連載
#1 記者が見た帰還
11年無人だったマイホーム「残す」と決めた家族の隣に…東電社員
白いマスクにゴム手袋、被災地で見た“共存”
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。「家を残す」と決断した大沼さん一家に記者が密着すると、そこには東電社員の姿が……。現地では被災者と東電との「共存」が生まれていました。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
れんが模様で、屋根の上には風見鶏。JR双葉駅から目と鼻の先にある大沼勇治さん(46)の家を私が初めて訪れたのは、昨年10月のよく晴れた日だった。
玄関を入って右手にはリビングが広がり、吹き抜けになっていた。2005年に建てたといい、床にほこりは見えるものの、11年近く人が住んでいないとは思えないほど、きれいだ。
「事故前は床にタイルカーペットを貼っていたんです。戸締まりをちゃんとしたので、動物の侵入もなかったので幸いでした」
この日、家の中にあったのは仏壇だけ。小学生の息子2人と妻と年明けに泊まるため、震災前からあった家具や食器、家電はすべて半年前に処分したという。
「3月に双葉町に家族で来たとき、小学2年の次男が『また双葉に来たい』と言ってくれて、感動しました。家を残せば、家族でまた来られるかなと」
大沼さんのように家を残すと決めた人は少ない。周りを見渡すと、住宅が解体され、砂利が敷かれた「更地」があちこちに広がる。
6月にも町中心部で避難指示が解除されるが、町内で小中学校が再開するめどはない。大沼さんも帰還はせず、夏休みなどに家族で帰り、変わりゆく故郷を見続けるつもりだという。
夕方、男性4人がやってきた。作業服と長靴、白いマスクにゴム手袋。工事関係者のようだが、首にさげたカードに東京電力のマーク「TEPCO」の文字が見えた。
男性らは、大沼さんの依頼で来た東電社員。仏壇を家から運び出し、ブルーシートでくるんだ。東電はこうした取り組みを「復興推進活動」と呼び、避難中の人たちの家の片付けなどをしている。半年前、大沼さんが家具を処分したときも作業してもらったという。
事故を起こした東電と、避難を強いられた住民。両者が共存する被災地の姿が印象に残った。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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