MENU CLOSE

連載

#7 記者が見た帰還

「やっとこの日が」11年ぶりに泊まれるわが家、そこに招いたのは

原発看板で対立も「喜び分かち合いたい」

電気と水道が復旧したばかりの自宅に伊沢史朗町長(右)を案内する大沼勇治さん=2022年1月20日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
電気と水道が復旧したばかりの自宅に伊沢史朗町長(右)を案内する大沼勇治さん=2022年1月20日、福島県双葉町、福地慶太郎撮影

東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。町出身で「原子力明るい未来のエネルギー」の標語を考案した大沼勇治さん(46)は、看板撤去をめぐって町と対立もしましたが、電気や水道が復旧した自宅に町長を招きました。

【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?


「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】

町長を自宅に

準備宿泊が始まった1月20日午前9時半ごろ、谷津田陽一さん(70)は白のライトバンで避難先の南相馬市からやって来た。双葉町の自宅の前で愛犬2匹を抱えながら車を降り、「やっとこの日が来た。6月の帰宅に向けて、家の片付けとか準備を頑張ります」。その表情は晴れやかだった。

愛犬とともに避難先から自宅に戻った谷津田陽一さん=2022年1月20日午前、福島県双葉町、小玉重隆撮影
愛犬とともに避難先から自宅に戻った谷津田陽一さん=2022年1月20日午前、福島県双葉町、小玉重隆撮影

午前11時、JR双葉駅の前では、パトロールをする警察や消防の出発式が始まった。伊沢史朗町長は報道陣の取材に「町民の皆さんは首を長くして待っていたと思う。町長に就任した平成25年(2013年)当時、今日のような日が来ることは想像できなかった」と語った。

この日、10年10カ月ぶりに電気や水道が復旧した自宅に、大沼勇治さんは町長を招いた。自分の考えた原発推進標語「原子力明るい未来のエネルギー」の看板撤去をめぐり、震災後は町と対立もしたが、インフラが戻った喜びを「町長と分かち合いたい」と思ったからだ。

報道陣の取材に答える双葉町の伊沢史朗町長=2022年1月20日午前、福島県双葉町、福地慶太郎撮影
報道陣の取材に答える双葉町の伊沢史朗町長=2022年1月20日午前、福島県双葉町、福地慶太郎撮影

志は同じ

自宅の玄関脇の蛇口をひねると、大沼さんは「出たんです、やっと。(再開するまで)長かった」。蛇口から流れ出る水を見た町長は、何度もうなずいた。2人は一緒に家のリビングに行くと、天井の照明も見上げた。町長は「まだ新しいから破損やヒビもないね。良かった」と語ると、大沼さんと握手をかわした。

大沼さんは町長を見送ると、「町長に見てもらえたのはよかった。看板の撤去では、町とやりあってきましたけど、町長と志は同じだと思えた」。その声は弾んでいた。

東日本大震災の発生から3968日。再出発を切った双葉町は、高揚感に包まれていた。

※第8回「きれいになった家と消えてしまった思い出」はこちらから


「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】

連載 記者が見た帰還

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます