グルメ
「日本一のもつ煮」山中に行列成す定食屋 実はソウルフード発祥の店
食欲の秋にいかがでしょうか?
群馬県の山中に行列ができる定食屋があります。「永井食堂」の看板には「うまい 安い 早い」「もつ煮は日本一」のうたい文句が。店のもつ煮は通販でも人気が高く、店はテレビでも何度も紹介されてきました。味は創業者が試行錯誤を重ねて作り上げた逸品です。創業者の子で店を営む女将に話を聞きました。(朝日新聞デジタル企画報道部・高室杏子)
永井食堂は群馬県渋川市の、キャンプ場やゴルフ場のある山あいを通る国道17号沿いに、山を背に建っています。
創業者の娘である女将の永井昭江さんは「平日は400~500人、土曜は800人くらい来てくれます」とうれしそうに話します。
客席はすべてカウンターの24席で、メニューはもつ煮定食を筆頭に、ラーメンや目玉焼き定食、納豆定食も。
昭江さんの父である創業者・永井好平(よしへい)さんは、もともと渋川駅前の屋台で豚のガツやレバーなどホルモンの部分を焼いて焼酎などお酒と共に売る仕事をしていました。
1940年代後半に現在の場所で2tトラックの荷台部分を使ってうどんやそばを売り始めます。
移動販売はなく、あくまで場所を確保するための2tトラックだったそうです。
まだ高速道路の整備されていない時代、国道17号は新潟と東京を目指す長距離のトラックなどが多く行き交いました。
お客さんの「定食も食べたい」という声から、1970代中頃から定食を作り始めます。
おかずには、屋台営業時にまかないで作っていた「もつ煮」を出そうと好平さんは思い立ち、塩味加減やかみごたえ、具材……ごはんが進んで、疲労も取れるような味を探求したそうです。
2tトラックを使って営業していた時代は、新潟と東京の中間地点ぐらいの場所だったため、当時、夜中2時でも営業していると50人ほどが訪れたそうです。
昭江さんは「荷台に膝を折って座りっぱなしで食事の用意を続けて膝が痛くて痛くて……。でも、お客さんみんな『夜遅いのにありがたいね』『こんなおいしいんだ』って笑顔を見せて喜んでくれたのがうれしくてね」と当時を振り返ります。
「日本一」をうたうのは、自称ではなく、かつて来店した多くのお客さんたちが口をそろえて言ってくれたため、だといいます。
昭江さんは「群馬のソウルフードがもつ煮だから始めたんじゃなくて、うちから始まったんですよ」と話します。
もつ煮込みを「もつっ子」として通販し始めたのは1994年から。
始めたきっかけは、店で出していたもつ煮が大好評で、鍋やタッパーを持って来たお客さんから「3人前ください」などと注文を受けていたことでした。
持ち帰り用も店の大鍋で作って、個包装も手包みだった時期もありました。
需要に応えようと、専用の工場を1996年に稼働させ始めました。
「温かいものが食べたくなる秋冬が一番売れるけれど、夏も『スタミナがつく』とお中元としても人気なんです」とのことで、全国各地から注文が舞い込むそうです。
人気の理由を尋ねると、「『冷凍のもつ』を使わない」「味噌は甘辛く奥行きのある味わいになるように越後味噌と信州味噌を合わせる」「食感の差を楽しめるようにこんにゃくも使う」といったこだわりがあるため、と明かしてくれました。
創業者の好平さんがこのように工夫を凝らしたレシピの存在が人気の源だと昭江さんは言います。
店で時代に先んじて取り入れてきたものは通販だけではありません。
残飯や割り箸など捨てなくてはいけないゴミを減らす工夫も早い時期から始めていました。
「捨てるのにもお金がかかってしまうし、何よりごはんを捨てるのは農家の方に申し訳ない」
今でも、ねぎやお漬物などが苦手ではないか注文時に尋ね、ごはんの量もどれくらいがいいのかを聞き、お椀に残ったごはんがあれば塩で味付けしてラップでくるんでおにぎりにして持って帰ることができるようにしているといいます。
「そう大きくないお店で、テーブル席はないし、空調も快適じゃないかもしれない。でも、『日本一のもつ煮』を背負ったお店だから、来てくれたお客さんには必要なものを必要なだけ、そして元気はたくさん渡したい。そのために変わらない味と値段でお店を続けていきたい。お客さんとの会話は私にとっても元気の源なので」
1/8枚