連載
#29 親子でつくるミルクスタンド
ジャージー牛で畜産に挑戦 こだわりの「放牧ミルク」を諦めた理由
広島県三次の「二本松牧場」
青草のみを食べたジャージー牛の、5カ月間限定のミルク。放牧にこだわった唯一無二の味でしたが、今年で生産をとりやめることになりました。「こんなにおいしい牛乳がなくなるなんて」という声も聞かれましたが、生乳で売り上げを上げていくことは難しかったといいます。「乳牛で畜産をやる」という新たな挑戦を始めることになり、その経緯を聞きました。(木村充慶)
広島県三次の山間部にある「二本松牧場」。東京ドーム2個分以上にあたる10ヘクタール以上の広大な土地で、牛たちは365日ずっと放牧されています。
日本の酪農では、牛舎で牛を飼うスタイルが主流で、牧草のほかにも栄養価の高い穀物をよく食べさせます。
近年、注目されている放牧スタイルでは、屋外の草を中心に食べさせますが、穀物も与えることがほとんどです。
しかし、二本松牧場ではいっさい穀物も与えず、牧草と雑草のみで牛たちを育てています。放牧地も地域で使われてこなかった田んぼを活用しています。
通常の牧場では1年を通して牛乳を販売しますが、二本松牧場は春から秋にかけての5ヶ月間しかミルクを販売しません。
草の質がいい5月から9月のミルクは風味豊かといいますが、夏のエサが青草のみの二本松牧場では特に風味が強く出ていました。
牛にとっても搾乳するタイミングは栄養価の高い青草を食べさせたいと考え、お産の時期を4~5月に合わせるようにしました。
結果、青草のみを食べた元気な牛のミルクが5ヶ月限定で販売されるようになりました。
放牧の牛乳を中心に扱うミルクスタンドを経営する著者でも、聞いたことがないほどのこだわり。そんな二本松牧場のミルクは、ものすごく黄色く、甘みもあります。
しかし、そんな放牧ミルクを今年でやめてしまったのです。実は昨年、二本松牧場の牧場主・織田正司さんから電話をもらい、経営が厳しいことは聞いていました。
全国的に酪農の経営は厳しく、「やめるかもしれない」という話は次から次に入ってきます。
今年の夏を過ぎた頃、牛乳の販売を相談している時に、酪農をやめる決断をしたと聞かされました。
ずっとやめるか否か考えてきた上での決断で、私がとやかくいえることではありません。
「こんなこだわりの放牧ミルクがあった」という事実を残したく、筆者のミルクスタンドでは、最後に搾乳した牛乳を扱わせていただきました。
最後のミルクをたくさんの方が飲みにきてくれましたが、「こんなにおいしい牛乳がなくなるなんて」と残念がる声ばかりでした。
織田さんは2005年に、酪農をやめる人がいると紹介されて二本松牧場を引き継ぎました。
健康的に育てられる方法がないかと模索し、2009年から「放牧」を始めました。今まで牛舎の中で暮らしていた牛たちを放牧させ、エサは草だけで健康的に飼育するのは並大抵のことではありません。
自然の力を最大限活用したいと考え、土の改良は最小限に。飼育する牛を、体がひとまわり小さく、放牧に適しているという茶色い「ジャージー」に変えました。
「土地はなるべくそのまま、牛たちもなるべく自然に近いかたちで飼育していました。色々な草を食べているせいか、ミルクは他にはない唯一無二の味だと感じました」
しばらくは近くのチーズ工房などへの出荷のみでしたが、牧場のこだわりの牛乳を飲んでもらいたいと考え、2015年から近くの乳業メーカーの力を借り、牧場の牛乳の販売をスタートしました。
しかし、数年前から分娩後の牛の血液が低カルシウムの状態に陥ることが多くなったそうです。様々な人に助言をもらって試しましたが、なかなか改善できませんでした。
さらに、牧場経営も芳しくなかったと言います。
収入のメインであるはずのこだわりの牛乳ですが、なかなか売上が伸びず、結果、チーズやお菓子などの加工用に販売することがほとんどだったそうです。
加工用だと、どうしても付加価値を上げて販売できず、売上が改善できませんでした。
危機的な状況に悩んだ末、織田さんは酪農をやめ、乳牛たちの肉を販売する畜産をやっていくことにしました。
以前から二本松牧場では、乳牛の肉販売を積極的に行っていました。
一般的な牧場では、搾乳できなくなったメス牛や、生まれたオスの子牛はすぐに市場に出します。
それを育成や肥育を専門とする牧場が育てて、お肉になる「肉牛」として育て、出荷されます。
酪農家にとってはミルクだけでなく、副産物である「肉牛」は貴重な収益源です。
しかしジャージー牛は、脂肪分が高くおいしいミルクを出す一方で、脂肪がサシとしてたっぷり入った和牛と比べると、肉としては価値が低くなりがちです。
さらに、放牧では草由来のベータカロテンという成分の影響で脂身が黄色くなります。その見た目も相まってジャージーの放牧牛は肉としての販売は難しいとされます。
しかし近年では、牧草のみを食べて育った「グラスフェッドビーフ」が世界的にも注目されています。脂身が少ない分、ヘルシー志向の人にも人気があります。
そこで織田さんは、一般的な牛の市場にそのまま出すのではなく、自ら育て上げて肉にし、その魅力をわかっている人に直接販売するようにしました。
実際に売り始めると、ジャージーの放牧牛の肉はとても人気があり、実態としてはミルクよりも売上が高くなったそうです。
本来は酪農の副産物だった乳牛の肉ですが、経営状態が厳しくなってきたこともあり、肉牛一本にしていくことにしました。
和牛など肉専用の牛を育てる畜産に切り替えるならともかく、「乳牛を肉牛として育成・販売する」ことに特化することは聞いたことがありません。
織田さんに「なぜ『乳牛』で畜産をやるんですか」と尋ねると、「何より放牧や風景を大切にしたいから」と答えてくれました。
「ミルクで経営改善しようとすれば、牛を増やすしかありませんが、放牧の場合には広大な土地が必要なため、今の頭数だと多すぎて厳しいです。放牧を始めて、自然の力を生かし、牛たちにもなるべく自然の草のみを食べてもらいと感じるようになりました」
「この地域だと、肉牛の放牧はよく見られるのですが、乳牛の放牧はほとんど見ません。ジャージーたちが放牧されている風景をここに残したいと思うようになりました」
経営転換を余儀なくされても、なお「放牧」という信念を貫く織田さん。
ほかとは違う「乳牛を肉牛として育成・販売する」チャレンジは簡単ではないですが、大いに意味があると感じます。厳しい酪農・畜産業界で、ほかと同じことをしていても活路は見いだしづらいからです。
業界内外の人たちの知見を活かしながら、新事業をなんとか軌道に乗せてほしいと願っています。
織田さんは今後、まずは今飼っている乳牛たちを肉牛にして肉の販売をしていきますが、他の牧場の放牧牛も購入し、肉加工をがんばりたいと考えているそうです。
とはいえ、織田さんは「自分でも、どうなっていくかわかりません」と苦笑します。
「販売だけでなく、飲食をメインにするかもしれないですし、もしかしたら、それがハンバーガー屋になるかもしれません。色々な人の意見を聞きながら、最適なやり方を探っていきたいです」
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