雁屋さん:創作に対する姿勢はそれぞれですが、「誰が描くか、誰が言うか」が重視されている気がします。当事者しか、その症状について触れてはいけないような空気を感じることがありました。
当事者でない人が描いているとなると、より「当事者がかわいそう」といった批判を受けやすいと感じます。その結果、書き手が限られてしまうのは怖いことです。
鈴木さん:怖いという感情はどこからくるのですか?
雁屋さん:以前、「アルビノになりたい」と髪を白く染めたYouTuberが、「アルビノの方に失礼」「難病だからあまり動画のネタにしないほうがいい」などと炎上したことがありました。
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それ以来、私としては、非当事者が表現することに対して「危ない」という雰囲気が漂っているように感じます。
仮にそれが加速して、当事者でないと描いてはいけない風潮となると、アルビノのように数が少ない場合、創作物の中からアルビノがいなくなってしまうかもしれません。それは極端な話ですが、表現の幅が狭くなってしまうのではないかと考え、モヤモヤしていました。
鈴木さん:たしかに、雁屋さんが「怖い」と感じたりモヤモヤする気持ちが分かる気がします。
症状にふれることに対して、”かわいそう””失礼”という言葉を使う方の視点も想像はできるのですが……。
私は、当事者でなければ描いてはいけない風潮は感じたことがないんです。もし仮にそういう風潮が広がったとしても、それに反旗を翻すような作品は必ず出てくる、それが表現の世界なのでは?とも思います。