連載
#13 コミケ狂詩曲
「親も同人活動楽しんでいい」オタク向け託児所つくった母の熱意
「オタク向け」に生まれ、利用者から厚い信頼を得ている託児サービスがあります。同人誌の即売会など、創作関連のイベントに参加する親御さんたちが数多く利用してきました。「同人文化は生きる喜びを感じさせてくれる営み。一人でも多くの人に続けてもらいたいんです」。自らも育児で疲れた心をアニメに救われ、二次創作本を編んできたという発起人の女性に、取り組みに込めた思いを聞きました。(ライター・神戸郁人)
「ぴょんぴょんって跳ばせる?」「上手にできたねぇ」
2023年8月13日、東京都内の学童保育所。託児サービス「にじいろポッケ」の保育スタッフが、ウサギのぬいぐるみで遊ぶ男の子に、優しく声をかけました。
この日は日曜日にもかかわらず、小学校低学年以下の20人ほどが、室内で元気な声を響かせていました。
いずれも同日に開かれた、国内最大の同人誌即売会「コミックマーケット(コミケ)」に参加するため、親が預けた子どもたちです。
おもちゃのおままごとセットで〝料理〟を楽しんだり、タワー状に組み上げられたプラスチック製レールに、列車の模型を走らせたり。一人ひとりの行動を、イベント保育などの経験が豊富な、6人のスタッフが見守ります。
ブロック遊びに夢中な子が、床を部品で散らかしたら、踏み付けてけがをしないように片付ける。疲れて眠ってしまった子がいれば、別室のふとんに寝かせ、うちわであおいで暑さを和らげる……。細やかな配慮が、子どもたちを支えます。
今回のコミケに評論サークルの主として出席し、長男(取材当時7・以下同)と長女(3)を預けた京都市右京区の女性(40)は、6年ほど前から「にじいろポッケ」を利用してきました。その理由に「絶対的な安心感」を挙げます。
「コミケの開催は土日が多いのですが、日曜日に子どもの面倒をみてくれる託児所はあまりありません。でも『にじいろポッケ』さんなら、会期を通じて対応してもらえます。おかげで高校生の頃から続けている同人活動を諦めずに済み、大感謝です」
2017年に活動を開始して以降、各種同人イベントの開催に合わせて、のべ1千人以上の子どもたちを預かってきた「にじいろポッケ」。
発起人は、小学1年と4年の息子を育てる、四辻(よつつじ)さつきさん(39)です。「同じ趣味を持つ人を応援したくて取り組んできました」と語ります。
その言葉通り、四辻さん自身も同人活動に親しむ一人です。サービスを始めた背景には、ライフワークとも言うべき創作の営みと、子育ての両立に悩んだ実体験がありました。
2013年、四辻さんは長男を授かったのと同時期に、勤めていた企業を退職。出産後、夫の転勤に伴って縁もゆかりもない大阪に転居しました。
頼れる人がほぼいない環境下、幼い息子と過ごす中で、孤独感を抱きがちだったそうです。
「せめて同じ境遇の知り合いが欲しいと、地域のママ友コミュニティーを訪ねたこともあります。育児の悩みを相談できて助かったのですが、それ以外の話がしづらかったんです。人間関係がなかなか深まらず、居場所がないと思っていました」
ほどなく次男を妊娠。つわりに苦しみつつ、イヤイヤ期を迎えた長男と向き合う日々に、段々と疲弊していきます。
我が子を愛しているけれど、このままでは壊れてしまう……。追い込まれた頃に出会ったのが、偶然観たアニメ『おそ松さん』です。
元来アニメ好きという四辻さんが「沼」にはまるのに、時間はかかりませんでした。
ツイッター(現・X)アカウントを開設し、感想を投稿するだけでは飽き足らず、推しキャラが登場する自作小説を創作系交流サイト「ピクシブ」にアップし始めます。
「私も子育て中です。自分の時間がとれたとき、あなたの作品を読むことで、すごくリフレッシュできています」。そんなコメントが読者から寄せられるたび、心が喜びに満たされていくのを感じました。
物語を作る楽しさに目覚めた四辻さんは、活動の幅を広げようと考えます。『おそ松さん』の二次創作小説を同人誌にすることにしたのです。
即売会へのサークル参加経験がある夫に、知人の同人作家を紹介してもらい、制作の手解きを受けました。
そして2016年春、東京で開かれた、同作の関連サークルのみが集う即売会に初参加します。
手ずから編んだ冊子に、〝同志〟の来場者が目を通し、感想を直接伝えてくれる。原作への愛情を軸に育まれる交流は、無上の喜びをもたらしました。
四辻さんは、一連の経験が、育児にも良い方向に作用したと振り返ります。
「それまでは、息子が言うことを聞かないと『こんなに頑張っているのに』『育て方が良くないのかな』と落ち込んでいたんです。ある意味、育児に力を入れ過ぎて、追い詰められていたのかもしれません」
「でも趣味を楽しむようになって以降、『私も好きなことをやっているのだから、お互い様だ。少しくらいわがままでも良い』と考えられるようになりました。きっと、いい具合に肩の力が抜けたんでしょうね」
その後も、様々な同人イベントに参加した四辻さん。次は、いつ出られるかなーー。
未来への期待に胸を躍らせる反面で、課題にも直面しました。会場で過ごす間、誰に託児を依頼するかということです。
即売会など同人関連の催しは、長丁場である場合が少なくありません。
サークル席の設営や、同人誌の搬出入といった作業をこなすため、早朝から夕方まで稼働することもしばしばです。
会期が複数日にわたる場合、一層綿密な予定調整が求められます。
初めてのイベントでは、夫に息子を預かってもらえました。次男が産まれると、義母の手も借りるように。しかし家族・親族が忙しい時期は、対応が難しくなる可能性がありました。一方、自らの実家は住まいから遠く、頼るのに限界があったのです。
「私一人が出かけるためだけに、何人もの大人を動員しなければならない。私は毎日一人で子ども二人を世話しているし、365日育児を頑張っているのに、数か月にたった一日出かけるだけでどうしてこんなに苦労しないといけないんだろう……」。心に暗雲が垂れこめました。
ある日、四辻さんはツイッター上で、子どもの預かり事業への希望をつぶやきます。
すると同人活動に取り組む親たちから、大きな反響があったのです。壁にぶつかっているのは私だけじゃない——。そう思うと、にわかに使命感が湧いてきました。
「同人イベントに出たい人向けの、スポット託児サービスを立ち上げよう」。四辻さんは、密かに決意を固めます。
手始めにツイッターアンケート機能を使ってニーズ調査を行うと、回答がみるみる集まりました。
最終的には5千票ほどに膨らみ、潜在的な需要の高さが判明したのです。自治体などに問い合わせ、イベント保育にまつわる法律上の規制がないことも確認しました。
迅速に動き出せたのには理由があります。かつて仕事で様々な保育施設を訪れたり、公的な一時保育サービスを使ったりした経験から、預かり保育に関して一定の知識を持っていたのです。大学時代、NPO法人の経営について学んだ経験も活きました。
しかし、実現までの道のりは、必ずしも平坦ではなかったといいます。
「2017年に開かれる、二次創作専門の同人イベントに合わせて、活動を始めようと考えていました。ところが借りるつもりだった会場が使えなくなってしまって。つてを必死で頼った末、商業施設内の子ども向けダンススタジオを貸してもらえました」
そして最も肝心な保育スタッフの確保。四辻さんには「子どもたちに一日中楽しんでもらえる場をつくりたい」という願いがありました。
そこでイベント保育を請け負う会社を徹底的に調べたところ、条件に合う保育会社を見つけることができました。
これで準備は整った。サービス名はどうしようか——。検討を重ねた末に生まれたのが「にじいろポッケ」でした。
二次創作の「にじ」と、多様な「好き」の象徴である「虹色」の掛け言葉。さらに「あなた(イベント参加者)の行くところについていく」との思いを、衣類の「ポケット」に託しました。同人文化を愛する人々への、リスペクトが込められています。
2017年1月、東京都内で開かれた二次創作オンリーの同人イベント当日、ついに初めての託児が始まりました。
申し込みがあった3家庭の子ども4人と、四辻さんの息子2人、計6人でのスタートです。
「正直、予想を大きく下回る人数だった」と苦笑する四辻さん。しかし、だからこそ、来てくれた子どもたちに良い思い出を残したいと、全力を尽くしたそうです。
色々な種類のおもちゃを持参し、好きなもので自由に遊んでもらう。室内でも体を動かせるような遊びをする……。
そうした方針が功を奏し、我が子を預けた親の反応は上々でした。
「自分と同じオタクが運営しているから、同人イベントへの参加時も、抵抗感なく使える」「保育のプロが関わっていて、安心だ。信頼できる」
評判は徐々に高まり、回を重ねるごとに参加者が増えたことを受けて、それまで以上に保育経験豊富な人材の協力を得ました。
翌年には20人ほどの子どもが集うようになり、会場も現在の学童保育所へと移転したのです。
さらに、「にじいろポッケ」の存在を知った、模型列車の展示を生業(なりわい)とする人物が、プラスチック製のレールを使ったコースの設置を申し出てくれたことも。支援者の輪は、徐々に広がっていきました。
しかし、新型コロナウイルス禍が始まった2020年以降、活動規模を縮小せざるを得なくなってしまいます。
それでも、過去にクラウドファンディングで集めたお金や、小規模事業者向けの給付金を活用して、託児を続けました。
社会情勢が変化し、コロナ禍で中止されていた同人イベントの多くが再開した昨今。「にじいろポッケ」には、親からの問い合わせが相次いでいます。
なぜ、困難な時期を乗り切れたのでしょうか。四辻さんは次のように話しました。
「気兼ねなくイベントに行ける親御さんが、少しでも増えてほしい。そう考えてきたから、ということに尽きます。自分の趣味を持つ人々を、同じ趣味を愛好する者として、応援するのが筋だと思うんです」
「何より私自身が、子育てで手一杯だった頃、同人文化に救われました。そのときの『恩送り』を続けているんです。最近、また企業で働き始めたので、仕事との両立は大変ですが、『にじいろポッケ』という場を守ることに意味があると感じます」
四辻さんにとって、同人文化とは何ですか——。筆者が最後に尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「自分が自分でいるためのきっかけをもたらした営み、でしょうか。文化とは、人間をより幸せにし、『生きていて良かった』と実感させてくれるものです。たくさんの人々に喜びを与える取り組みだからこそ、これからも関わっていきたいですね」
【関連リンク(1)】「にじいろポッケ」公式サイト
【関連リンク(2)】漫画版「にじいろポッケ」設立エッセー(コミックNewtype)
【関連リンク(3)】四辻さんによる「にじいろポッケ」設立エッセー(カクヨム)
1/41枚