連載
#32 親子でつくるミルクスタンド
断水・生乳の破棄…「乳牛は諦める」能登半島地震、牧場主の重い決断
つぶれた牛舎 甚大な被害が出た牧場も
元日に発生した能登半島地震。2週間以上が経った今も1次避難所に1万数千人が身を寄せていたりと、予断を許さない状況が続いています。人命もさることながら、酪農や畜産にも大きな被害が及んでいます。石川県珠洲市の山奥では、飼育していた牛を諦め、避難を選んだ牧場もありました。(木村充慶)
珠洲の山奥で放牧酪農を行う松田牧場。ここでは肉用の牛を約60頭と、牛乳用の牛を約45頭飼育しています。
今回の地震の揺れで、4棟の牛舎のうち1棟が大きく傾いてしまいました。
牧場主の松田徹郎さん(35)は、「いつ倒壊してもおかしくない」と考え、中に入れていた牛たちを外に放す対応をしています。
筆者が牧場を訪ねた1月18日現在、牧場にはいまだ電気も水道も復旧していませんでした。
被災した一部の従業員は避難したため、松田さんとふたりの従業員とともに、なんとか牛の世話を続けている状態でした。
「被災した日からずっと牧場で作業しています。まだ一度も風呂に入れていません」
電気が途絶えたことで、機械類が使えなくなりました。松田さんは何よりも「水がないのが大変」と話します。
搾乳する乳牛は1頭あたり1日で100リットルほど、肉牛だと30リットルほどの水が必要です。
そのほかに搾乳する機械の洗浄などにも膨大な水を使います。
そのため松田さんたちスタッフは、近くの湧き水からホースで水をひいてきたり、大きな容器に水を入れてトラックで運んできたりして、大量の水を手作業で確保しています。
ふだん搾乳した生乳は、集乳車が来て渡していますが、地震発生後から一度も来られていません。搾ったミルクは破棄せざるをえない状態です。
電気や水が復旧してきたとしても、乳牛は大量の水を与えたり、朝晩の搾乳作業をしたりといった負担が大きく、松田さんはすでに「乳牛を諦める」決心をしているといいます。
「和牛も乳牛もすべて放牧で、と頑張ってきましたが、いったんは和牛だけに切り替え、夢は諦めることになりました」と話す松田さん。
しかし現在、飼育している乳牛を売ろうにも、まだ業者が来られない状況です。
松田さんから「もっと大きな被害の出た牧場が近くにある」と聞き、連れていってもらいました。
牧場への道が土砂崩れでふさがれ、歩いて向かうほかはありませんでした。
20分ほど歩くと、ようやく牧場が見えましたが、牛舎が倒壊しているのが分かりました。
牧場への道がふさがれてしばらく孤立していたようですが、牧場主はヘリで救出され、今は避難先にいるとのことです。
牛舎の屋根には地元の小松瓦が使われており、その重みで1階部分はぺしゃんこになっていました。
松田さん経由で避難した牧場主にも許可をもらって、牛舎に近づきました。
天井の隙間部分から、梁などに押しつぶされたり、エサや水がなく息絶えたりした牛たちがそのままになっていました。
息をする音がして、数頭の牛が生きていることもわかりました。
しかし、屋根が覆い被さり、もう立つことができません。牛はゆっくりと息をしながら、瞬きをしていました。
「助けたい」と思っても、重い屋根がかぶさっていて、私たちにもどうしようもありません。
牛を置いて避難を選んだ牧場主の気持ちを思うと、言葉もありませんでした。
かろうじて屋根の落ちていないエリアには、親子3頭がいましたが、周囲はもので散乱していました。
松田さんが近くにあった飼料と水を与えました。少しエサを与えたところでどうしようもないことは、松田さんも筆者も理解していましたが、それでも…という気持ちでした。
ただでさえ危険な山道を、牛を連れて帰ることもできません。牛たちを残して、少しでも早く道路や電気といったライフラインが復旧してほしいと願うことしかできませんでした。
筆者は都内でミルクスタンドを運営しており、これまで全国各地の牧場を訪ねてきました。
飼料の高騰など、ただでさえ苦しい経営が続く酪農や畜産。しかし私たちの食生活を支える大事な産業でもあります。
被災して大きなダメージを受けた産業をどのように支えたらいいのか。
農協や自治体なども支援に向けて動いており、今後は建物の再建などへの補助の動きもあるそうです。
牧場の牛舎が傾いた松田さんは「今回の地震前に、牛舎を補修するために補助金を申請したところ、土砂災害のリスクがある場所だということで申請が認められませんでした」と振り返ります。
「今回は被害がひどいため、補助金がおりないと自分ではどうしようもありません。なんとか補助が受けられないかと思っています」と話します。
予断を許さない現状に、牧場主たちの精神状態もギリギリになっていると感じます。
少しでも復旧に近づくよう、今後も支援を考え続けていきたいと思います。
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