話題
「ピース」ができなかった父 壊れてしまった心に気づけなかった後悔
無気力で定職に就かない。子や孫の問いかけにも答えず、ただ「そこにいるだけ」。そんな父親が大嫌いだったけれど、ふと「あの言動は、実は戦争による心の傷のせいではなかったか」と考えるようになり――。戦後78年、旧日本軍の兵士だった父の記憶や記録を、今も後世に残そうと活動している男性がいます。戦争は、1945年8月15日の「終戦の日」の後も、兵士やその家族の人生に、爪痕を残し続けました。(朝日新聞デジタル企画報道部・武田啓亮)
「ずっとニュースで戦争の話をしているね。どことどこが戦っているか知っている?」
8月9日、東京都西東京市にある小学校の教室で、黒井秋夫さん(74)が、子どもたちに向けて講演をしていました。学童クラブ主催の講演会で、テーマは「へいわの話」です。
「日本も昔、戦争をしていたんだよ。どこと戦ったのか分かるかな?」
黒井さんの問いかけに次々に手を上げる子どもたち。
「なんで戦争って起こるんだろう?なにか良いことがあるのかな?」
難しい質問にも、臆せず答えます。
「戦争は人がたくさん死んでしまうから、良いことはないと思います」
「勝てば土地が手に入ることもあるから、戦争をしたい人もいるのかもしれない」
終了時間まで残り20分ほどとなったころ、黒井さんはある映像を子どもたちに見せました。
色あせた動画に映っているのは、キャンプ場かどこかでしょうか。
画面の中心にいるのは、小学生くらいの子どもに囲まれて腰掛ける高齢の男性です。
家族旅行の様子を写したホームビデオの一場面のようです。
「じいちゃん、ピースしてくれよ」
一人の子どもが、声をかけます。
けれど、呼びかけられた男性は、問いかけには答えません。
答えようとしているのかもしれませんが、言葉が出てきません。
男性はうつむいたまま、じっとしています。その目は困っているようにも、悲しんでいるようにも見えました。
「ここに映っているのは、私のお父さんです。この時の年齢はみんなのおじいちゃんと同じくらいかな。今のビデオを見て、どう感じましたか?」
教室が、しん、と静まりかえります。子どもたちは真剣な表情で、何か考え込んでいるようでした。
「父と親子らしい会話をしたとか、子どもの頃どこかへ連れていってもらったというような、良い思い出がほとんど無いんです」
黒井さんは、76歳で亡くなった父・慶次郎さんについて、こう話します。
定職にも就かず、家ではうつむいたまま終始無言。家族と会話をすることもほとんどありませんでした。町内会などの近所付き合いも黒井さんの母、けさえさんに任せきり。日雇いの土木作業の仕事などをすることはあったものの、収入は不安定で、家はいつも困窮していたといいます。
「ただ、そこにいるだけという感じ。なんでこんな父親なんだと軽蔑することもありました」
8歳上の黒井さんの兄・光夫さんは、黒井さんよりも父のことを嫌っていました。
「なんでこんな男と一緒にいるんだ。早く別れた方が良い」。そうけさえさんに迫ることもあったそうです。
黒井さんが成長してからも状況は変わりませんでした。
「親父、結婚を前提に付き合っている人がいるんだ」
20代の頃、実家に交際相手を連れてあいさつに行った時も、慶次郎さんは一言も発さないままでした。
慶次郎さんは1988年に亡くなります。講演会で流したビデオは、その直前に撮ったものだそうです。
「物心がついてから、父が亡くなるまで、抜け殻のような父の姿ばかりが記憶に残っているんです。ずっと、父のことが嫌いでした」
黒井さんが、父・慶次郎さんへの認識を改めるきっかけになったのは、8年ほど前に聞いた、ベトナム戦争で従軍した元海兵隊員の話でした。
戦場での経験が原因でPTSD(心的外傷後ストレス障害)となり、異常な行動によって家族と関係が築けなくなってしまった――。
そんな体験談と、慶次郎さんの姿が重なりました。
「親父も、そうだったんじゃないだろうか」
父の身に何があったのか。黒井さんは軍歴証明書や戦時中の写真を読み解きました。
1932年に20歳で満州へ出征した慶次郎さんは、途中、7年ほど内地での勤務を挟みながら、1946年6月に復員するまで中国戦線にいました。
終戦直前には軍曹として部下を指揮しながら、当時の中華民国軍との最前線で戦っていたことも分かりました。
同じ地域で戦っていた元兵士にも話を聞き、当時、その地域では激戦が繰り広げられ、激しい空爆を受けて部隊に多数の死傷者が出ることもあったということを知りました。
「心が壊れてしまうような何かが、戦場であったに違いない」
「もっと親父に寄り添ってやることはできなかっただろうか」
黒井さんの心に押し寄せたのは、激しい後悔の念でした。
復員した元日本兵の中には、慶次郎さんのように無気力になってしまう例もあれば、お酒を飲んで暴れたり、家族に暴力を振るったりする人もいたといいます。
「『家族の恥』として、周囲に話せなかった家族もいたことでしょう」と黒井さん。
そして、日本が復興し、経済成長をしていく中で、やがて「復員兵」という存在そのものが社会的に埋没していきます。
「このまま、なかったことにしたくない」
黒井さんはそんな思いで、今年6月、復員日本兵の家族の証言を集めた本『PTSDの日本兵の家族の思いと願い』(あけび書房)を出版しました。
復員兵の家族同士が語り合うために「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を作り、自宅の一部を「PTSDの日本兵と家族の交流館」として開放し、資料を収集・展示しています。
交流館には、地元の子どもたちも多く訪れるそうです。
「戦争による心の傷は、身体の傷よりもずっと後まで、何十年も残る。その人だけでなく、家族の人生までメチャクチャにしてしまうんだよ」
子どもたちに、自分たちのような悲しい思いをしてほしくない。その一心で、黒井さんは語り続けています。
復員兵に関する連絡や情報提供は、〒208-0001 東京都武蔵村山市中藤 3-15-4 のPTSDの日本兵と家族の交流館まで。
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