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#35 #啓発ことばディクショナリー

「社員は宝と言うけど…」〝人財ブーム〟に三木那由他さんが抱く不安

「強い人」が言葉の意味を歪める暴力性

人材を「人財」と言い換えることについて、三木那由他さんは「社員は財産、宝物である。そうアピールしたい、企業側の意図を感じます」と指摘します
人材を「人財」と言い換えることについて、三木那由他さんは「社員は財産、宝物である。そうアピールしたい、企業側の意図を感じます」と指摘します 出典: Getty Images ※画像はイメージです

目次

経済誌などに、たびたび登場する言葉「人財」。「会社の役に立つ働き手」というニュアンスを強める形で、「人材」を書き換えた造語です。企業が求人サイト上の文言に盛り込むなど、ブームの様相を呈しています。しかし言語哲学者の三木那由他さんは「『人財』を定義する際に、職場で強い権力を持つ人の意向が優先されるかもしれない」と懸念します。「意識高め」な語句がコミュニケーションに及ぼす影響について、考えました。(ライター・神戸郁人)

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#啓発ことばディクショナリー

辞書に載るほどの「人財」人気

「人財」は、特に労働の領域において、よく使われている語句の一つです。例えばコンビニ大手のローソンは、「自ら考え、自ら行動する」社員を「コア人財」と定義。会社の持続的な成長に貢献する、重要な存在であるとしています。

また生活用品製造・販売大手の花王も、学生に求める資質をまとめたコーナーを、「花王で共に目指す人財像」と題して新卒採用サイト上に掲載。様々な企業に受け入れられていることがうかがえます。

2021年発売の三省堂国語辞典(第八版)には、「人材」の項目に「『財産である人』の意味で『人財』とも」との説明が記されており、既に広く一般化した言葉であると言えそうです。

筆者は以前、「人財」の起源や用例について調べたことがあります。その結果、景気が悪化すると、経済誌などでの使用頻度が高まる傾向が見て取れました。事業や人事の決定権を持つ企業の経営層が、一般の労働者に対して用いる点も特徴的です。

【関連記事】「人材」を「人罪」と呼ぶ企業…〝残念な当て字〟が生まれた理由

自らの職務上の能力を磨き続け、時流に聡く、大きな業績を上げてくれるーー。「人財」の二文字を眺めていると、企業が社員に対して抱く、そんな理想像が透けて見えてきます。このようなイメージは、いかにも力強く、頼もしく感じられるものです。

しかし、上述のイメージが一人歩きしてしまうと、働き手にとっての圧力になりかねません。職場の上位者が、部下の優秀さを常に査定し、「人財」たり得ないと判断した者を冷遇する……という事態が生じることも懸念されます。

そう考えると、「人材」を「人財」に書き換えて用いたとき、企業内のコミュニケーションに何らかの影響が及ぶようにも思われます。この言葉を使う際の留意点について、言語哲学者の三木那由他さんに聞きました。

私たちは話しながら「約束」する

三木さんは、言葉とコミュニケーションの関係性を研究しています。発話によって何かを伝えようとする行為を対象に、その本質を探ってきました。

「社員は財産、宝物である。そうアピールしたい、企業側の意図を感じます」。三木さんは「人財」から得た印象を、そう語りました。働き手を大切にしていると、対外的に強く示そうとする姿勢は、確かに読み取れるかもしれません。

一方で、自身のコミュニケーション観に照らして、気になった点もあるそうです。

三木さんによると、私たちはコミュニケーションをとる際、相手と様々な「約束」を交わしています。

たとえば話し手が「いい天気だね」と発言したとき、話し手は「自分は今日が晴天だと信じているんだぞ」というふうに振る舞うでしょうし、聞き手も「今日は晴天だと少なくともこの話し手は信じているのだな」と考えているように振る舞うはずです。つまり「約束」とは、会話の前提となる合意を指します。

「英国の哲学者マーガレット・ギルバートは、そのような合意を『共同的コミットメント』と呼びました。共同的コミットメントが形成される状況においては、一つ一つの言葉の意味も、話し手と聞き手が協力しながら定義していくことになります」

出典: Getty Images ※画像はイメージです

しかし「人財」の内実について語らう場面では、そうした〝協業体制〟が必ずしも成り立たないのではないかと、三木さんは考えているといいます。

語句が持つ「企業の上層部が一般の働き手に対して用いることが多い」との性質が理由です。

「どんな処遇なら、労働者を『人財』とみなしていることになるかに関して、企業幹部と新入社員の認識にずれが生じたとします。本来なら共同的コミットメントをつくる過程で、『こういう取り扱いなら妥当だね』と落とし所を見つけられるでしょう」

「ただ、新人が意見を述べるのは簡単ではありません。結果的に発言権が強い幹部の考えが優先される可能性もある。『人財』が実体を伴うには、話し手と聞き手が意見をすり合わせる段階で、互いの対等性が保障されなければならないと思います」

言葉の意味が歪められる暴力

ところで、三木さんいわく、上述した共同的コミットメントには注目すべき特色があります。

会話に参加している人々に、コミュニケーションの前提となる合意にふさわしい行動をとるよう要請する、という点です。

三木さんの著書『言葉の展望台』(講談社)に登場する例を基に考えてみます。友人と「これから一緒に毎朝ジョギングすることにしよう」と約束した後、寝坊して相手を待たせたり、予定をすっぽかしたりすれば、非難は免れないでしょう。

すなわち、同じ共同的コミットメントに関わっている人が、合意の範囲を逸脱する言動に及んだとき、他の会話参加者は戒める権利を持つのです。この権利を行使することで、互いの振る舞いが事前の取り決めに沿うよう水路づけられていきます。

出典: Getty Images ※画像はイメージです

ところが、経営者と新入社員といったように、参加者同士の立場が非対称的である場合、上記の調整機能が十分に働きません。

すると、どういったことが起こりうるのか。企業が「人財」を用いるケースを念頭に、三木さんが語ります。

「『人材』を『人財』と表すと、書き換える前後で許容される行動が変わります。『働き手を一層大切にする』との共同的コミットメントが、企業内で形成されたとしましょう。基準を満たすように働き方を改善する、といったことが期待されそうです」

「しかし仮に、以前から続く労働問題が相変わらず放置されるなどしていて、しかも職場の上司が状況をコントロールできるとしたら、どうでしょうか。立場が弱い部下は、きっと抗議しづらいだろうなと思います」

この場合、実質的には、企業や上司にとって有利な方向に合意が歪められています。にもかかわらず「人財」が使われ続けると、言葉の上では公正さが保たれているように感じられるため、現実との間に矛盾が生じるのです。

コミュニケーションにおいて、より強い権力を有する側が、発言や言葉の意味を一方的に定めたり変えたりしてしまう。こうした状況を、三木さんは「意味の占有」と呼んでいます。

多様な人々と言葉を磨く

利害や立場が異なる者同士が納得し合える、最大公約数的な合意。それを反故(ほご)にする「意味の占有」を回避するために、何かできることはあるのでしょうか。

三木さんは「万能な対策はないかもしれません。でも、不当なコミュニケーションが起こりにくい言葉選びは可能だと思います」と語ります。そして、自身がトランスジェンダーであることに触れながら、次のように説明してくれました。

三木さんは教員として大学に勤めながら、トランスジェンダー当事者のコミュニティーにも属しています。メンバーの間では、性別などに関する単語を、自分たちの感覚になじみやすい表現に改めて用いる文化があるのだそうです。

たとえば生まれつきの性別は、一般に「体の性別」と呼ばれます。これを「(社会から)割り当てられた性別」と言い換え、性自認を巡る当事者の葛藤が、社会のありようと地続きであると示す、といったことが行なわれているといいます。

そして三木さんは、こうした語句を、コミュニティー外の友人や家族に対しても積極的に使っているそうです。その理由として、トランスジェンダーにまつわる偏見や差別の解消を挙げました。

「トランスジェンダーの人々が、自分の性について非当事者に伝えるとき、その内容が聞き手にとって都合よく解釈される場面は少なくありません。だからこそ、当事者が望まぬコミュニケーションにつながりにくい言葉を広めるようにしています」

「『人財』についても、同じことができると思うんです。企業内外の人々と話し合いながら、職場の上位者の意向が、その意味内容に反映されづらい呼称を一緒に考えてみる。そんな風に言葉を磨いていけるのではないでしょうか」

語句が意味するところを決めるプロセスに、幅広い層を巻き込み、一部の人に有利になるような独善的判断を防ぐ。そのための地道な努力が、より良いコミュニケーションを生み出すきっかけになるのかもしれません。

 

三木那由他(みき・なゆた)
大阪大学大学院人文学研究科講師。専門は分析哲学、特にコミュニケーションと言語の哲学。もともとは哲学者ポール・グライスのコミュニケーション論を批判的に検討していたが、最近はそれをもとに提唱するようになった共同性基盤意味論という枠組みでのさまざまな不当なコミュニケーションの分析に関心を持っている。著書に、『話し手の意味の心理性と公共性』(勁草書房、2019年)、『グライス 理性の哲学』(勁草書房 2022年)、『言葉の展望台』(講談社、2022年)、『会話を哲学する』(光文社新書、2022年)がある。2023年現在、文芸誌『群像』で「言葉の展望台」を、ウェブメディア「Re:Ron」で「ことばをほどく」を連載中。
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【連載・#啓発ことばディクショナリー】
「人材→人財」「頑張る→顔晴る」…。起源不明の言い換え語が、世の中にはあふれています。ポジティブな響きだけれど、何だかちょっと違和感も。一体、どうして生まれたのでしょう?これらの語句を「啓発ことば」と名付け、その使われ方を検証することで、現代社会の生きづらさの根っこを掘り起こします。記事一覧はこちら

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