連載
#34 親子でつくるミルクスタンド
牧草エリアに亀裂、復旧見通せない牧場も…暮らしを支える酪農の被害
能登半島地震 能都町・穴水の牧場の被害
正月に発生した能登半島地震。今も多くの人が1次避難所に身を寄せ、なかなか先が見通せない日々が続きます。次第に課題として浮かび上がってくるのが産業の復旧です。暮らしが戻ってきても、その基盤となる産業が復旧しなければ、復興にはつながりません。大きな被害が出ている牧場を訪ねました。(木村充慶)
石川県能登町の山間部にある西出牧場では、地震の影響で、柱が傾いたり、壁がはがれたり……さまざまな被害が出ています。
地震で揺さぶられた農機具も、一部が損傷してしまいました。
さらに、牛のエサである草をとる「採草地」には、段差1メートルほどにも及ぶ亀裂ができてしまいました。
西出牧場の西出穣さんは「現時点では、すぐに使えなくなるような状況ではない」と話しますが、いまだに地震が頻発しており、「いつか倒壊するのではないか」と不安を感じています。
トウモロコシなどの配合飼料は購入しづらい状況が続きましたが、西出牧場では牧草を自分たちで作っていました。
地震後のエサは「最低限のものは自家産のものでなんとかしのげました」と話します。
影響が大きかったのは水道管の破損です。乳牛が飲んだり、搾乳に使用する機器の洗浄に使ったりするため、酪農では大量の水を使用します。
西出牧場では、隣の牧場とともに近くの井戸水をポンプで引いていましたが、送水管が破損してしまい、使えなくなってしまいました。
そこで、近くの川に毎日何度も水をくみにいっていました。1頭あたり100リットル必要と言われる大量の水を、トラクターで運んでいたといいます。
十分にエサや水を確保できなくても、酪農家たちは搾乳をしなければなりません。
乳牛はたくさんミルクが出るように品種改良されているため、搾らないと乳房炎などの病気になってしまうからです。
しかし牧場に続く道路の損傷もひどく、ふだん生乳を回収している集乳車は来られません。搾ったミルクは泣く泣く廃棄していたといいます。
余ったミルクをなんとか活用できればと思い、西出さんはミルクを近くの避難所に提供しました。
東日本大震災以降、災害時の特例として、許可された処理施設で加熱殺菌しなくても、牧場で搾られたミルクを加熱殺菌して、無償提供することは認められています。
「どうせ捨ててしまうなら、避難されている方々に飲んでもらえればなと思いました」
幸い、西出牧場の電気はすぐに復旧、送水管も隣の酪農家と修理しました。そして、1月14日には収入源であるミルクもようやく出荷できるようになったそうです。
とはいえ、災害前と比べると搾乳量は激減し、3分の2程に落ち込んでいます。
牛たちは震災後、興奮してしきりに鳴き声をあげるなどストレスを抱えていたり、エサや水を思うように与えられなかったりしたことも影響しているようです。
それでも西出さんは「なんとかスタートラインに立てた」と話します。
ただし、最大の懸念である建物の修繕については予断を許しません。
「今回の地震は3年前から続く群発地震と言われているため、もう終わりとも言い切れません。今後来るかもしれない大きな地震にも耐えられるような牛舎を整備し、若手が多い能登の酪農家が将来に希望を持ち、営農を続けられるような支援が必要です」
西出さんは被災した当初から、「現状を伝えなければ」と積極的にSNSで発信しています。
その理由のひとつは、「被害を伝え、酪農家への支援につなげたい」という思いがあるからだといいます。
全国的には高齢の酪農家が多く、後継者問題が叫ばれていますが、能登地方は親子の事業承継がうまくいったケースやほかの地域からの新規就農などがあり、半数以上が若い酪農家だそうです。
「うちよりも、もっとひどい被害の牧場もあります。多くの牧場主が私と同じ30~40代ですが、なんとか酪農を続けたいと思えるよう、そして、能登の牧場がなくならないよう、サポートしていただきたいです」
西出牧場をはじめとした能登の牧場5戸の牛乳から作られているのが「能登ミルク」です。スタイリッシュなデザインの瓶は、全国的にも有名な牛乳です。
製造元の「能登ミルク」は、牛乳販売のほかにも、石川県七尾市の和倉温泉でジェラート屋を営んでいます。
和倉の観光の中心的な存在でしたが、現在は地震の影響で臨時休業中です。
能登ミルク社長の堀川昇吾さんも被災し、家族とともに避難所に身を寄せているといいます。
ジェラート屋の再開はゴールデンウイークごろを目指して進めているそうですが、「能登ミルク」の今後について考えていると話します。
こだわりの自家飼料を使うといった基準で選定した5戸のミルクから作っていた「能登ミルク」。しかし、3戸の牧場は再開のめどが立っておらず、再販売したくても原料が足りない状況です。
能登以外の牧場のミルクを入れるとしたら、パッケージの文言などを変更する必要があります。
しかし堀川さんは、「前向きに新しいことをやっていきたい。今までにない新しいミルクをつくって発信していきたいと思っています」と力強く語ります。
こちらも被害が大きい穴水町では、町の中心地は昔ながらの木造住宅が軒並み倒壊している状況でした。
山間で放牧を行う牧場「たんぽぽファーム」は、地震でものすごく揺れ、ものは散乱したそうですが、建物などに被害はほとんどなかったといいます。
道坂一美(かずみ)さんは「もともと野生のようなスタイルで飼っていたので、大きな問題はありません。牛たちは怖がって牧場の真ん中に集まっていましたが、すぐに元通りになりました」と話します。
地震と関係なく、昨年夏頃から井戸水が使えなくなっていたため、近くにある湧き水をくみにいっていました。そのため、地震の発生後もいつも通りの作業を続けているだけだといいます。
国税局・石川県庁などで働いていた元公務員の道坂さんは、「地域にちゃんとお金が落ちる酪農を行いたい」と、60歳から牧場を始めたそうです。
そこで、搾乳したミルクと、育てた牛の肉を、組合などを通さず、輪島の有名レストランにすべて卸していました。
ミルクはレストランですべて加工され、バター、クリーム、チーズになって料理で振舞われていたそうです。
地元のレストランのシェフと二人三脚で、付加価値をつけて販売できる理想的な形でした。
しかし今回の地震で、そのレストランが倒壊し、今後の先行きが全く見通せなくなったそうです。
幸いにもシェフは無事でした。大きな被害を被りながらも、今は地域の飲食店関係者や生産者と連携し、炊き出しで地域の方々に料理を振る舞っているそうです。
「彼ならきっと復活してくれる」と考えているものの、「収入がない現状をずっと続けるわけにはいかないので、なんとか改善する方法を考えなければ」と話します。
被災した牧場はもちろん、関連する様々なところに影響が広がっています。
ひとつひとつの牧場が復旧することも大事ですが、地域の産業はつながっています。行政の縦割りだけでなく、それらを俯瞰して横断的なサポートをしていく大切さを考えさせられました。
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