうしているうちに運転資金がショートした。簡単に言えば給料が払えなくなった」。
98年、地裁に和議申し立て。倒産です。負債総額75億円。ゲーム会社の倒産としては当時桁違いでした。
倒産とともに仁井谷さんも自己破産。会社は再建を目指したもののかなわず。ぷよぷよの知的財産権は売却しました。
「すべてを失った」という仁井谷さんは、その後、専門学校でプログラミングを教えたり、警備員のアルバイトをしたり。
千葉県内の安アパートを転々としながら、暮らしたそうです。
「ないですね。もともとぷよぷよのヒットだってたまたまだと思ったし。たとえば、目の前にステーキがあるとして、食べ終わって全部なくなった後、もったいないとか、惜しいことをしたとは思わないでしょ? それといっしょで、会社もなくなっちゃったとしか思わなかった」
なるほど。独特の解釈ですが、打たれ強さやガッツは十分に伝わってきます。さすが全共闘世代です。
もちろん、一獲千金の夢を捨てたわけでありませんでした。初心に帰り、コツコツとゲームづくりを続けました。
そして昨年11月、満を持して新作を発売しました。
その名も「にょきにょき(たびだち編)」です。(つづく)
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