連載
#9 コミケ狂詩曲
「同人誌は、ただの本じゃない」印刷所社長〝転売自由化論〟への疑問
販路拡大だけでは幸せになれない理由
ツイッター上で、同人誌の転売を容認する主張が拡散されています。多くの批判を浴び、投稿者が発言の撤回と謝罪に追い込まれる事態となりました。一連の出来事について、冊子の印刷事業者は、どのように受け止めたのでしょうか? 同人誌という媒体が果たす、稀有(けう)な役割にまつわる思いを、幹部に聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
注目を集めたのは、「全国同人誌転売流通連絡会」を名乗るユーザーが今年3月、noteに投稿した記事です。
タイトルは「同人誌に転売の自由を~私達の考え~」。転売は法律で禁じられておらず、市場での冊子流通量を増やし、読者の手に渡る可能性を高める手立てである。推進すれば業界全体が活性化する――。そのような主張がつづられています。
10月19日夜、当該記事がツイッター上で拡散され、「転売の自由」がトレンド入りしました。すると同人作家とみられる人々から「制作の現場を知らない人の意見」「全ての作家が自著を広く読んで欲しいわけじゃない」などの批判が相次ぎます。
記事中には、転売を法的な観点で正当化する記述が含まれ、解釈に誤りがあるとの指摘も続出。同会はnoteの記事を取り下げ、ツイッターアカウント(現在は削除)で「同人文化へのリスペクトを欠いていた」と謝罪しました。
記事が分析対象としていたのは、いわゆる漫画やアニメなどの「二次創作本」です。そもそも同人誌とは、同じ趣味や目的を持つ人々が手がけた冊子を指します。原作を持たない一次創作や文芸、評論、研究など、ジャンルは多種多様です。
しかし大抵の場合、「同人誌と言えば二次創作本」というイメージで捉えられているように思われます。国内外で盛り上がるアニメ人気が、そうした印象を形成・流布すると共に、同人文化の振興に寄与してきたことは論を待ちません。
「今や著名人がオタクであることを隠さず、日本最大の同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)も、サブカルチャーの象徴として認知されています。同人誌が好きと言いづらかった十数年前と比べれば、市民権を得たものです」
そう語るのは、広島県福山市の印刷所・栄光の岡田一社長(64)です。同社は同人誌印刷事業をメインに展開し、自社倉庫で冊子の在庫を一時的に預かるなど、顧客の需要を踏まえた細やかなサービスで支持を集めてきました。
岡田さんによると、二次創作本は原作コンテンツのパロディーであると同時に、著者の性癖(思考の癖)が反映されやすい媒体でもあります。元作品で絡みがなかったキャラクター同士の物語を、個人的な妄想で補完して描く、といった具合です。
一般的ではないモチーフを扱う場合も多く、読者層を限定するゾーニングを行うことが通例なのだそうです。表紙に成人指定と明記したり、特定のキャラのカップリングのみがテーマの即売会で頒布したり、というのが代表的と言えるでしょう。
ただ転売が横行すると、冊子が不特定多数の目に触れてしまいます。古書店やオークションサイトに出回り、同人文化に親しみがない人物の手にも渡りうるのです。「トラブルになりうるため、作家側の反発は大きい」と岡田さんが解説します。
そしてもう一つ、転売が同人活動に与えるかもしれない、大きな影響があります。
二次創作本は、いわば非公式のファンブックです。一方で岡田さんいわく、同人文化の流行は、原作コンテンツの売り上げ増大に貢献してきました。二次創作本の有無が、作品の人気度を測る指標にもなっているそうです。
そのため多くの権利者の間には、制作を容認する、暗黙の了解があるといいます。
「節度を守った活動であれば、相乗効果が見込める。同人文化を、そのように理解する原作者は少なくないんです」
実際、漫画の出版社といった企業がコミケに出展することも、近年では当たり前になってきました。作品の愛好者たちと直接触れ合えるマーケティングの場として、即売会が位置づけられているのです。
ただ同人誌の転売によって、無関係な第三者が利益を得る機会が増えると、状況が変わってしまう可能性があります。売上が冊子の作者や著作権者のもとに還元されないこともあり、創作活動の妨げになるかもしれないのです。
「時間をかけて築き上げた、同人作家と原作者との結びつきが、一気に断たれることになりかねません。『私の作品で、二次創作本を作らないで欲しい』と拒否感を表明する人が増えれば、むしろ業界の縮小につながると予想されます」
先述した事情から、最近は冊子の奥付に「転売禁止」と明記する著者が増えていると、岡田さんは話します。その上で、同人誌の特殊性にも言及しました。
「同人誌は、ただの本ではありません。細分化されたカテゴリーの中で、趣味や志を同じくする人との出会いを演出してくれるのです」
性癖は、個人の人格を構成する大切な要素。その点で一致できる相手を探し出し、つながることによって、大きな喜びを味わえます。つまり同人誌には、縁を媒介するという価値があるのです。
もっとも、同人誌制作は大半が赤字です。
岡田さんいわく、ロット数が少ないほど、1冊あたりの印刷費は割高になります。たとえば32ページの冊子を1000部刷る場合、ならすと100円ほどで済みますが、それだけの冊数をさばける作家はひとにぎりです。
同社で受注する同人誌の印刷部数は、100部以下であることがほとんどだといい、必然的に負担感が強まります。印刷費に加え、即売会会場への交通費や宿泊費などもかかるため、「冊子の売り上げで制作費を賄えれば良い方」とのことです。
もうけを度外視して、同人誌がやり取りされる背景には、その独特の役割に対する敬意があります。岡田さんは最後に、次のように話しました。
「オリジナル作品の著者なら、自著をどんどん周知したいと考えることもあるでしょう。でも二次創作だと、そうはいきません。転売で市場を大きくすれば良い、という単純な話ではない。作り手の思いに、少しでも寄り添って欲しいと思います」
noteの記事に目を通したとき、筆者は衝撃を受けました。今日まで何度も、コミケのサークル参加者などを取材し、創作者の心情に触れてきたためです。
「自分の価値観を誰かと共有すること。それは存在を認めてもらうのと同義なんです。だから、私の同人誌にお金を払う判断をしてくれた人に、本心から頭を下げています」
これは今夏のコミケに出展した、友人の同人作家から聞いた言葉です。時に寝食を忘れて編んだという冊子に、どれだけの量の情熱がこもっているかが、端的に表現されていると感じます。
全ての創作物は、作者の分身と捉えられるでしょう。日々の思考や人生観を、多分に含んでいるからです。同人誌の場合、その濃度がひときわ高い。だから読むときは、描(書)き手の心と向き合うつもりで、いつも丁寧にページをめくります。
著者と読者のひそやかな交流を成立させるのは、創作に対する尊敬の念です。今回の一件で、多くの同人作家が否定的な反応を示したのも、そうした思いが欠けていると感じられたからではないでしょうか。
同人活動は、特定の対象への「好き」という気持ちを、まっすぐ表現できる点で、かけがえのない文化と言えます。誰もが安心して楽しめるようにするため、どう振る舞えば良いのか。岡田さんとの対話から、改めて考えてみたいと感じています。
※記事の一部表記を修正しました(10月21日)
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