連載
#244 #withyou ~きみとともに~
「もう放っておいて」不登校の息子は母に告げた 衝突の末に得た希望
「ぶつからないとわからない」
体調不良により中学の頃から学校を休みがちだった男性は、高校2年のゴールデンウィーク(GW)明けに不登校になりました。「学校に行けない罪悪感とも十分戦った。でももう無理。もう放っておいてくれ」と思っていたという男性。一方で「どうしていいかわからない状況だった」と母親は話します。現在、大学2年生になった男性と母親に話を聞きました。
東北地方に住む男性(20)は、中学1年生のときに、立ちくらみなどの症状がある自律神経機能不全の一つである、起立性調節障害になりました。朝起きづらかったり、友人と話しているときは大丈夫でも、長く座ったりしているときに、ボーッとしてしまい、授業中に寝てしまうこともありました。
高校1年生の終わりまでは、周囲の理解もありうまく向き合いながら過ごすことができていました。
環境が変わったのは2年生になってからでした。
1年生のときの担任は「休んでいても君ががんばっているのはわかっている。つらいのはわかるし戦っていることもわかっているので、自分なりに諦めずにいてほしい」と、言葉にも態度にも示してくれていました。
ですが、2年生になると、障害を理解してくれていた友人とクラスが別々に。担任は「根性でなんとかなる」という姿勢の先生に代わりました。「一から理解してもらうために、また色々がんばらないといけないのか」と気持ちが落ち込んだ男性でしたが、4月はなんとか気を張って登校していました。
元々、負けず嫌いで、期待にはがんばって応えたいと思うタイプ。
「先生たちから期待してもらえるのはうれしいし、応えなきゃいけないとも思う。その分、朝起きれなかったり動けなかったりしたときの罪悪感がとても強かった。自分の居場所がなくなってきたなと感じていました」と振り返ります。
無理をしながらも、なんとか食らいつこうとしていた4月が終わり、GWを迎えると、「自分にとって不利な状況から自分の好きな空間に戻ってこられた」という心地のいい状態になったと感じていました。
その状態で自分と向き合う中で、「戦いの場」である教室になかなか戻りにくい気持ちになった男性。
それでもGW直後は「負けてられん」と登校していましたが、5月末からは母親に車で学校まで送ってもらっても、その先に行くことができなくなりました。
何度となく、駐車場から学校に「行けません」と連絡を入れたという男性の母親(45)は、当時を振り返り、「これ以上がんばらせることになにか意味があるのか」と思い始めていたといいます。
一方、結論を出すのは本人だと決めていたこともあり、「もう学校に行くことは無理だろう」と思いつつも、学校との交渉を一手に引き受けていました。
「どうしていいかわからない状況でした」
「学校側は『来てほしい』と言うし、私としても退学になるのをただ待つのもどうかと思っていた。でも、この時点で本人は決めかねているようだったし、もし辞めるにしても『辞める』という言葉が本人から出てくるまでは待たないといけなくて……」と、葛藤していた当時の心情を語ります。「ただ本心を言えば、(学校を辞めた)次のためにも、すぐにでも動きたかった」
その頃、男性は「がんばりにがんばったけど、パンク」した状態でした。
「先生が期待してくれているのはわかる。自分のことを思ってくれているのもわかっている。でももう無理だ」と思っていました。
そして、無理だと思っているのに学校が「応援」してくれることにはなにも感じなくなっていったといいます。当時の心境は、「わかった。もういい、わかったから放っておいてくれ」。
男性の判断を待っていた母親と、「とにかく放っておいてほしい」と思っていた男性。ただ、この時点でそれぞれの気持ちが親子間で十分に共有されていたかというと、それは少し違いました。
学校の駐車場まで来ても車からは降りられない時期が続いていた5月末、親子は衝突しました。
きっかけは、朝の欠席連絡でした。
学校を欠席する際は、学校に電話連絡をするのが決まりでしたが、母親は毎朝男性の体調を尋ね、学校に連絡を入れるという作業が続いていることが「本当につらくなった」といいます。
「このままだと私の気が狂ってしまう」と感じていた母親は、ある朝、男性の部屋の前で「学校にはもう連絡したくない」と正直に男性に伝えました。
一方で、この先どうすればいいか自分でも考えあぐねていた男性は、母親に返す言葉が見つかりませんでした。「『わああああ』って叫びながら、壁を殴って穴をあけちゃったんです」
当時、「気持ちがまとまっていなかった」と振り返る男性。母親が仕事のため家を出た後、じっと考えたといいます。
「本当に伝えたかったのはなに?」
「叫ぶのは違うよね?」――。
夕方になり、母親が帰宅すると、夕食も食べず、二人で数時間にわたり話し合いを続けました。
男性が伝えたのは「心の整理をつけたいから、放っておいてほしい」ということ。
一方、母親がいまも覚えているというのが、男性から言われたこの一言でした。
「もし自分が先に進めない原因があるとしたら、それは母さんだ」
これを聞いた母親は腹をくくりました。
「そこまで言うんだったら、こっちもやってられるかって思いましたね。何を言っても、これはもう動かない。逆に、彼が動くのを待つしかない」
「出欠連絡を含め、私自身がすごく学校のことが怖くなってしまっていました。だけど、それ以上に本人は怖さを感じていたんだと思う」
「それでもそこまで言葉にして結論を出しているなら、もういいでしょう」と、次のステップを本人が決めるのを待とうと決めました。
本人の強い気持ちを感じたという母親は、進路などについての不安はあった一方、彼なら大丈夫だと信頼する気持ちも強くなっていました。
この衝突後、男性は自力で定時制高校を見つけ出し、その学校を卒業。現在は大学生となっています。
衝突を振り返り、親子が口をそろえて話すのが、「ぶつからないとわからない」ということでした。
男性は「このとき、『うるせえ、黙れ』で終わらなかったのがよかったよね」と、ふふっと笑いながら振り返ります。
不登校の期間、男性に必要だったのは「時間」でした。
男性は、学校を休んでいる間、考えごとなどをしながら過ごしていました。「ひきこもっちゃうんじゃないかとか、家で好きなことばっかりしているとか言われがちですが、この時間は自分の自己肯定感を高める時間。『自分ならなんとかなる』と自信を持つために休んでいます」
一方で、親にとっては、時間が経っていくだけに見える状況はつらくもあります。
男性親子の場合は、本音を言い合い衝突したからこそ、「時間」が男性にとって必要なのだと母親も判断できました。
男性は最後に、不登校だった仲間と話している時のエピソードを聞かせてくれました。
何人かの仲間で不登校初期の話をしていたときのこと。「自分の心を落ち着かせる時間がほしいよね」という話になったそう。そのときの結論はこうでした。
「自分は何も考えていないわけではない。むしろ考えて戦っているからこそ、いまは放っておいてほしいんです」
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