連載
#8 コミケ狂詩曲
同人誌頒布、なぜ手渡し?100回目のコミケに参加した作者の答えは
リアルな「場」でこそ共有できる感動
今夏で記念すべき100回目の開催となった、日本最大の同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。新型コロナウイルス流行による延期・中止を経てもなお、手ずから編んだ同人誌などを持参し、会場に集う人の波は絶えません。自らの思いを込めた創作物を、コミケというリアルな「場」まで出向き、対面で他者に手渡す。書店委託などの手段もある一方、サークル主たちは、なぜそんな営みにこだわるのでしょうか。イベントに心を寄せ、参加し続けてきた記者が、一人の同人作家に密着取材して考えました。(withnews編集部・神戸郁人)
「コミケは、大好きな漫画やアニメの『続き』を見せてくれる。人の数だけ存在する、望ましい展開や結末が、一挙に集まる場所。その点に面白さを感じます」
4年前、夏のコミケ(夏コミ)で、とある作品の二次創作本を手がける、サークル主から聞いた言葉です。コミケにどんな魅力を抱いているのか、という質問への返答だったと記憶しています。この見解は、私の胸の奥底に染み入りました。
会場の東京ビッグサイトを初訪問したのは、中学2年の夏コミ。『あずまんが大王』など、当時既に連載が終了していた作品の二次創作本を、何冊も買い求めました。もはや公式には更新されない物語の、「その後」に対する飢えを満たしてくれる気がしたのです。
以来、毎年夏と冬に行われるコミケに、足繁く通いました。最初は渡り鳥のごとく、サークル席を見て回るだけ。しかし段々と、同人誌の作り手と親交を深めていきます。「新刊、心待ちにしていましたよ」。いつの間にか、そんな挨拶(あいさつ)が自然と口をつくようになりました。
想像力の翼を羽ばたかせ、縦横無尽に原作を解釈する――。二次創作作家たちが編んだ冊子を読むたび、私は視界がぱっと開けるような感覚を抱きます。同時に、こんな思いも頭に浮かぶのです。
「この人たちは、なぜ同人誌を他者と共有するのだろう」
あまたのサークルが、ひとところに軒を連ねる。コミケでおなじみの光景です。同人誌を求める人々に、〝宝探し〟的な楽しみを提供してくれる環境でもあります。一方で冊子の作り手が、対面での頒布にこだわる理由は、どこにあるのでしょう。
極論すれば、書店への委託販売などの形で作品を発表することはできます。しかし新型コロナウイルス流行による延期・中止を経て、約2年ぶりに開催された昨年末の「冬コミ」にも、著書を挟んで読者と語らうサークル主の姿があふれていました。
表現活動そのものを超え出る動機が、創作者の側にあるのではないか。コミケが100回目という節目を迎えた今こそ、その本質について考えてみたい。私はそう思い、旧知のサークル主に連絡を取り、話を聞くことにしたのです。
7月下旬、私はマンションの一室を訪ねました。出迎えてくれたのは、サークル「和歌山下津漫画制作同好会」を主宰する、阪本繁紀さん(29)です。4年前の夏コミで知り合い、記事冒頭に載せた発言の主でもあります。
ワンルームの部屋を見渡すと、パソコンのモニターが載った作業机が目に入りました。その上にオリジナル漫画『ある光』の原稿が重ねられています。
「全部で約200ページあります。平日の午後8時~翌朝2時の時間帯と、週末を使い、1年ほどかけて描きました。これでも、まだ途中なんですが……」。阪本さんが笑います。
主人公・佳文(かや)が、地元の福島県いわき市で東日本大震災に遭い、未来を切り開くまでを描いたフィクション。天変地異から故郷をいかに守れるか、読者に問いかける内容です。100回目のコミケに向け、前編となる新刊を準備中でした。
学生時代から、漫画の制作を続けてきた阪本さん。絵心が全くない私にとっては、とてつもない偉業の担い手です。コミケについて質問する前に、どんな経緯でペンを持つに至ったのか、聞いてみることにしました。
漫画との運命的な出会いを果たしたのは、小学5年の頃。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀)の単行本を父から譲り受け、読み込みました。自動車や携帯電話など、折々の流行り物の細密な描写に惹かれ、自然と「描いてみたい」と思えたそうです。
「ちょっと待っていてくださいね」。阪本さんはおもむろに、高さ1メートルほどのレターケースから、手製の冊子をいくつか取り出しました。中学1年の頃から描きためてきたという、一話完結型の自作漫画集です。
「こち亀に憧れて、お気に入りの自動車を、細かく描き込んで登場させるなどしました。中学時代、地元の最寄り駅で同級生に読んでもらい、感想を聞くのが大好きだった。面白い、楽しいと言ってもらえることが、創作のモチベーションになっていました」
故郷の和歌山県を離れ、東京都内の大学に進学後は、友人と漫画同人誌の制作を進めます。校内にビラを貼って描き手を募ると、複数人が声をかけてきました。そして在学中、2冊の合同誌を作り、文化祭で頒布したのです。
「冊子の発行数は少なかったかもしれません。でも『自分の世界観を表現したい』と考えている人たちが、想像以上にたくさんいると実感できました。合同誌が2冊とも完売したことも、大きな手応えになったと思います」
転機が訪れたのは、大学を卒業後に郷里へとUターンし、和歌山県庁で勤務し始めた2016年。この年の冬、サークル主として、初めてコミケに参加したのです。就職して以降も、引き続き創作の機会を持ちたいと考えてのことでした。
「会場は、自分の好きな表現を求める人々でいっぱいでした。年齢層も性別もバラバラで、ものすごい熱気だった。その様子から『働いているからといって、仕事一辺倒の生き方をしなくてもいいんだ』と安心し、毎年足を運ぶようになりました」
私が出会った頃、阪本さんはメディアミックス作品『けものフレンズ』(けもフレ)の二次創作漫画を描いていました。動物と人間の関係性や、世代を超えた意志の継承など、原作の題材を独自の視点でかみ砕く内容に、心震えたことを覚えています。
「二次創作というのは、自分の考えを色々な人に共有するための、インフラのようなものだと思うんです」。過去に手がけたけもフレの同人誌を眺めながら、阪本さんが語ります。意味するところを尋ねると、こんな思い出話を教えてくれました。
約3年前、けもフレ好きの知人らと、泊まりがけで地方の水族館を訪れた際のこと。初日の夜、感想を聞かせて欲しくて、同行者たちに同人誌を手渡しました。すると翌朝、そのうちの一人から興奮気味に「サインをください」と頼まれたのです。
「私の同人誌は、原作に感動した経験を〝真空パック〟のように凝縮したもの。そこに込められた感情を、本気で共有してくれる人がいる。そう実感すると共に、創作を通じて自分を理解して欲しい、という根源的な欲求にも気づいたんです」
原作のどんな点に胸を打たれ、どこに魅力を感じたのか。阪本さんは二次創作に取り組むとき、自らの心のありようをつぶさに観察するといいます。そしてけもフレの同人誌を作り続けるうち、ある思いが頭をもたげるようになりました。
「個人が大切にしている物事や価値観を、どうやって引き継ぐことができるか。けもフレが掲げるテーマの一つです。私自身、この点をめぐるストーリーに感情を揺さぶられてきた。なぜだろうと考えてみると、家族の存在に行き当たりました」
阪本さんの祖父と父は医師です。和歌山県の地域医療の第一線で活動し、市民から信頼を得てきたといいます。二人がなしてきた地元への貢献を、自分なりに承継したい。いつしか抱いた、そんな気持ちが、けもフレの物語と重なったのです。
「県庁職員として、防潮堤の新設事業に携わったことがあります。以来、どうやって故郷を自然災害から守れるか、ずっと考えてきました。医学を修めていない私が、目標を達成する上で、漫画が役に立つのではないかと思ったのです」
和歌山県では、南海トラフ地震の津波被害が予想されています。東日本大震災について振り返る作品を世に出せば、幅広い読者層に天災への備えを促せるかもしれない。そうした意図から生まれたのが、オリジナル作品『ある光』でした。
全体の構成を練るにあたり、津波襲来前後の街の資料写真や、被災証言を集めるため、休日を利用していわき市を訪問。2年前に業界紙の記者に転職してからは、防災政策にまつわる取材から得た知識も、作品に反映しています。
阪本さんは生活の大半を漫画の制作に捧げてきました。『ある光』で重要な意味を持つオートバイの描画参考用に、実物を購入した経緯は象徴的です。「保管のためやむを得ず、屋根付き駐輪場がある現在の住居に引っ越しました」と苦笑します。
漫画を描いたり、文章をつづったりする行為は、文芸的な営みに属します。衣食住と異なり、必ずしも生死に直結する要素ではありません。それでも、何百万もの人々がコミケの会場に赴いてきた事実を思えば、精神的な糧になりうるのは明らかでしょう。
人生を未来に向かって延びゆく縦糸と見なすならば、創作とはそれを下支えする、横糸のようなものなのかもしれない――。表現活動に心血を注ぐ、阪本さんの話に耳を傾けながら、私はそんなことを考えていました。
私はこれまで、コミケへの参加経験について、サークル主たちを何度か取材してきました。その際、異口同音に語られたことがあります。「創作物にしのばせた思いが、誰かに伝わったときの喜びは計り知れない」という趣旨の発言です。
同人誌を通じて、自らの感性を世界に向かって開く。それに共鳴してくれた他者と、血の通った関係性を育む。そうした人間的結びつきは、淡々と紡がれる人生という縦糸に、まさしく横糸となって折り重なり、厚みと強度をもたらしてくれるものです。
「サークル席に掲げられたポスターの絵柄を見て、『いいな』と思ってもらえる。そのような新規ファンとの出会いは、やはりコミケでないと得られません。人と人とのつながりが生まれる貴重な場なんです」。阪本さんが、力を込めました。
早く新刊が読みたい――。100回目のコミケ初日にあたる8月13日、はやる気持ちを抑えつつ東京ビッグサイトへと急ぎました。台風8号が接近し、空はあいにくの雨模様。しかし多くの参加者が場内を行き交い、コロナ禍前さながらの人いきれです。
人波をかき分け、阪本さんのサークル席に着くと、先客の姿が。「これで500円? もっと多く支払いたい……」。新刊の見本誌を手にした男性が、丹念なコマの描き込みに驚いています。何度かページを繰った後、一冊購入していきました。
首尾はどうですか。私の質問に、阪本さんは「予想以上の売れ行きです。台本形式のパイロット版を配布し、ほとんど手に取ってもらえなかった、昨年の冬コミとは全然違いますね」。A4判の新刊を眺めつつ、笑みを浮かべました。
冬コミでは、感染症対策のため参加者数が絞られ、頒布に苦労したといいます。私自身、その場に同席し、嘆きを直接耳にしていました。今回、入場制限が緩和された影響で、多くの人々と対話しながら、自著を売り込めるようになったのです。
言葉を交わす間にも、老若男女が代わる代わるやってきます。せわしく応対する阪本さんの横顔は、何とも楽しげです。一段落ついた頃、私は4年前と同じ疑問を、改めてぶつけてみました。ご自身にとって、コミケとは何なのでしょう?
「自分の価値観を誰かと共有できる場でしょうか。それは存在を認めてもらうのと同義なんです。だから同人誌にお金を払う判断をしてくれた人に、本心から頭を下げる。その体験を、他にない規模で重ねられる、唯一無二の機会だと思います」
回答を聞き、ハッとしました。私が描き手に対して持ってきた感情と同じだったからです。例えば二次創作漫画を読み、原作の解釈が一致する。そんなとき、世界と和解し、内側に組み入れてもらえた感覚と、作者への感謝の念を抱くのです。
表現を愛する人同士が、心を通わせ分かち合う祭典、コミケ。これから150回、200回と続き、いつまでもながらえて欲しい。帰路の電車内で、阪本さんの新刊を開き、その確かな重みとぬくもりを感じながら、そう思いました。
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