連載
「人材」を「人財」と呼びたがる本当の理由 承認欲求煽るスパイラル
オンラインサロンと重なる「選民主義」
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オンラインサロンと重なる「選民主義」
いつしか、当たり前のように使われるようになった言葉、「人財」。今や、求職雑誌などで目にしない日はありません。一体、どうやって広まったのか? 経済誌を読んでみると、日本型雇用が崩壊した2000年代以降、特徴的に使われていることに気付きます。働き手を囲い込みつつ、企業が理想とする「人材像」を擦り込む役割を担っていたのです。雇う側の「選民主義」が生まれた経緯について、考察しました。(withnews編集部・神戸郁人)
「人財」という言葉について、企業活動と切り離して語ることはできません。もしかしたら、経済状況の変化と、言葉としての広がり方は関係しているのではないか。筆者はそう考えて、国会図書館で経済の専門誌を調べてみました。
国会図書館の書籍検索画面で「人材」「人財」と打ち込むと、1千冊強の雑誌や単行本などのタイトルが表示されます。このうち、働き手を「人財」と表現している資料を抽出。1968~2020年の52年間に発行された、計419冊を分析対象としました。
終身雇用が完全に崩れた2000年代、企業は社員の引き留めようと、再び「人財」を使うようになります。それは「選民主義」を生み出し、組織に選ばれようと、人々が自己啓発に傾く風潮の原因となりました。
日本社会では1990年代を境に、仕事の能力向上を、働き手個人に求める傾向が強まりました。景気低迷の影響で、多くの企業がリストラを実施。結果的に、専門性を持ちキャリアアップを果たす人、就職難に直面する人と、労働者間の処遇格差が広がっていきます。
とはいえ、こうした状況下でも、企業側が社員教育を放棄したわけではありません。特に若手労働者の離職率が高まり、パート・アルバイトの定着が課題となった2000年代以降、経済誌では研修関連の企画が多く組まれました。
例として、07年7月20日発行『企業と人材』(産労総合研究所)を挙げてみましょう。
同号の特集では、大手企業を中心に、社員向けの体験型研修が広がっている状況について報告。山ごもり修行、海外への「研修遠足」といったプログラムを、自ら考えて動く「人財」を育てる方法として好意的に取り扱っています。
社員間の人間関係が希薄化し、企業への忠誠心も失われる中で、何とか組織に対する愛着を深めて欲しい――。そんな経営者の思いと共に、受け身ではなく、積極的にスキルアップを図るという「人財」像が、ここでも映し出されていると言えそうです。
近年は、働き手を大切にする機運が、従来以上に盛り上がりつつあります。残業規制や、育児休暇制度などを導入する企業の増加は、その表れと考えられるでしょう。
他方、それぞれの企業が掲げる「理念」に親しんでもらうことで、社員の一体感を育もうとする動きも健在です。
社訓を英訳し、海外の事業所で共有する。地域での職業体験事業への参加を通じ、従業員に社是の精神性を浸透させる。各社のそうした取り組みにフォーカスする経済誌の企画は、現在に至るまで量産され続けています。
労働力の流動化が進み、一つの企業で勤め上げる働き手が減った昨今。人材の囲い込みに努める経営者たちの動きは、ある種の「揺り戻し」とも言えるかもしれません。
こうした流れを経て、「人財」という用語は、あらゆる層に普及していきました。ここ数年に限っても、看護や飲食、流通に小売業と、各業界誌が言及。正社員のみならず、非正規労働者、外国人、女性など、多様な人々を即戦力化すべきとの論調も目立ちます。
低成長の状況下でも、業績に好影響を及ぼしてくれる……。各誌で説かれる「人財」像は、「メシア(救世主)待望論」とも言うべき願望を、少なからず伴うように思えます。
だからこそ、「必ずしも労働者本位で使われてきた言葉ではない」点に、留意が必要でしょう。
52年分・419冊の経済誌を読み込む中で、筆者は「会社は人なり」という言葉を、たびたび目にしました。
企業活動を営む上で、働いてくれる人々は不可欠であり、大切にしなければならない。そんな意味合いで用いられ、「人財」とセットで登場することも珍しくありません。
なるほど、とうなずきつつ、微かな違和感も覚えました。「働き手を、緩やかに選別する意図はないのだろうか」と。
企業が事業を続けるため、業務の効率化や、生産性向上を図るのは当然です。労働者に対し、職務に必要な力を高めるよう求めることも、何らおかしくはありません。
一方で働き手は、仕事上の成長を絶えず要請されます。このメッセージを重く受け止め過ぎると、過重労働や生きづらさにつながりかねません。既に、多くの人々が実感するところでしょう。
筆者はこれまで、自己啓発本にまつわる取材を続けてきました。どの書籍にも共通するのは、現状維持の否定と、行動や習慣を変えることの意義を説く点です。
自らの意見に同調し従えば、より豊かに生きられる――。自己啓発本の著者たちは、読者にそう迫ります。これは見方を変えれば、著者たちが理想とする「人財」像に、読み手自身を適合させる要求とも言えます。
心のありようは、意志により操作可能である。同様の主張は、今回分析した経済誌にもみられました。ビジネス的・自己啓発本的な思考は各々、相似形をなしているのです。
こうした図式は、ネット空間の内側にも見いだすことができます。
例えば、著名人などが組織するオンラインサロン。ビジネスプランの考案といった、様々な課題をこなし、起業を始めとした「独り立ち」を目指す。そんな趣旨で運営されることが少なくありません。
一方、「主宰者に認められたい」との思いが、参加者を振り回すことも。終わりなき承認競争の中で疲れ果て、心をすり減らした末、退会した経験談をブログなどで吐露する人も存在します。
「認められたい」という欲求をあおるスパイラル。SNSのタイムラインで流れてくる「結婚した」「有名企業に転職できた」など、友人知人の近況報告が、それをさらに増幅させていきます。
「人財」をめぐる考え方も、よく似た色彩を帯びているかもしれません。企業に対し、「成長できるか」「仕事ができるか」という観点から、働き手の人間性を評価するよう促すからです。
その結果、労働者たちは、企業が求める「人財」の指標に縛られてしまいます。このような特徴を持つ点で、「人財」は一連の自己啓発的な営みと、地続きであると言えそうです。
日本経済が漂流する時代に生まれた、「人財」という概念。それは組織の生き残りを賭け、労働者の雇用と、「どれだけ業務に役立つか」という功利的視点とを両立させたい、企業側の「選民主義」を象徴しているように思えます。
この言葉の呪力と向き合うことは、日本社会の閉塞感のありかを診断する、一つの手立てになるのではないでしょうか。
・「会社にとって人は宝、―だ」
・「企業は人材という材料を仕入れ、―という商品をつくらねばならない」
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