漫画や小説などの創作物にマイノリティの人々が描かれることがあります。外見に症状を抱え、差別を受ける「見た目問題」の当事者が登場することも。表現者は当事者を描く際、どんなことに気をつけているのでしょうか。顔にアザのある主人公を「青に、ふれる。」で描き、自身もアザのある漫画家・鈴木望さんと、アルビノのライター・雁屋優さんが語り合いました。
鈴木望さん
漫画家。顔に青アザ・太田母斑(おおたぼはん)のある高校生の瑠璃子(るりこ)と、人の顔を判別することができない相貌失認(そうぼうしつにん)の教師の恋愛を描いた漫画「青に、ふれる。」を、2019年2月号から月刊アクション(双葉社)で連載中。自身も生まれつき左目の周辺に青いアザがある。Twitterアカウントは、
@sizukuno_mozi(
https://twitter.com/sizukuno_mozi)。
雁屋優さん
ライター。髪や眼の色素が薄く生まれるアルビノで、うつ病、セクシュアルマイノリティの当事者でもある。医療や科学分野に関心があり、マイノリティについても執筆。趣味で小説も書く。Twitterアカウントは、
@yukariya07(
https://twitter.com/yukariya07)。
<ライターであり、趣味で小説を書いているアルビノの雁屋優さんは、創作で描かれるマイノリティ像にモヤモヤすることがあったといいます。創作とマイノリティについて、どのように受け止めたらいいのか。考えを深めるため、自身も「見た目問題」の当事者である漫画家の鈴木望さんに対談を依頼しました。>
雁屋さん:鈴木さんの漫画を改めて一気に読みました。決して優しいだけの世界ではないけど、救いがある。安心するなと思います。
創作物とマイノリティについて、「ある程度決まった描かれ方をしている」というモヤモヤは以前からありました。
例えば、アルビノは儚い存在のように描かれます。一方で、視覚障害者がミステリー小説で探偵として描かれることはそうありません。この春から始まるドラマ「ラストマン―全盲の捜査官―」(TBS)や、視覚障害者が探偵として描かれる下村敦史さんの小説「闇に香る嘘」(講談社)は、当事者にも注目されるほど珍しい存在です。
鈴木さんは、ご自身の症状でもあるアザのある主人公を描かれています。相当な覚悟が必要だと思ったのですが、描くことへの葛藤や思うことはありましたか?
鈴木さん:葛藤は多少あったような気がしますが、登場人物たちの抱えるアザや相貌失認の症状、不登校、親との確執……こういった「生きづらさ」が私にとっては日常で、当たり前の世界だったんです。
単行本1巻(2019年7月発売)が出たあとくらいから、「これは覚悟を決めて描かなければいけないことだったのか」という感覚になりました。
1巻が出た後、太田母斑の症状がある方をはじめ、いろんな方から賛否両論の感想をいただくことが多くなりました。
自分の考えとズレがある部分もあれば、同じだと感じられるところもあり、相違点と共通点が見えやすくなりました。相違点はどこからくるのか、共通点の中でも違う問題や感情が隠れていないか、注意深く見ていかないといけないな、と。
漫画が分かりやすく変わったわけではありませんが、私の心意気が変わりました。
雁屋さん:当事者の方から賛否両論はあるだろうと思いますが、主人公の瑠璃子ちゃんがめちゃくちゃいじめられているわけでもないし、親と関係が悪いといった極端な環境ではないところが新鮮だなと私は思いました。
瑠璃子ちゃんは、アザがあること以外に究極的な不幸は描かれていないけど、何かモヤッとすることが生活にあるんだなということは伝わってきて、その塩梅(あんばい)がいいなと思いました。
鈴木さん:当事者の方からは、本当にいろんな感想がありました。
当事者の方からの言葉で一番大事なのは、言葉に込められている感情だと思っています。生い立ちや自分の状況を書かれる方も多いのですが、なぜそのような言葉が出てくるのかを推測して読むしかありません。
例えば、「私はアザを治療したから、鈴木先生も治療したら良いと思います」と書いてくださる方もいます。
そう書かれる方は、「治療して幸せになったよ」というポジティブな感情なのか、「私は苦労して治療したのに、なぜあなたは治療していないの?」というネガティブも含まれた疑問なのか、言葉に込められているであろう感情やその方が持っているだろう背景まで考えようと心がけていました。
雁屋さん:当事者は、自分の症状を細部まで分かっていると思います。
私の場合、自分の知らないことを書くときは怖くてたまらないと思いながら書いていますが、鈴木さんは自身の症状ではない相貌失認などを描くことをどのように考えていますか?
鈴木さん:自分の症状であるアザについても、「分かる」と思わないようにしています。感覚として分かる部分ももちろんありますが、症状も感じ方も人それぞれなので、実際分からないこともたくさんあるよねと。
相貌失認に関しても、分からないからこそいろんな方に取材をして、話を聞きます。
相貌失認や太田母斑の症状がある方以外にも、「青に、ふれる。」を読んでいただきたいですし、「いろんな方に分かりやすく」と思っています。分からないからこそ、聞く・丁寧に調べる。そう私は心がけています。
漫画を描き始めたときも、太田母斑や相貌失認を知ってもらいたいというよりも、アザのある瑠璃子という女の子と、相貌失認の症状がある先生、この2人のキャラクターが先にできていて、2人の関係性を描くことが出発点でした。
雁屋さん:分かると思った瞬間に傲慢になることもありますね。
相貌失認と言われても今まで想像がつきにくかったのですが、漫画で読むと自分にも似たようなことがあると気づきました。
「青に、ふれる。」を読む方も、アザや相貌失認を知りたいと読むわけではなくて、ラブストーリーを読みたくて読んでいると思います。ライトな入り口が大事ですね。
鈴木さん:実は単行本を出す前は、書店の方から「アザがある主人公だとホラーに見える」「手に取られにくいかも」という言葉があったよと聞いて、「そっか、そういう視点もあるんだね」と思いました。
でも、私は瑠璃子という主人公がすごく好きで、瑠璃子のすばらしさを知ってもらいたかったんです。
アザを意識して描いたというよりは、瑠璃子のキャラクターをどう魅力的に、たくさんの方に届くように描くかを意識していった感じです。
雁屋さん:アルビノは漫画などで、ステレオタイプにのっとった表現が多いのではないかということに問題意識を持っています。
アルビノは日焼けに弱いのですが、その弱さをなかったことにするなど、自分がデメリットだと感じている部分を消し去ることもジャンルによってはできてしまいます。
鈴木さんはご自身でアザについて描かれていますが、ほかの作品での描かれ方で思うところはありますか?
鈴木さん:顔にアザがあると、どうしてもネガティブなイメージで描かれることが多いと思います。
ほかの作品でそう描かれていたとしても、そういう考え方の人もいるよね、と。創作は自由なので、作家の理想の世界を描くのも一つだと思っています。どんな形でもいいんじゃないかな。私は私の考えていることを描けば良いというスタンスです。
私自身、「アザがあるのに明るいね」「アザがあるのに積極的だね」という褒められ方を、子どもの頃からよくされていました。
その言葉を聞いたときは「ん?」と思っただけで、周りに話せる人がいませんでした。
ずっとスルーしてきましたが、「青に、ふれる。」を描くときにちょっとつっこんで考えてみたというか、「このときのこのキャラクターはどういう感情だろうか、どういう表情をするだろうか」と考えて、自分の経験や過去を思い出しながら描くこともありました。
担当編集者さんに話しながら当時の自分の感情と向き合ってみて、初めてネガティブな気持ちになりました。
「アザ=ネガティブ」という、バイアスがかかっている言葉を投げかけられていたのだ……と気づいたんです。
でも、その言葉を発した人の環境やそのときの社会の雰囲気を考えてみると、バイアスがかかることは仕方がなかったと捉え直しました。今は「ん?」と思った言葉を自分なりに解体して、関係性を大事にしたい人には伝えたり、受け取りたくないものは手放すようにしています。
<過去、自身が経験したことを思い出しながら描くという鈴木さん。その話を聞き、雁屋さんには「当時言われた嫌な言葉を思い出して傷つくことも多いのでは?」という疑問がわきましたーー。記事の後編では、過去との向き合い方や、当事者でなければ症状を描いてはいけないのかといったことについてお互いの思いを語ります。>