ネットで拡散する「つわりに『マックのポテト』」という情報。実際に食べられたという人がいる一方で、つわりには医学的にわかっていないことが多くあります。身近なのに未解明な体の状態や病気とどう向き合えばいいのか、キャッチーな事例を通して考えます。(朝日新聞デジタル機動報道部・朽木誠一郎)
※この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる共同連携企画記事です。withnewsが情報の真偽検証を行い発信しています。
SNSで、こんな投稿が盛り上がるのを見かけたことはありませんか?
「つわりだけどマックのポテトだけは食べられる。なんなのこの現象?」
こうしたことは、よくあるのでしょうか。あるとしたら、なぜなのでしょうか。調べてみることにしました。
実は、つわりについては、医学的にまだわかっていないことが多いのです。
日本産科婦人科学会の『産婦人科診療ガイドライン産科編2020』では、つわりすなわち妊娠初期の悪心・嘔吐は、半数以上にみられるとされています。
0.5%〜2%で重症化し、その場合は妊娠悪阻という病気として、治療の対象になります。
妊婦に広く起こり、深刻になることもあるつわりですが、このガイドラインには「原因はわかっていないが、心身の安静と休養で症状を和らげ、食事や水分摂取を少量頻回にする」と記載されています。
一方で、ネットを検索すると、つわりの原因や対処法を説明するページや記事が多くヒットします。個人が自分の体験を紹介したり、専門家が医学的な説明をしたりと、さまざまです。中には「わかっていない」はずのことが断定的に書かれていることもあります。
つわりについて、何がわかっていて、何がわかっていないのか、産婦人科専門医の宋美玄さんを取材しました。
「はっきり言えるのは、個人差がとても大きいということです。妊婦さんの状態はさまざまで、誰かに当てはまることでも、別の人に当てはまるとは限りません。また、同じ人でも日によって、あるいは妊娠時期によって、状態が違うということもよく起こります」
原因としては、胎盤の絨毛という部分から分泌されるヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)、エストロゲンなどのホルモンが関係している可能性が考えられています。その理由は、これらのホルモンが妊婦さんで高い値になるから、とされています。
また、予防や症状の緩和のためにビタミン類を勧める報告もありますが、宋さんによると、現時点ではエビデンス(科学的根拠)はそこまで強くないということでした。
では、「マックのポテト」についてはどうでしょうか。なぜ、つわりでも「マックのポテトだけは食べられる」のか。結論から言うと、これは「わかっていないこと」です。
というのも、前述したようにつわりの状態は個人差がとても大きいからです。
宋さんは「一般的には酸っぱいものなど口がさっぱりするものが食べたくなるお母さんが多いと思いますが」と前置きした上で、「『ファストフードなら大丈夫』というお母さんも実際にいますよね」とします。
「私も自分の妊娠のときは、麺類なら食べやすかったです。もともと肉が好きでしたが、食べられなくなり、魚なら食べられました。このように、味覚がガラッと変わるお母さんもいます」
マックのポテトについて言えることは、「そういう人もいる」ということに限られます。その人が食べられる理由は、そもそもつわりの原因がわかっていない以上、わかりません。その人のその日、その時の心身の状態、変化した食の好みなど、さまざまなことが影響すると考えられます。
ここで気をつけたいのは、「つわりに『マックのポテト』」という情報が、SNSなどで目立ちやすいことです。
つわりのときは悪心・嘔吐や、食欲不振により、食べられるものが限られる場合があります(つわりが軽く、ほとんどこうした状態にならない妊婦さんもいます)。
妊娠前は普通に食べていたものが食べられなくなることもあり、つわりに悩む妊婦さんたちは、なんとか食べられるものを探し、自分と赤ちゃんに必要な栄養を摂っています。
だからこそ、同じ妊婦さんの「XXは食べられた」という情報には、大きな関心が集まるのです。「マックのポテト」はその「XX」の中でも度々、話題になるものの一つでしょう。
「つわりなのに『マックのポテト』なら食べられた」という体験談は、意外性ゆえに、SNSなどネットの話題になりやすいもの。当事者以外にも拡散され、さらに「食べられた」人の反応が加わり、話題はどんどん大きくなってきます。
「マックのポテト」がとりわけ、つわりのときに食べやすいというよりは、「マックのポテト」が食べられる妊婦さんもいて、「つわりに『マックのポテト』」という情報がSNSで目立ちやすい、というのが、実際のところと言えそうです。
つわりが重い妊婦さんは切実に食べられるものを探しています。何かが特別にいいもののように広まってしまうと、自分に合わなかったとき、落胆してしまうこともあります。「つわりはわかっていないことが多く、個人差が大きいこと」は、SNS時代にあらためて、広く知られるべきでしょう。
つわりは多くの妊婦さんが経験するのに、なぜこんなに「わかっていないこと」があるのでしょうか。
ここで思い出されるのが、「かぜの特効薬を作ることができたらノーベル賞級の発見」というたとえ話です。
かぜは非常に身近な病気である一方、基本的には、十分に栄養を摂って安静にすれば自然と良くなるもの。一般に「かぜ薬」と呼ばれるものは症状を抑えるための薬であって、根本的にかぜを治療するものではありません。
かぜの原因となるのは主にウイルスですが、その種類も多様であり、特効薬を作りにくい一方、放っておいても治るのであれば、わざわざそれに取り組むインセンティブが働きにくいとも言えます。「かぜの特効薬を作ることができたらノーベル賞級の発見」は、こうして、身近な病気ほど解明が難しいことのたとえ話としても使われます。
かぜのような感染症とは異なりますが、つわりに「わかっていないこと」が多いのも、似た構図です。妊娠時の妊婦さんの体の変化は多様ですが、基本的につわりは数カ月で治まります。これまであまり研究が進んでこなかったことも、そう考えるとうなずける部分があるかもしれません。
そして、このように「わかっていないこと」が多い病気や体の状態について、不正確な情報が広まりやすいことは、気に留める必要があります。このことは、例えば新型コロナの感染拡大時にも問題になりました。
ただし、これはあくまで、情報に接したときの姿勢の話です。つわりに話を戻すと、食べられるものを探して食べる工夫は大切なもの。宋さんは次のように話します。
「妊娠中はただでさえ精神的に不安定になりやすく、その上、『きちんと食べなきゃ』『バランスよく食べなきゃ』と思うとプレッシャーになり、どんどん追い込まれてしまうことが起こり得ます。栄養は必要なので、何も食べないよりもずっといいと割り切って、食べられるものを食べることをお勧めします」
また、「いずれ治まるものなので、それまでは自分にとっての『マックのポテト』を見つけてやりすごしてみてください」「工夫をしてもつらいときは、遠慮なくかかりつけの産婦人科医に相談して」としました。