連載
#240 #withyou ~きみとともに~
震災後、暴走した母「家族のため」シャンプー禁止 外食、エアコンも
「守ろうとしてくれているのがわかるからこそ、拒否できなかった」
連載
#240 #withyou ~きみとともに~
「守ろうとしてくれているのがわかるからこそ、拒否できなかった」
金澤 ひかり 朝日新聞記者
共同編集記者11年前の東日本大震災以降、「母は家族を守ろうと『暴走』した」――。当時高校生だった20代の女性は、原発事故後、食品の選び方などに慎重になった母親との関係をうまく構築できなかった10代を振り返ります。「守ろうとしてくれているのがわかるからこそ、拒否できなかった。孤独だった」。話を聞きました。
11年前、東京電力福島第一原発から車で数時間ほどの距離に住んでいた、本橋さん(仮名)は現在20代となり、実家を離れて暮らしています。
東日本大震災後の福島の原発事故当時、本橋さんは高校生でした。
「父も母も仕事は休みになり、私の高校も3カ月ほど休校になりました。みんな閉じきった家の中で過ごし、ラジオを聴いていたのを覚えています」
水道管が破裂した影響で、お風呂に入ることもなかなかできませんでした。
家以外どこに行くこともできない中、本橋さんはツイッターで各地にいる友人たちと連絡を取り合ったりしていました。
一方、母親もツイッターで情報を集めていたことを覚えています。
「しばらくして、両親が線量計を入手し、近所の線量をはかり始めました」。本橋さんの父親は原発関係の仕事に就いていたため、放射線の知識があり、その知識と実際の線量計が指し示す数値をすりあわせている様子でした。
震災と原発事故直後は、「謎の連帯感があった」という本橋さんの家族でしたが、1カ月ほど経ったころから雰囲気が変わっていきました。
要因の一つは、両親の仕事がなくなったことでした。
「元々家族に暴力を振るうこともあった父が、より荒れていきました。生活していくにはお金がないと厳しいのに……」
母親が強い口調で政権を批判したり、家の窓という窓を閉め切ったりするようになったのもこの頃でした。
「これまで母から政権批判を聞いたことはありませんでした。自分と同じ危機感を持ってる人とネットで共鳴しあっていたように感じます」
当時を振り返り、「原発事故という、最初は何が起きているのかわからない状況の中、私自身も恐怖を感じ、どう過ごしたらいいのかわからなかった」という本橋さん。「できるところは母の言うことに従っていました」
ただ、学校が再開し、周りの子たちとのギャップを感じ、理不尽に思えることも増えていきました。「なにが正しいのかわからず混乱していった」と話します。
震災以降の生活が精神的な負担になり、本橋さんは自分の学びたい分野を専門的に学ぶために選んだ学校にも通えなくなっていったそうです。心療内科の医師からは、家庭環境にも指摘を受けました。
「母は『私のことを守るため』と言うけれど、守っているのは身体の健康だけで、心の健康はないがしろにされているのではないか」
その頃から、母親に対して不信感が募っていったといいます。
「行きたい学校に行けなくなったことや、将来への不安、親の態度など、色んなことが重なり『ここを抜け出さないと死んでしまう』という気持ちになっていました」
それからしばらくして、家出をした本橋さん。
学校の宿題を詰めたバッグを家の最寄り駅に捨てて、当時家庭環境のことを相談していた、少し年上の女性の家に向かいました。
女性は実家暮らしをしていたため、女性の親が本橋さんの親に連絡をしてくれたといいます。家出先に1週間ほど滞在させてもらううち、本橋さんは少しだけ気持ちが安定していきました。
「制約のある生活から離れ、『一般の家庭』で暖かく迎えてもらったことが大きかったです。帰りの電車に乗るときには、原発事故後に買うことが禁止されていたような、チェーン店のサンドイッチを持たせてくれて、『私もこの暮らしをするぞ』と思いました」
周りの子と同じ生活を送ったり、一緒に遊びに行ったりしたかった高校生活を、制約の中で過ごした本橋さんは「普通の子と比べて、『なんで私だけ』という気持ちがずっとあった」と振り返ります。
高校を卒業後、一人暮らしを開始。進学先の大学で様々な友人と会い、母親の「監視の目」もなくなったことで、「普通の暮らし」ができるようになり、徐々に気持ちは落ち着いていったといいます。
「子どもを大事に思うあまりの行動で、一方的な暴力と違い、拒否しづらかった」という当時の母親の制約。「拒否したら自分がひとでなしのように思えてしまうんです」
そんな風に親の制約の中で生きる子どもは、本人の受け止め方も難しいのではないかと心配しています。
「親の制約を受け入れられない自分を責めてしまうし、周りからの疎外感も感じるし、とにかく孤独です」
成人してからそんな家庭環境を知人に話すと、「助けを求めてその環境から抜け出した方がよかった」と言われることもあったといいます。しかし本橋さんは「助けを求めるという行動に出ることは、そう簡単なことではない」と、同じような境遇にある子どもの気持ちを代弁します。
「子どもは親の行動の根っこに、自分への『愛情』を感じています。親と離ればなれになることを考えて、簡単に助けを求められません」
だからこそ、いま家庭環境に問題がある子どもたちには「まずは孤独を紛らわせてほしい」と訴えかけます。
「似たような不安を抱えている人と話す機会があったらそれだけでも救われると思う」
そこをクリアした上で、その一歩先に「自分の生育環境をよくないと認識し、『助けてほしい』と言える」という段階があると本橋さん。
「親は『あなたのためを思って』と、あなた自身が望んでいないことを押しつけるかもしれない」
「親を絶対的な悪者にしたくない気持ちも分かるし、親を傷つけることが自分の自尊心を傷つけることにもつながるのも分かる。それでも、あなたには『助けて』という権利があります。人とのつながりを諦めないでほしい」
また、子育て中の親にはこんな思いがあるそうです。
「子どもは法的にも経済的にも、ひとりで生きていくには無力です。1番頼れるはずの身近な大人に意見や意思を伝えられないときの虚無感は大きいです」
「『守るため』と行動することが子どもの精神をすり減らしているかもしれないことを、知ってほしい」
では、親が自らの行動を「守りたい気持ちが先行しすぎてはいないか」と省みるために、立ち止まるべきポイントはあるのでしょうか。
本橋さんは「個人的な経験なので多くの子どもに当てはまるかはわからない」と断った上で、「私の場合は、日常会話の中で自分の意見を言わなくなり、親とのコミュニケーションに消極的になりました」と話します。
「一方的に考え方を押しつけられ続けると、自分の発言や意思に意味がないと思えてきて、主張するだけエネルギーの無駄だと考えるようになり何も言えなくなった覚えがあります」
この記事は、親が子どもを守ろうと行動することを否定するものではありません。
私がこの取材を通して伝えたかったのは、「親が必死に子どもを守ろうとすることが、子どもの目にはどう映っているかを考えてみてほしい」ということです。
子ども自身は、いまの環境をどう思っているか。守りたかったはずの子どもから、大切な何かを奪ってしまっていないか――。
本橋さんは、母親の制約について「守っているのは身体の健康だけで、心の健康はないがしろにされているのではないか」と感じていました。
大切な家族を守ろうとする気持ちが一方的なものになっていないか。子どもを守りたいと思っているときこそ、そのことを子どもはどう感じているのかという視点を持つことを忘れてはならないと感じます。
1/190枚