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再審無罪…「俺の人生なんやったんや」記者が感じた冤罪の傷のむごさ
1986年の福井事件 再審で無罪が確定

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1986年の福井事件 再審で無罪が確定
15歳の少女を殺害した。そう疑われて1年後、21歳で逮捕された――。女子中学生を殺害したとして殺人罪で服役した前川彰司さん(60)はこの夏、やり直し裁判(再審)で無罪とする判決を言い渡され、確定しました。前川さんを「殺人犯」だとした証言はどのようにつくられたのか……。記者は、裁判の証人や捜査幹部たちを訪ね歩きました。(朝日新聞記者・荻原千明)
福井市で1986年に起きた女子中学生殺害事件。
当時15歳の女子生徒が灰皿で頭を殴られ、電気カーペットのコードで首を絞められ、顔や胸など約50カ所を刃物でめった突きにされていました。
事件から約1年後、当時21歳だった前川彰司さんが逮捕されました。
「被害者とは会ったこともない」と一貫して容疑を否認しましたが、起訴されました。
捜査側は、前川さんの知人たち6人から「事件の夜、血の付いた前川さんを見た」といった供述を得ていました。
しかし、捜査や裁判の中で証人たちの証言は変遷し、食い違いもありました。
1990年の一審・福井地裁判決は無罪でしたが、二審の名古屋高裁金沢支部は1995年に懲役7年の逆転有罪判決を言い渡し、最高裁で確定しました。
記者は14年前、朝日新聞福井総局の記者として、この事件の取材を始めました。前川さんは1度目の再審請求をしていました。
証人たちは「記憶とは違うことが調書になった」「警察に『こうだろ』と言われて『そうかもしれません』と答えたと思う」「警察が都合のいい言葉を拾って調書ができた」と話していました。
かつての捜査関係者は「犯人で間違いない」と言い募る人もいれば、「ごめんね」と戸を閉める人もいました。
前川さんと事件をつなぐ物証はなく、「自白」もありませんでした。取材を進めるほどに、冤罪(えんざい)だという思いを深めました。
服役を強いられた理不尽さはどれほどだっただろう――。本人の苦悩を思いました。
しかし取材を始めた2011年当時、1度目の再審請求中だった前川彰司さんに会うのは難しいことでした。
刑務所で精神に変調を来し、2003年の出所後も精神科病院に入退院を繰り返していました。
そこで、手紙を送り、やりとりしました。
「私は本当に無実なんです」「初めから警察サイドにはストーリーが出来ており」「何から何までウソ」――。前川さんからの手紙にはそう綴られていました。
それから14年。
今年8月、前川さんの再審無罪が確定しました。
記者はこの1年、事件の証人や捜査関係者を改めて取材し、前川さん本人にも50時間を超えて話を聞かせてもらいました。
再審判決は、捜査機関が前川さんの知人のうその供述に基づき、他の関係者たちの供述を誘導した疑いを指摘しました。
事実認定を揺るがす証拠を伏せた検察についても、厳しく非難しました。
ですが、前川さんが怒りをあらわにすることはめったにありません。
取材のため自宅を訪ねると、大福やクッキー、コーヒーやジュースを次々と勧めてくれます。取り調べや裁判のことを聞くと、淡々とした言葉が返ってきます。
有罪判決を受けた後、前川さんはキリスト教の洗礼を受けました。
服役を「恵み」といい、狂っていることが「正常」で、みじめだから「神」が寄り添ってくれる、と前川さんは言います。
「これでいいと思う」と自分に言い聞かせるように繰り返しつつも、ふと「俺の人生なんやったんやろ」とこぼします。
「物事にはいい面と悪い面がある」とも語ります。
逮捕から40年近くの苦しみの中で、得たものも大きい――。そう変換しなければ心が壊れてしまうほどの冤罪の傷のむごさを、前川さんの言葉から感じています。