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あのカレー粉、缶をよく見ると…実は長い〝国会議事堂〟との付き合い
2021年、ルウとレトルトの売り上げ逆転
パッケージの背景に描かれた有名な建物、資料館にまさかの神社――。カレーをはじめ、スパイス商品でおなじみのエスビー食品。今年創立100周年を迎えたスパイスの老舗には、様々な「へぇ!」が隠されていました。
エスビー食品は1923年、創業者である山崎峯次郎氏が日本で初めて国産カレー粉の製造に成功し、エスビー食品の前身となる日賀志屋として産声をあげました。
当初、カレー粉は業務用として販売が始まりましたが、1930年には「ヒドリ印カレー粉」として、家庭用としても販売されるように。
いまも販売が続く「赤缶カレー粉」が登場したのは、第二次世界大戦の終戦から5年後の1950年。当時からスパイスの調合はほとんど変わっていないのだそう。
実はこの「赤缶」、よく目をこらすと日本を代表する建物の一つ、国会議事堂が描かれています。
現在の国会議事堂は、1920(大正9)年に着工し、1936(昭和11)年に完成。
食品のパッケージに国会議事堂とは、なかなか想像しにくい組み合わせですが、赤缶発売の17年前の1933年に発売されていた「白缶」にも国会議事堂は描かれています。つまり、国会議事堂完成の3年後には、国会議事堂が描かれたデザインのカレー缶が販売されていたことになります。
エスビー食品と国会議事堂の関係はそれだけではありません。
1947年ごろ、板橋の工場が竣工しましたが、入り口正面に国会議事堂を模した建物になっており、「板橋の国会議事堂」と呼ばれていたそうです。
同社広報担当の野瀬ゆり子さんは、「カレー界を担い、日本を代表する商品になるようにとの願いをこめ、パッケージに取り入れたそうです」と話します。
かつての「板橋の国会議事堂」には現在、エスビー食品の歴史や世界各国でとれるスパイスについての展示がある、スパイス展示館があります。
この展示館、入ってすぐ右手に、なぜか神社があります。
同社によると、鬼の好物とされているにんにくが奉納されている、青森県の鬼神社(きじんじゃ)が分祀されたもの。1984年、同社で「ガーリックパウダー」を製品化した縁で同神社に分祠を申し入れ、許可されたのだそう。
展示館で100年の歴史をたどる中で、記者にとって非常に懐かしいパッケージを発見。「5/8チップ」(現在は製造中止)です。
子どもの頃に見かけた、パッケージに思わず「懐かしい!」が飛び出していました。
すると、野瀬さんは「昔はスナックにも参入していたんです」。
聞けば、バブル期、事業の多角化の一貫としてスナック事業を展開。中でも、「鈴木くん」「佐藤くん」は日本人の中でも多くいる名字を使った商品で、ヒット商品の一つでした。
ただ、2003年にはスパイスやハーブの事業に注力するため、スナック事業からは撤退しました。
ちなみに、「豊かで楽しい食生活の提案」として、「ファンシー事業」も展開。パーティーを盛り上げるクラッカーなどのグッズを、1990年代後半まで販売していました。
多岐にわたる分野への開拓スピリットはいまも健在。スパイスとハーブを軸に事業展開している現在も、取り扱い商品は3000品目に上ります。
中でも、カレー商品の中でのトレンドは、「レトルト」。
カレー商品全体の売り上げ推移はほぼ横ばいですが、詳細を見ると、2021年に「ルウ」と「レトルト」の売り上げが逆転しています。
「世帯人数の変化により、大鍋でたくさんの量を作るルウよりも、手軽に個々に食べることができるレトルトの需要が増えています」と野瀬さん。
エスビー食品で販売しているレトルトカレーは、現在74品目。価格帯は150円~500円程度です。これまでは忙しいときに重宝されていたイメージが強いカレーですが、野瀬さんによると「忙しいときに便利という側面だけでなく、自分の好きなレトルトカレーを『楽しみたい』という需要が増えている。そのため、より高い質や充実した品揃えが求められている」といいます。
人気店の味わいを再現した、いわゆる「ご当店」商品の成長が続き、購入単価も伸びているそう。
「『高級食パン』を買い求めるのに近い感覚でしょうか。単に胃袋を満たす目的ではなく、ご褒美やイベント目的にもなっています。カレーが趣味化し、楽しみ方の幅が広がっていると感じています」
※スパイス展示館は一般公開されていません。
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