連載
#7 記者が見た帰還
「やっとこの日が」11年ぶりに泊まれるわが家、そこに招いたのは
原発看板で対立も「喜び分かち合いたい」
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。町出身で「原子力明るい未来のエネルギー」の標語を考案した大沼勇治さん(46)は、看板撤去をめぐって町と対立もしましたが、電気や水道が復旧した自宅に町長を招きました。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
準備宿泊が始まった1月20日午前9時半ごろ、谷津田陽一さん(70)は白のライトバンで避難先の南相馬市からやって来た。双葉町の自宅の前で愛犬2匹を抱えながら車を降り、「やっとこの日が来た。6月の帰宅に向けて、家の片付けとか準備を頑張ります」。その表情は晴れやかだった。
午前11時、JR双葉駅の前では、パトロールをする警察や消防の出発式が始まった。伊沢史朗町長は報道陣の取材に「町民の皆さんは首を長くして待っていたと思う。町長に就任した平成25年(2013年)当時、今日のような日が来ることは想像できなかった」と語った。
この日、10年10カ月ぶりに電気や水道が復旧した自宅に、大沼勇治さんは町長を招いた。自分の考えた原発推進標語「原子力明るい未来のエネルギー」の看板撤去をめぐり、震災後は町と対立もしたが、インフラが戻った喜びを「町長と分かち合いたい」と思ったからだ。
自宅の玄関脇の蛇口をひねると、大沼さんは「出たんです、やっと。(再開するまで)長かった」。蛇口から流れ出る水を見た町長は、何度もうなずいた。2人は一緒に家のリビングに行くと、天井の照明も見上げた。町長は「まだ新しいから破損やヒビもないね。良かった」と語ると、大沼さんと握手をかわした。
大沼さんは町長を見送ると、「町長に見てもらえたのはよかった。看板の撤去では、町とやりあってきましたけど、町長と志は同じだと思えた」。その声は弾んでいた。
東日本大震災の発生から3968日。再出発を切った双葉町は、高揚感に包まれていた。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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