連載
#17 はたらく年末年始
「避難所使ってもいい?」オンライン通訳の仕事 被災しても安心感を
旅行で訪れた海外で、災害や事故に見舞われたら――。日本を訪れる外国人が増えるなか、ショッピングから命に関わる医療現場まで、現場と外国人を遠隔地で橋渡ししているのが「オンライン通訳」のオペレーターたちです。年末年始を問わず、24時間、365日対応するというオペレーターの現場を取材しました。
スーツ姿のオペレーターたち数十人がずらりと並び、複数の言語が飛び交います。中央の座席に設置されたランプが赤色に点滅しました。「全員対応中」であることを示す通知ですが、すぐに解消されました。
ここは、新宿駅(東京都新宿区)からほど近いビルにある「BRIDGE MULTILINGUAL SOLUTIONS」のオンライン通訳センターです。
オンライン通訳センターの運営の責任者を務める、中国出身の高柏(コウ・ハク)さんが案内してくれました。
通訳センターでは、厚生労働省の委託を受けた医療現場の希少言語の遠隔通訳や、自治体や金融機関、鉄道会社などと契約して、日本語でのコミュニケーションが難しい対応が発生したときに、電話やオンライン、メールで間に入って通訳をします。
また、契約している地域の指令センターと電話をつなぎ、緊急通報の通訳もします。「火事ですか、救急ですか」。指令センター員の日本語を通報者に通訳しながら、住所を特定し、患者の様子や既往歴などの状況を聞き取っていきます。
「緊急通報の場合、通訳が間に入る分、通常よりも時間が2倍かかってしまいます。1秒でも早く出動できるようにするため、こういう時は『クッション言葉』を省いて、特定を急ぎます」と高さん。
「クッション言葉」とは「お電話ありがとうございます」「恐れ入りますが」などの常套句。オペレーターは緊急通報以外にも、役所の窓口や、鉄道・小売り・金融機関のお客様対応まで幅広い現場を請け負っており、状況に応じて瞬時に切り替え、通訳することが求められるそうです。
オペレーターは、クレームや緊急対応もこなせる日本語が流暢な外国人と、外国語をネイティブレベルで話せる日本人がおり、最大256言語に対応できると言います。
年間の通訳件数は約14万件。特に年末年始には月800~1000件ほど増える傾向があります。
クリスマスのギフト需要で小売店からの通訳依頼も増えるほか、観光客数も増える時期。あわせて増えるのが事故だといいます。レンタカーで温泉に向かっている途中で大雪で動けなくなった外国人からの「どこにいるか分からない」といった、差し迫ったSOSなどにも対応します。
来日19年目の高さんも、留学生として来日した直後は日本語が「まったく分からない状態」だったと言います。だからこそ、現場で言葉が分からない状態で不安な思いを抱えている人たちの思いが分かります。
2024年は元日から、緊急の対応が発生しました。午後4時過ぎ、都内で家族とご飯を食べている最中に、揺れを感じました。
テレビではアナウンサーが「テレビを見ていないですぐに逃げてください!」と連呼しています。能登半島地震でした。
「震度5以上で、無料の多言語通訳センターを立ち上げる」。社内の決まりに従い、高さんは即座に人員配置を考え、専用の番号を開設し、その日のうちに被災した自治体に知らせました。
能登には外国からの観光客も多くいます。「まずは『多言語での対応が来ても大丈夫、無料でお手伝いします』という安心感を被災地に与えるのが目的でした」と高さん。
災害時に通訳をする場面としては例えば、 避難所に来た外国人への対応だといいます。過去には外国人のこんな質問を通訳しました。「ここ(避難所)は私も使って良い場所なのでしょうか」
訪日客のなかにはこれまで地震を経験したことがなかったり、「避難所」という文化がない国から来たりした人が大勢います。日本の避難所はもちろん外国人でも使えますが、それは「避難所」という文化があるから分かること。
「外国人は、どこかで疎外感を抱いています。どこを使っていいのか、水をもらっていいのか、さっぱり分からないのです」。そう話す高さんにも、2011年、東日本大震災で被災した経験がありました。
2011年3月11日。宮城教育大学に留学中だった高さんは、仙台市の寮で強い揺れを感じました。「今日、死ぬんだ」という思いがよぎったといいます。
避難しようとしましたが、寮の防火扉に閉じ込められてしまいました。「誰かいますか?」と外から声をかけてくれた寮長が一緒に扉をこじ開けてくれて、逃げられました。「私は日本人に助けられてラッキーでした」
震災直後は停電のため、情報源になったのはラジオでした。しかし、漢字圏出身の高さんにとって、字幕を頼りに理解できるテレビと違い、ラジオの音声だけの日本語を聞き取ることは困難でした。
「『給水所』も何か分からない。『水をもらえるところ』と言われれば分かったのですが」
隣の人の行動を見て状況を判断するしかないことが、恐怖だったと言います。
同じ思いをする外国人の力になりたいと、被災した当日に仙台市国際交流協会に設置された無料の多言語災害支援センターで、情報を収集して翻訳するボランティアをしました。地元のFMラジオに「外国語でも放送させてほしい」と掛け合い、原稿をその場で翻訳して放送したこともあったそうです。「震災の時はとにかく必死でした」
そんな被災地での経験を振り返り、高さんは「恥ずかしながら、私も含めて多くの外国人は、『外国人なので嫌われているかもしれない』と感じながら、勇気を出して話しかける、という場面が多々あります」と話します。
もし周りに困った様子の外国人がいたら、「大丈夫ですか?」と声をかけてみてほしいと話していました。
高さんは、その後、避難バスで上京し内定式に参加した現在の会社で、医療通訳などを勉強してオペレーターとして活躍した後、責任者として現場を守っています。
災害の時には、泣きながら家族の安否確認をしてきた問い合わせに、残念な結果を伝えなければならないことも、医療現場では家族に「これ以上の延命は難しい」と伝えなければいけないこともあります。
高さんは、通訳するオペレーターたちは「中立の立場」を保ち、情報を「足さず、引かず、変えず」に伝えることが大前提だと指摘します。
無力感にさいなまれる時もあるそうですが、高さんは「母国語で話せるだけで、利用者に安心感を与えることはできている」と励ましているそうです。
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そば屋、神社、清掃工場、銭湯、介護現場……多くの人がお休みをとる年末年始も、変わらず働く人たちがいます。どんな思いで働き、どんなストーリーがあるのでしょうか。
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