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「アルビノの容姿は武器になる」と言われても…顔出ししない理由

マイノリティだけがリスクを負わなければいけないのでしょうか?

「実名顔出し」での発信がありがたがられる現状とその危機感について、アルビノ当事者・雁屋優さんがつづります(画像はイメージ)
「実名顔出し」での発信がありがたがられる現状とその危機感について、アルビノ当事者・雁屋優さんがつづります(画像はイメージ) 出典: Getty Images

目次

ここ数年、何らかのマイノリティ属性のある当事者が実名を明かし、顔を出して発信することが増えています。「実名顔出しの方が信用できる」と断言する人もいるほどです。しかし、「実名顔出し」がありがたがられる現状に、アルビノの当事者で、筆名で活動するライターの雁屋優さんは危機感を覚えるといいます。雁屋さんが筆名を使い続ける理由をつづってもらいました。

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「実名顔出し」は信用獲得の必需品?

「自分の発言に責任を持つ覚悟がないんじゃないか」

筆名を使い、顔を明かさずに仕事をする私に、幾度となく投げかけられた言葉だ。

私は髪や肌、目の色が薄く生まれる遺伝子疾患アルビノの当事者だ。アルビノが直面する差別問題についてメディアやSNSで発信している。プロフィールには、梅の花の写真と、雁屋優という筆名を使っている。顔や実名は、公表していない。

ライターとして、アルビノ当事者として、発信していくと決めると同時に、筆名を作った。2019年のことだ。筆名で顔出しをしないことのデメリットは、「実名顔出しをしていない人は信用できない」というネット上の言葉や、ライター業の応募条件に「実名」と設定されていることがあったことから、よく理解していた。それでも、私は筆名を使い、顔を明かさないことを選んだ。

「自分の顔にコンプレックスがあるのだろう」

そんな中傷を受けたこともある。自分の顔にコンプレックスがないと言えば、嘘になる。しかし、自分の容姿への自信のなさがそのまま顔出しの拒否に繋がっているわけではない。

画像はイメージです
画像はイメージです 出典: Getty Images

「アルビノの容姿は、武器になるよね」

3年ほど前、ライターとして発信したいことがあると何人かの知人に打ち明けると、そのほとんどから容姿を公開することを勧められた。色素が薄いアルビノの容姿は、一度見たらそう簡単には忘れないものだから、覚えてもらいやすい。それは発信していく上で有利になるだろう。そういう助言だった。

読者からしても「アルビノは髪や目の色素が薄く……」と文章で読むよりも、一枚の写真を見せられた方が理解しやすいだろう。また、発信する人の写真を見ることで、当事者を見慣れる効果もある。見慣れてしまえば、実際に当事者に会ったときに過度に驚くことなく、「ああ、そうなんだ」とフラットに関われるようになる。

実際、発信を続けるアルビノ当事者の先輩方の多くが、実名顔出しをしている。

こうした先輩方の発信のおかげで、少しずつアルビノについて社会の理解が進んでいることに深く感謝している。

マイノリティの人々の運動の歴史を紐解けば、実名顔出しによって、権利を獲得してきた事実もある。「マイノリティ」という記号にされていた人々が、生きた人間であることを伝えるのに、実名顔出しは効果的だったのだ。

その上で、私は筆名を使い、顔出しをしないことを決めた。

顔出しによって、私が抵抗したい構造に巻きこまれる恐れがあったためだ。その構造とは、ルッキズムである。ルッキズムは、人の容姿をジャッジし、それによって評価を変える差別の構造だ。美人だから優遇する、ブスだから冷遇するというのがわかりやすいルッキズムだが、もっと複雑な問題をはらんでいる。

「アルビノ=きれい」というステレオタイプがある中で、顔出しをすれば「アルビノで美人」もしくは「アルビノなのにブス」という容姿のジャッジに巻きこまれるのは容易に推測できた。私が美人だからと注目され、発信に関心をもらってもらえるとしても、ブスだから中傷されたり同情されたりするとしても、結局はルッキズムに巻きこまれてしまう。

私の危惧は、杞憂には終わらなかった。顔出し実名で発信しているアルビノの神原由佳さんは「アルビノなのにブス」とインターネットで中傷された経験を記事に書いている。

【関連記事】「アルビノなのにブス」中傷された私、外見重視の社会に言いたいこと

私の武器は、文章と、それを生み出す思考だ。容姿ではない。ルッキズムに巻きこまれないためにも、顔出しはしない。

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画像はイメージです 出典: Getty Images

マイノリティにだけ課せられるリスク

実名顔出しで発信をされている方の覚悟は尊敬に値する。でも、そうしなければ、自分の伝えたいことを聞いてもらえない社会は、健全なのだろうか。

訴えたいことがあるという場合、その人は傷つけられた人や傷を負いやすい属性であることが多い。もし実名と顔を公表した上で誹謗中傷を受けたら、深く傷ついてしまう。ただでさえ、アルビノは特徴のある容姿だ。すぐに人に覚えられる。元々そんな状況なので、ネット上で顔出しすれば、自分の顔が見知らぬ人たちの記憶に残ってしまう恐れがある。その中にはマイノリティに差別的な人もいるかもしれない。たまたま街で出くわして、罵倒される恐れだってゼロではない。そんなリスクを背負うことを「耐えられない」「怖い」と思う当事者だっている。

筆名で、顔出しをせず発信していこうと決意したとき、私のなかにも「信用されず、話を聞いてもらえないのではないか」という不安はあった。同時にこうも考えた。「これから私が実名顔出しで発信をしたら、後に続く人達に、私が感じたのと同じ不安や抑圧を抱かせることになるのではないか。それは、絶対によくない」と。

私は、アルビノに伴う弱視への必要な支援や見た目への差別の解消など人として生きる上で当然の権利を求めているだけだ。それを実現するために、マイノリティはリスクを背負う覚悟が必要とされてしまうのか。

そんな社会にしてはならいないと強く思った。私が筆名で容姿を明かさずに活動することは、ルッキズムへの抵抗であり、マイノリティに大きなリスクを負わせる構造への問題提起だ。後に続く人達が、少しでもリスクを負わずに権利を得られる状況を作るための、一つの前例に私はなっていくつもりだ。

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画像はイメージです 出典: Getty Images

傷つかなくても、当たり前が手に入る社会に

かつて患者会の事務局として、代表をつとめる方の自宅住所や自宅の電話番号、FAX番号が載っていた時代がある。しかし、今では登記が可能なレンタルオフィスをはじめとした、活動する方の生活を守りながら活動を続けていくのに有用なサービスがある。

私はライターとして活動する傍ら、アルビノの当事者やその家族を支援しアルビノの啓発を行う団体「日本アルビニズムネットワーク」(JAN)でスタッフも務めている。JANでも、筆名の「雁屋優」と名乗っている。こうした当事者活動に参加する場合でも、匿名という選択肢は認められるべきだと思う。

【関連リンク】日本アルビニズムネットワークHP:https://www.albinism.jp/

人として当然の権利を得るための言葉に「実名顔出し」は必須ではない。発信には責任が伴うが、誰にでも発信する権利はある。筆名で容姿を明かさないからといって、その発信者が無責任というわけではない。筆名やハンドルネームであっても、その言葉にはその人の人生の重みがある。だから、実名顔出しをしないことを恥じたり劣等感を抱いたりする必要はない。

ルッキズムと、マイノリティにリスクを負わせる構造に、私は筆名かつ容姿を明かさないまま抵抗を続けていく。当たり前の権利を傷つくことなく手に入れられる未来を作るために。

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