連載
#3 記者が見た帰還
あれ?レプリカ…原発PRの看板、標語の考案者も知らなかった展示
担当者は淡々と「大きくは変わらない」
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。双葉町出身で「原子力明るい未来のエネルギー」の標語を考案した大沼勇治さんに密着した記者。そこに気になる情報が飛び込んできました。伝承館の看板が「新しくなったように見える」というのです。いったいどういうことなのでしょう?
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
昨年10月、福島県双葉町の複合施設で地元名物「なみえ焼そば」を男3人で食べていたときだった。
「看板が新しくなったように見えるんだよ」。原発事故直後から福島を取材するフォトジャーナリストの豊田直巳さんの言葉に、私も大沼勇治さん(46)もきょとんとしていた。
看板とは、大沼さんが小学6年生のころに考案した原発推進の標語「原子力明るい未来のエネルギー」を掲げたもので、かつて双葉町の中心部に立っていた。
老朽化を理由に町が2016年に撤去したが、負の遺産として大沼さんらが展示を求め、昨春から標語の文字盤を展示用の看板にはめ込み、町内の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で屋外展示が始まった。
焼きそばを食べ終え、すぐに伝承館に行った。
大沼さんが「あれ?ピカピカだ」と言うと、豊田さんも「でしょ」。私も近づいて見ると光沢を放っていた。近くの警備員の男性が「伝承館の職員を呼びましょうか」と言ってくれた。
伝承館から出てきた担当者は「文字盤はレプリカです」。私は仰天した。担当者によると、屋外では紫外線や潮風の影響で劣化の恐れがあったため、レプリカの文字盤を作成。8月に交換し、実物は建物内で保管しているという。
レプリカへの交換を公表していなかった理由を聞くと、担当者は「大きく展示が変わるものではない」と話した。
うーん……。担当者はどの質問にも淡々と答えたが、釈然としない。看板展示が始まった初日、大沼さんや多くの報道陣も駆けつけ、注目された。この日に指摘されなかったら、ずっと説明しなかったのだろうか。
自宅への帰り道、大沼さんは言った。「もともと僕は看板の下地や支柱も含めて展示してほしかったけど、何とか本物の文字盤だけ展示された。でも、文字盤すら本物じゃなくなった……偽りの展示ですね」。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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