連載
#2 記者が見た帰還
「岸田総理は、ここを見ないと」3月11日はお誕生会だった教室
園長は言った「原発の怖さはこれなんだ」
東京電力福島第一原発の事故から11年。いまでも全町民が避難を続ける福島県双葉町では今年1月から、帰還をめざす住民らが自宅に泊まれる「準備宿泊」が始まりました。「11日はお誕生会だった」という保育園を案内してくれた園長は、記者にこう言いました。「岸田総理は、ここを見ないとね」。町民が戻り始めた町の姿を伝えます。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
時が止まったような惨状に、私は胸が締め付けられた。
昨年10月、福島県双葉町にある「まどか保育園」を園長の松本洋子さん(67)が案内してくれた。
震災当時100人を超える園児がいたという園の門を抜けると、大人の背丈を優に超える雑草が生い茂っていた。草をかき分けながら進むと、カラフルな滑り台が目に入ってくる。その雑草の中に、ウサギのイラストが書かれた小さな白い上履きが落ちていた。
「津波警報が出たんで、高台に避難しようと。カバンは置いて避難しちゃったの」。松本さんに続いて入った部屋には、園児たちの黄色い通園カバンや服が散乱していた。中には、女の子の人形のキーホルダーがついたカバンも見えた。松本さんの後ろには、大型テレビが倒れたままだった。
「ここは遊戯室で、朝の集まりをやったり、職員がピアノを弾いたりしていた場所。時間が経っているのに何だかまだ新しく見えますね」。
なぜだろう。松本さんの言う通り、もう10年以上過ぎたはずなのに、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきそうだった。
給食室には「平成23年3月」と記した献立表が貼られ、東日本大震災が起きた11日には「ケーキ」と書かれていた。
「11日は3月生まれの子のお誕生日会だったの」
10畳ほどの教室には毛布や紙が散らばり、床に水気のある茶色い染みが広がっていた。松本さんは「これは動物だよね、本当に汚くて……」と声を詰まらせた。
園舎を出た松本さんは、思い出したように言った。
「岸田総理は、ここを見ないとね。事故が起こればこうなる、原発の怖さはこれなんだって」
岸田文雄首相はちょうど前日、震災後に改修された双葉駅や周辺を視察したが、駅から300メートルもない園には寄らなかった。ひとたび原発事故が起これば、地域はどう変わるのか。私も、園の様子を首相に見てほしかったと思った。
「原子力明るい未来のエネルギー」考案者の一家に密着…記者が感じた「奇跡」
東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、今夏の帰還に向けた「準備宿泊」が行われています。大沼勇治さんは1月下旬、東日本大震災後に生まれた息子たちと地元に戻り、約11年ぶりに自宅に泊まりました。原発被災地に足しげく通い、取材してきた記者(31)が大沼さんの3カ月に密着しました。【記事はこちら】
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