「作者が当事者でなければ、当事者を描いてはいけないのか?」。漫画や小説といった創作物での「マイノリティ」の描かれ方について、アルビノのライター・雁屋優さんは疑問に思うことがあったといいます。顔にアザのある主人公を「青に、ふれる。」で描き、自身も当事者である漫画家・鈴木望さんに問いかけました。

漫画家。顔に青アザ・太田母斑(おおたぼはん)のある高校生の瑠璃子(るりこ)と、人の顔を判別することができない相貌失認(そうぼうしつにん)の教師の恋愛を描いた漫画「青に、ふれる。」を、2019年2月号から月刊アクション(双葉社)で連載中。自身も生まれつき左目の周辺に青いアザがある。Twitterアカウントは、@sizukuno_mozi(https://twitter.com/sizukuno_mozi)。

ライター。髪や眼の色素が薄く生まれるアルビノで、うつ病、セクシュアルマイノリティの当事者でもある。医療や科学分野に関心があり、マイノリティについても執筆。趣味で小説も書く。Twitterアカウントは、@yukariya07(https://twitter.com/yukariya07)。
過去を振り返り、傷つくことも多いのでは?
雁屋さん:過去を振り返ると、当時その瞬間には「防衛反射」的にあまり考えないようにしていたことでも、「あの言葉が嫌だったな」など改めて気づくと思います。傷つくことも多いのではないかと思いますが、つらくはないのでしょうか?
鈴木さん:とてもつらかったですね。でもだからこそ、今は「過去こそ変えられる」と思っているんです。
あのとき本当はモヤモヤしていたな、傷ついていたなと、改めて思うことはあるのですが、漫画でキャラクターに同じことが起こったとき、違う捉え方ができるんですよ。周りの人がどんな感情でその行動に出たのか、その結果で私はこういう言葉を受けたのだと。
傷はついたけれども、その背景に愛があったり、やさしさがあったり、その人なりの信念や正義があるなと捉え直せたので、つらいだけではなくて、むしろ「そのつらさを情熱に変える」みたいな。
雁屋さん:「過去こそ変えられる」と聞いて、ものすごくびっくりしました。起こった事実は変わらないけど、解釈が変わるということですよね。
私がつらいことを言われた過去を振り返る場合、あの瞬間なぜすぐに怒れなかったんだろうとか、後悔が大きくなる気がします。
相手からしたら親切心だったかもしれないけど、私が傷ついたことが私にとってはただ一つの真実と考えてしまうので。「悪意がなかったとしても行動がすべて」と極端なことを考えていたので、今すごく驚いています。
鈴木さん:私も極端に考えるときもあります。ただ、人生が続く中で、いったんは距離を置いた人ともやむを得ずつき合っていかなければならない関係性もありますよね。
昔あったことを自分の中で癒やして、昇華して、傷つけられた人だとしても新しい関係性を築けた方が、私としては気持ちが楽ですし、さらに視点や世界が広がるなと思いました。
一方で、私自身もこれまでたくさんの人を傷つけてきたと思います。十分に気をつけていても、これからの人生でまた私が人を傷つけてしまうことがあるかもしれません。
当事者は「被害者」として描かれることが多く、実際の生活でも「被害」を受ける機会は多いのですが、人間として生きている限り、「加害者」にもなっているという視点を、私は忘れたくないなと思っています。
「やり直し」の機会があると考える方が私には気分が楽になるので、結局は自分のための考え方なのですが……。
もちろん、自身が「傷ついた」と感じたら距離を置いたり、関係性を絶ったりすることも大事ですよね。距離の取り方や人間関係の持ち方は、人それぞれでいいと思いますよ。
「誰が描くか、誰が言うか」は問われるのか?
当事者でない人が描いているとなると、より「当事者がかわいそう」といった批判を受けやすいと感じます。その結果、書き手が限られてしまうのは怖いことです。
鈴木さん:怖いという感情はどこからくるのですか?
雁屋さん:以前、「アルビノになりたい」と髪を白く染めたYouTuberが、「アルビノの方に失礼」「難病だからあまり動画のネタにしないほうがいい」などと炎上したことがありました。
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それ以来、私としては、非当事者が表現することに対して「危ない」という雰囲気が漂っているように感じます。
仮にそれが加速して、当事者でないと描いてはいけない風潮となると、アルビノのように数が少ない場合、創作物の中からアルビノがいなくなってしまうかもしれません。それは極端な話ですが、表現の幅が狭くなってしまうのではないかと考え、モヤモヤしていました。
鈴木さん:たしかに、雁屋さんが「怖い」と感じたりモヤモヤする気持ちが分かる気がします。
症状にふれることに対して、”かわいそう””失礼”という言葉を使う方の視点も想像はできるのですが……。
私は、当事者でなければ描いてはいけない風潮は感じたことがないんです。もし仮にそういう風潮が広がったとしても、それに反旗を翻すような作品は必ず出てくる、それが表現の世界なのでは?とも思います。

アザのメイクへ思うこと
フランスでも「青に、ふれる。」を出版していただいたんですけど、インスタで瑠璃子のアザのメイクをしてコスプレしているフランスの女の子がいたんです。
雁屋さん:へー!そうなんですね! 思ったより自由というか、開かれた世界ですね。
鈴木さん:本当に純粋に楽しんでやっているんだろうなと思いました。
でも、私の心が閉じていたらモヤモヤしてしまったかもしれません。以前取材させて頂いた太田母斑の当事者の方は、アザメイクを見るたびにモヤモヤするとおっしゃっていました。
症状に関する表現って、受け取り側の心の状態によって変わる気がします。
雁屋さん:アルビノを「きれいだね」と言われるのも文脈によってはうれしいし、文脈によってはどうなのと思う瞬間もあるし、一律にどれがいい、どれがダメということではなくて、関係性とか文脈の話なのかな。
……私は1人でもんもんと考えすぎていたのかもしれません。
鈴木さん:抱えているものが自分の中で重くなればなるほど、1人でもんもんと考えるしかなくなったりしますよね。
雁屋さん:もんもんと考えていることはあまり人に「聞いて」と言えないんです。

「感情」は創作へのエネルギー
悲しい、つらい、やるせないといった昇華できないいろんな感情。それがあるからこそのプラスの感情というか、癒しや解放感を味わえることもありますし。
雁屋さん:私は気持ちの整理をするとき、人には話せないことを日記に書いています。整理することによって引いて見られることもありますね。かつての日記を読んでいると、今の創作はこうして生まれているなというのが伏線を回収するように分かります。
鈴木さんは私と全然捉え方が違う。目からうろこの考え方もありましたし、気持ちの処理が上手だなと思いました。
鈴木さん:私も雁屋さんとお話して新たな視点をいただきました。
自分の感情の処理の仕方はまだまだ研究中なんですけど、これからも楽しんで創作に生かしていきたいなあと思います。
雁屋さん:創作って、それぞれの理想や考え方が意識せずとも出ると思っていて、そこが怖くもあるけど、私は創作が好きだと改めて思いました。
ライターとして、小説の書き手として、自分の表現でやっていこうと思います。