ネットの話題
280時間かけ鉛筆で描いたボルト「今思えばちょっとどうかしてた」
「金属にしか見えない」「どれだけ拡大しても本物」……
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「金属にしか見えない」「どれだけ拡大しても本物」……
「金属にしか見えない」「存在感に圧倒される」……。SNSに投稿されたボルトとナットの画像が話題です。光沢や細かな傷、水滴などは一瞬、写真と見間違えそうですが、すべて鉛筆で描かれています。自身の〝神経質さ〟を逆手にとって作品を描いていましたが、いったんは鉛筆を置いた作家。再び鉛筆画家として歩み始めた背景を聞きました。
ボルトを描いたのは、岡山市に住む鉛筆画家の大森浩平さん(30)です。6月中旬、X(旧Twitter)に鉛筆画を投稿しました。
鉛筆で5ヶ月ほどかけて描いたボルトとナット、今思えばちょっとどうかしてた。 pic.twitter.com/0lT9fHUYpg
— 大森浩平展in瀬戸内市立美術館~6.30 (@kohei6620) June 19, 2024
投稿には「どれだけ拡大しても本物」「金属にしか見えない」「写真を超越して未知の次元」というコメントが寄せられ、「いいね」は16万を超えています。
大森さんによると制作は2017年で、制作期間は5カ月、計280時間をかけて描きました。使った鉛筆はHから4Bまで7種類。色の濃淡を使い分けます。
制作するうえでまず取り組む作業は、写真撮影です。
「天候が違うだけでも、モノの見え方や表情が変わってきてしまいます。描写対象に感じた魅力や美しさが一番引き立つ瞬間を写真に『固定』し、拡大して見ながら肉眼では拾えない部分まで描きました」
ライティングや構図にこだわって何十、何百とシャッターを切り、納得のいく1枚を選びます。「その手法だからこそ、ピントが合っている部分と、ピントがぼけている部分の前後感まで表現できるんです」
当時、一眼レフカメラを購入しましたが、使ったのはボルトの撮影時のみ。「カメラへのほこりや湿気の影響が気になって手元に置いておくことができませんでした。最近はスマホのカメラで撮影しています」
幼稚園の頃から図画工作が好きだったという大森さん。「自分は昆虫や恐竜図鑑の模写や、細部の書き込み・作り込みがやりがいでした」
3歳離れた兄も工作が得意で、お菓子のパッケージやトイレットペーパー・ラップの芯を使い、ロボットや銃を作って遊んでいたそうです。負けず嫌いだった大森さんは、「うまく描きたい、うまく作りたい」と競い合いました。
小中学校時代は夏休みの課題で描いた絵画が表彰されることもあり、自身の得意分野だと確信していったといいます。
しかし、同時に自身の性格の変化にも気づきはじめました。「なぜかと説明することは難しいのですが、中学3年間を過ごすうちにだんだんと神経質になり、萎縮して細かいことが気になるようになっていました」
普通科の高校に入学しましたが、「1日にいろんな授業や課題をこなすこと」へ負担を感じていたといいます。2年生に上がる頃は学校へ通うことにも限界を感じ、夏から通信制の高校に編入しました。
「人と会うことは苦手ではないのですが、一つずつじっくりかみ砕いて修得しないと進められないため、学校生活に適応するのが苦手だったのかもしれません」
通信制の高校へ編入後、進路について考えたときに思い浮かんだのが「得意」を生かすことでした。地元大学のデザイン学部を目指すため画塾に通い、デッサンを学びました。ジャンルは異なりますが、鉛筆で紙に描くことに慣れ親しんだ時期だったといいます。
大学へはデッサンを中心とした推薦入試を経て入学しました。しかし、再び行き詰まります。「多くの課題を抱えてそつなくこなすことが自分の性格に合いませんでした」。2年目から休学し、そのまま中退しました。
一方で、「一つのことに集中して突き詰めるのには向いている性格」だという思いを強くした大森さん。鉛筆で人や車などを描きました。
2017年、23歳のときに今回話題になったボルトの作品に取り組みました。5歳上の姉が途中経過をSNSに投稿すると、約30万の「いいね」がつき、広く認知されることに。本格的に発信をするようになりました。
「後先考えず力試しのような感覚で、とにかく一生に1枚のものを描きたいと思っていました。多くの反応をいただき、見失っていた存在価値や意義を感じることができて頑張る方向性が見えました」
下の弟はえんぴつで精密な絵を描くのが得意なんだけど、最近はずっと、このボルトとナットを描いていて、さすがにすこし狂気を感じる。これは、240時間目の状態(未完成)だそうです。写真じゃないんです… pic.twitter.com/mbFoW2KCqI
— 大森静佳 (@oomrshiz) October 24, 2017
クオリティを追求し、不定期で作品を発信しました。海外メディアでも取り上げられ、国境を越えてフォロワーが増えたそうです。
しかし、2022年9月、突然SNSで〝引退〟を告げました。
「絵を描くこと、完全な状態で作品を保管することに神経を使って疲れていました。一度はすべて燃やそうかとさえ思い、鉛筆画と縁を切れば楽かなと思って引退宣言をしました」
大森さんはそう振り返ります。
SNSユーザーからは「休んで復活してほしいです」「とても勇気のいる決断だったと思います」「ご自身のペースで好きな時に好きなように表現の形を変えていかれて下さい」「ここまで極められたご自分は誇るべきだと思います」と気遣いや惜しむ声が寄せられました。
一度は鉛筆を置いた大森さんでしたが、2023年10月、再び鉛筆画を描く動画が公開されました。きっかけは、岡山県にある瀬戸内市立美術館長・岸本員臣(かずおみ)さん(74)からの「個展」の提案でした。
岸本さんはSNSでの〝引退宣言〟には気づいていませんでしたが、2017年に地元紙で大森さんの「ボルト」を見てからというもの、直接自宅に作品を見に来てくれたり、グループ展に誘ってくれたり、声をかけてくれる存在だったといいます。
「認めてくださる方や求めてくださる方がいる以上は、進み続けられたら」
作品の保管や運搬に感じるストレスを伝えると、岸本さんのもと美術館で保管してくれることになりました。「今まで背負っていたものを少し下ろせ、もう一度描けるようになりました。岸本さんのおかげです」
館長の岸本さんはボルトの絵を見たとき、「突き抜けすぎている」と胸を打たれたそうです。
「大森さんの絵は人々に感動を与えられる作品だと確信している」と話します。
「どうしても美術館で個展を開いてもらいたいと思いました。大森さんの作品は技術もダントツですが、『ピュア』で『プリミティブ(根源的な)』な美の感性があります。大森さんの『美』のフィルターを通しているからこそ、ボルトのような日用品もとても美しく表現されるのだと思います」
大森さんから〝引退〟を聞いたときは驚きましたが、「環境を整えておかないとあのような作品は生まれない。何とかしたい」とサポートを申し出ました。
こうして開かれた大森さん初の個展「鉛筆画 大森浩平展」。ボルトをはじめ、腕時計や蛇口、スニーカー、ビール缶など、生活のなかにあるアイテムを中心とした鉛筆画が15点展示されています。
大森さんがモチーフ選びで大切にしていることは、海外の人も含め、老若男女に質感や重さ、手触りがイメージできるもの。
ヒントを得るためにホームセンターを訪れることもあり、「ボルトはパッと目が行って『これだ!』と思いました」。
金属を描く鉛筆画が多いことについては、「金属はモノクロでも自分が感じた魅力や美しさが損なわれず、むしろ引き立つ」と考えています。
写実的な鉛筆画で多くの人を驚かせてきた大森さん。
今後については「見てくださる方が自ら設定してしまっている限界値を押し上げられるような作品を描いていきたいです。みなさんがエネルギーや原動力を感じてもらえたら」と話しています。
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