連載
#31 #啓発ことばディクショナリー
子供に「従順さ」強いる教育の言葉 本田由紀さんが語る大人の支配欲
上下関係を強める二つのキーワード
経済の停滞が続く、日本。回復の兆しが見えないと言われ始めてから、長い時間が経ちました。教育社会学者の本田由紀さんは、「子どもの学びにも様々な影響が出ている」と話します。特に近年、教育目標に用いられる「言葉」に、苦境を打開したい大人たちの焦りとも言える感情が、色濃く映し出されるようになったのだそうです。詳しく話を聞きました。(ライター・神戸郁人)
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。1979年に、米国の社会学者エズラ・ヴォーゲル氏が出版した著書のタイトルです。戦後に目覚ましい発展を遂げた日本社会の分析本で、書名は昭和時代の好景気を象徴する標語としても、人々に親しまれました。
1979年と言えば、2度目の石油危機のさなか。また既に高度成長期を脱していたものの、未来の展望は開けていました。製造業を始めとする基幹産業が活力を保ち、国内総生産(GDP)などの経済指標も伸び続けていたからです。
しかしバブル期の終焉(しゅうえん)と共に、状況は一変。経済の上昇気流が収まり、企業が採用活動を抑制した結果、「氷河期」と呼ばれるほどの就職難が生じました。冒頭の標語がまとった熱気も、泡沫(うたかた)の夢のごとく消失したのです。
その後、解決の糸口が見えず、階段の踊り場で足踏みを続けるような事態が続いています。国家の長きにわたる漂流は、公権力による市民の締め付けを強化するきっかけとなったーー。本田さんは、そう語ります。
「日本人はかつて、独自のやり方で『世界一』の先進国になった、と舞い上がっていました。実際、一定の客観的な裏付けもあったのです。しかし国の発展が見込めなくなり、政治家も企業家も凋落(ちょうらく)から抜け出そうともがいています」
「その過程で、為政者が私たち国民に対して、『日本を盛り立てるため、もっとうまく振る舞え』と求め始めました。実は、そうした姿勢を端的に表す言葉が、教育の領域において明らかに増えつつあります」
本田さんが代表例として挙げたのが、「教育の憲法」の異名を取る教育基本法です。第一次安倍晋三政権下の2006年に、内容が大きく改められました。従来と比べて愛国的な性格を強めたとされ、議論を巻き起こした経緯があります。
改正後の同法には、ある特徴が備わっています。子どもの人格を評価しようという意識に貫かれている点です。例えば、「教育の目標」を定めた第二条の第五項を参照すると、以下のように書かれています。
第二条には五つの項目が並んでいますが、それら全てに「態度を養う」という文言が入っています。本田さんは、「能力」の伸長以上に、「態度」を育む意義を強調している点にこそ、注目すべきであると話しました。
「態度とは個人の振る舞い、特に外面に現れる行動や顔つきを指す言葉です。また『政治的態度』などと言われるように、内心について表現する上でも使われます。つまり同法の条文には、人間全体を査定しようとする趣があるのです」
「また第二条第五項の文章は、社会全体が地盤沈下した日本を、無理やり賞賛させようとする響きを伴っている。海外への屈折した劣等感を裏返した、ナショナリズム的な印象を強く受けます」
「態度」に加えてもう一つ、教育基本法の中で、頻繁に使われている単語があります。「資質」です。「教育の目的」を規定した第一条に、象徴的な形で登場します。
本田さんいわく、「資質」を具体化したものが「態度」であり、両者は密接に結びついているといいます。これらの概念のエッセンスは、教育課程の基準を示した学習指導要領にも盛り込まれました。
現行の学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」を目指すよう説いています。そのため、各学校に「①知識及び技能、②思考力、判断力、表現力等、③学びに向かう力、人間性等」という軸に沿って、教科を整理することを求めているのです。
子どもたちの学習意欲を高める目的で環境を整える、との趣旨自体は、まっとうであるように思われます。一方で、児童や生徒の「主体性」を成績とひもづける姿勢に注意が必要だと、本田さんは語りました。
「学習指導要領で言及されている主体性とは、政治家や教育者が抱く『望ましい学び』のイメージです。自らのあり方を、大人が希望する方向に寄せていく。そんな従順性を言い換えた表現だと理解できます」
「裏を返すと、大人が期待していないことについて主体的な行動を取った場合、正当であると見なされません。子どもの考え方や感じ方にまで、国が介入してしまう。いわば公権力による統制の根拠として、様々な言葉が用いられているのです」
ちなみに「主体性」は、産業界においても存在感を強めています。2022年1月に日本経済団体連合会が公表した会員企業向け調査資料「採用と大学改革への期待に関するアンケート結果」では、「大卒者に期待する資質」の項目でトップでした。
上位者(経営者や教師)の意向に下位者(労働者や児童・生徒)が従い、協調する限りにおいて、「主体性」を認めるーー。そのような点で企業と学校は軌を一にしており、ある種の支配構造が生まれているのだと、本田さんは指摘しました。
公教育の性格を水路づける当局側が、「理想的な」ものの捉え方を示し、学びの当事者である子どもを間接的に評価する。近年、そうした傾向に拍車がかかっているように思われます。平成末期に教科化された「道徳」においては、顕著かもしれません。
例えば、文部科学省が実施した、2024年度から使われる小学校向け教科書の検定。学習指導要領にのっとった、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」の要素不足に関する指摘が13件に上りました。
指摘対象の一冊である2年生の教科書は、あんこ屋が登場する場面に「むかしからある日本の食べもので、すきなものはありますか」「これからも日本のあじをつたえていきたいね」という記述が追加された結果、合格に至ったといいます。
道徳とは本来、人間がよりよく生きるための指針となる概念です。そもそも、成績評価になじみません。また愛国心や愛郷心とは、自然と胸に湧き上がってくるもの。画一的な指標に照らして序列化すべき価値観ではないでしょう。
子どもの自由な発想を阻みかねない振る舞いが、「態度」「資質」といった、一見もっともらしい言葉によって正当化されてしまう。本田さんとの対話を踏まえ、そのような状況が生じた理由を、改めて理解しなければならないと思っています。
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