連載
#9 記者が見た帰還
バリケードでふさがれ、草木茂る家々 原発事故の爪痕、今も残る地区
被曝と向き合う父の姿
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。子どもたちに原発事故の爪痕が色濃く残る地区を見せようと、下見に訪れた大沼勇治さん(46)は変わり果てた光景に言葉を失いました。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
家族で泊まる日に向けて布団や家電を自宅に運び入れた大沼さんが次に向かったのは、原発事故の爪痕が色濃く残る双葉町鴻草地区だった。
「子どもに見せる前に、ちゃんと線量を測っておきたくて」。そう言った大沼さんは、車から小型の線量計を持ってきた。
鴻草地区は、インフラ整備や除染が進む双葉駅周辺の「特定復興再生拠点」には含まれず、いまも倒壊した家などが残っている。3日後の準備宿泊で町に来たとき、震災後に生まれた息子たちに原発事故の被害を実感してもらうため、家族で地区を歩きたいという。
私の車の助手席に大沼さんを乗せ、向かった。
「0.12、0.15、0.21、0.27、0.31、0.39(毎時マイクロシーベルト)…」。線量計の示す数字を大沼さんが読み上げる。わずか2キロほどの距離だが、駅から離れるにつれ線量は少しずつ上がった。
地区で車を降り、少し歩いた。草木が生い茂り、ジャングルに包まれたような家、玄関の戸が開きっぱなしの家…。どの家も鉄格子のバリケードで門をふさがれていた。
ある家は、落ちた瓦屋根の間から一本の木が高く伸び、枝先に黄土色の実をつけていた。足元の雨どいには、緑色のコケがむしていた。町民は帰りたくても帰れないのに、植物はこんなにも繁殖するのか。草木が自由に生い茂る姿に、残酷さを感じた。大沼さんも私も、その場で立ち尽くすしかなかった。
そんな家が並ぶ約200メートルの道を行き来しながら、大沼さんはノートに空間線量を記した。一番高いところで毎時0.71マイクロシーベルト。避難指示を解除するかどうかの基準となる毎時3.8マイクロシーベルトを超える場所はなく、大沼さんは安堵した表情を見せた。
私は大沼さんの親心に一瞬感心したが、「いや、違う」とかぶりをふった。被曝との向き合い方を、住民が自ら見つけなくてはいけない。そんな現実が、この町から一日も早くなくなってほしいと思った。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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