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連載

#2 #啓発ことばディクショナリー

「人材」を「人罪」と呼ぶ企業…〝残念な当て字〟が生まれた理由

経済停滞がもたらした「自己責任論」

日本の経済が低迷し始めた昭和末期以降、日本型の終身雇用が崩壊。多くの働き手がリストラの嵐に巻き込まれます。そんな時代に登場した「人財」と「人罪」という言葉について、記者が調べました。(画像はイメージ)
日本の経済が低迷し始めた昭和末期以降、日本型の終身雇用が崩壊。多くの働き手がリストラの嵐に巻き込まれます。そんな時代に登場した「人財」と「人罪」という言葉について、記者が調べました。(画像はイメージ) 出典: PIXTA

目次

働き手は、常に成長しなければならない――。企業の中で、そんな考え方が当たり前に共有されています。街中でよく目にする「人財」という言葉も、その影響を受けているのかもしれません。日本経済が停滞し始めた頃の経済誌には、「使える人財」「排除すべき人罪」といった表記も。当時の社会情勢に照らし、振り返ってみると、働き手を選別する機能を果たしていたことが分かりました。(withnews編集部・神戸郁人)

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52年分、419冊を分析

「人財」という言葉について、企業活動と切り離して語ることはできません。もしかしたら、経済状況の変化と、言葉としての広がり方は関係しているのではないか。筆者はそう考えて、国会図書館で経済の専門誌を調べてみました。

国会図書館の書籍検索画面で「人材」「人財」と打ち込むと、1千冊強の雑誌や単行本などのタイトルが表示されます。このうち、働き手を「人財」と表現している資料を抽出。1968~2020年の52年間に発行された、計419冊を分析対象としました。

そんな「人財」ですが、1980年代に入ると、自己責任と結びついた使われ方をされるようになります。

【「人財」考察記事・前編】「人材」じゃなくて「人財」どんな意図が? 起源は高度経済成長に
【「人財」考察記事・後編】「人材」を「人財」と呼びたがる本当の理由 承認欲求煽るスパイラル

終身雇用「ぬるま湯」と批判する社長

高度成長期、空前の好景気を背景として、労働者を「投資」対象と捉える企業が増えていきました。時間とお金をかければ、人材は優秀な「人財」に変わる。そのように、ゆったり構えるだけの余力が、経営者側にも残っていたのです。

しかし、二度のオイルショックを経て、日本経済は減速局面に入ります。低成長ぶりが顕著になった1970年代末~1980年代、働き手に注がれるまなざしは、鋭さを増していきました。

この時期、「人財」を巡る語りの中に登場したキーワードが、主に二つあります。①日本型雇用制の否定②高度情報化と能力主義の進展です。当時流通していた経済誌を読むと、情勢がよく理解できるでしょう。

84年1月発行『先見経済』(清和会)を見てみます。あるメーカー社長は寄稿文で、今後は従来ほどの経済成長が望めないと指摘。生産現場へのコンピューター導入などの変化も挙げ「人材を『人財』たらしめ、その頭脳を資源化していかなければならない」としました。

更に、終身雇用を「ぬるま湯的温情主義」と批判した上で、社員個人の能力向上を訴えています(①)。

「人財格差は企業格差をもたらす」

よく似た主張は、別の経済誌にもみられます。一例が、84年7月発行『月刊総務』(現代経営研究会)に掲載された、日本総合研究所主任研究員(当時)・江口泰広さんのコラムです。

江口さんは、通信衛星などを介して市場が国際化すると予測。そして企業が、自社サービスユーザーの、多様なニーズを押さえる重要性を説きます(②)。更に「最大の安定は変化すること」「人財格差は企業格差をもたらす」と、経営手法の刷新を呼びかけました。

東京商工リサーチによると、84年には企業の倒産件数が2万件を突破し、統計が残る52年以降、過去最多に。足元の不安定さが増し、各社とも生き残り戦略を考えざるを得なくなります。

やがて企業側からの働きかけに頼ることなく、仕事のスキルを高められる働き手を「人財」とみる空気が、経営者層の内側で生まれました。この頃を境に、キャリアアップの重心が、組織から労働者個人に移ったと言えるでしょう。

経済低迷で登場、五つの「ジンザイ」

ところで、80年代後半以降、各経済誌が盛んに使い始めた用語があります。「人財」以外の文字で表記された、新たな「ジンザイ」です。

「人罪(やる気がない上、企業の発展を阻害する社員)」
「人在(目立った業績を出さず、ただ会社にいるだけの社員)」
「人剤(スタッフ間の調整役=「薬剤」的役割を担う社員)」

筆者が確認した限り、おおよそ3~5種類ほどに大別できました。

まずは社内の人材を、経営者視点を持つ「人財」や「人剤」に変える。そして「人在」と「人罪」は、極力排除すべきである――。労働者の間に線を引く傾向は、バブルが崩壊した90年代以降、一層強まっていきました。

要因の一つと考えられるのが、労働力の流動化です。

製造業を中心に、産業の地盤沈下が進み、完全失業率も上昇しつつあった94年。同年10月発行の『実業の日本』は、「買われる人財 捨てられる人材」と題した特集を組んでいます。不況下に、経済の「川上」で起きた現象を、詳報する内容です。

内需が縮み、大企業でリストラが進む反面、中小企業が雇用の受け皿になっている。ただし、肩書きに固執するベテランは必要ない。商品開発・経理などの実務能力に長けた、専門性ある若手こそ輝けるのだ――。

文中では、中小企業採用関係者らの、そんな本音が紹介されます。

「自己責任」に基づく労働者観

ここから読み取れるのは、「自己責任」を基本とする労働者観です。

企業や市場が求める能力を、どれだけ積極的に高められるか。社外活動・転職も視野に、キャリアを組み立てられるか。従来は組織に任せていた人生行路づくりが、個人の責務になったと言えます。

他方、働き手の間では、処遇の格差が広がりつつありました。安価な労働力や、人件費の抑制を求める経済界の声を受け、派遣労働者が増加。やがて二重派遣、契約の短期化といった問題もクローズアップされるようになります。

「人財」が薄める現実の複雑さ

88年生まれの筆者は、日本の経済発展を知らずに育った世代の一人です。学生時代、派遣アルバイトに就いた経験もあります。複数の職場で働くうち、たくさんの「同僚」たちと出会いました。

何個もバイトを掛け持ちし、やっと食いつないでいる人。派遣先企業で仕事上のトラブルに巻き込まれ、退職を余儀なくされた人。それぞれが苦しい状況に置かれ、自らのキャリアを考える余裕など、全くないように見えました。

職場というステージで軽やかに舞う「人財」と、そこからこぼれ落ちる「人材」。そのような二極化が進んだのが、高度成長期以降の時代だったのだとすれば、筆者が知り合ったのは後者の人々かもしれません。

彼ら・彼女らの境遇は、様々な要因に由来していたのでしょう。家庭の事情でパラレルワークが常態化していたり、性格が職場の雰囲気と合わなかったりと、背景は一様でないはず。裏を返せば、当人たちの責任だけで、何とかなるものでもないのです。

「人財」が持つ響きには、こうした現実の複雑さを、薄めてしまう側面がないか。90年代までの使われ方を振り返る中で、筆者は疑問に思いました。

この点について深く考えることで、現代社会を覆う息苦しさの本質に、行き当たれる気がしています。

 

今日の「啓発ことば」
 
じんざい【人罪】

〈「人材」の「材」を「罪」に書き換えた語句。仕事をする気がなく、企業の成長を阻害するとされる働き手を指す〉

 

・「―は、会社の理念や価値観に合わない」

 



【連載・#啓発ことばディクショナリー】
「人材→人財」「頑張る→顔晴る」…。起源不明の言い換え語が、世の中にはあふれています。ポジティブな響きだけれど、何だかちょっと違和感も。一体、どうして生まれたのでしょう?これらの語句を「啓発ことば」と名付け、その使われ方を検証することで、現代社会の生きづらさの根っこを掘り起こします。毎週金曜更新。記事一覧はこちら
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