連載
#10 記者が見た帰還
原発事故から11年、かなった「奇跡」 植えたパンジーに込めた思い
息子と自宅宿泊「すべての方に感謝」
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。震災前には生まれていなかった家族と初めて自宅に泊まる大沼勇治さん(46)は、子どもたちと花壇にパンジーを植え、これからの決意を語りました。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
大沼さんと長男の勇誠君(10)、次男の勇勝君(8)は双葉町の自宅の高窓から、双葉駅のほうを見つめていた。大沼さんは2人の肩に後ろから手を置き、語りかけた。
「この窓から双葉町の復興がどうなっていくか、これから見続けていこう」
1月最後の土曜日。大沼さんは朝、妻のせりなさん(46)と息子2人を車に乗せ、避難先の茨城県古河市から3時間半かけて町にやって来た。家族で故郷の自宅に泊まる初めての日だ。
4人はまず、自宅の前にある花壇に黄色や赤、紫や白といった12株のパンジーを植えた。パンジーには、「思い出」という花言葉もある。
植えたばかりのパンジーが揺れるそばで、大沼さんは「事故前の双葉町の思い出を子どもたちに伝えながら、10年10カ月、時間が止まっていた町で新しい思い出をつくっていけたらと思います」と語った。町内では小中学校が再開するめどが立たないため、大沼さんたちは町に帰還しないが、夏休みなどに家族で来て復興に向かう町の姿を見届けるつもりだ。
パンジーが好きで、花壇に植えようと提案した勇勝君は「双葉町で遊んだり勉強したりして思い出をつくりたい」と声を弾ませた。
せりなさんは「双葉町に長く帰れないとわかったときは、すごいショックだった。それがきょう子どもと泊まれるなんて、奇跡の先の奇跡のよう」と話した。
震災当時、おなかにいた長男の勇誠君はいま、せりなさんと同じぐらいの身長になった。「この家にいると、震災前のことも、震災後に防護服で何回も来たことを思い出す。泊まれる環境をつくってくれたすべての方々に感謝です」。せりなさんは、そう話した。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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