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バズったドラゴンフルーツ解体の舞台裏、「狂気」に隠した願い
「日本で1番小さな」植物園がまいた種とは
ドラゴンフルーツを解体していくツイートが2021年8月、注目されました。その4カ月後の12月28日、舞台となった渋谷区の植物園が、17年の歴史に幕を下ろしました。
「狂気過ぎる」と話題になったユニークな手法で人と植物をつなげたスタッフ。最後にまこうとした「種」とは何だったのか。最終日を迎えた「日本で1番小さな植物園」を訪ねました。
ピンセットでドラゴンフルーツのつぼみを、花弁から1枚1枚はがして……。
「手を出しちゃいけないヤツ」だったと気付いたのは、数え切れないほど、びっしりと生えた雄しべをむき出しにしたとき。
「地獄のっ!雄蕊(しべ)達!1173本っ!」
翌日には「始めてしまったら、終わらせなきゃいかん」と、必死の形相でスーパーで入手した果実の中の種子を取り出し、数え始めました。ごま粒大の種が、びっしり。
一連の記録を投稿していたのは、渋谷区ふれあい植物センターの園長、宮内元子(ちかこ)さん。「渋谷区ふれあい植物センター中の人の自由研究:大人vsドラゴンフルーツの蕾 死闘編」として公開され、この期間でフォロワーが500人増えるなど注目を集めました。
でも「死闘」の物語には、実は続きがありました。
12月25日、一連のツリーに新たな投稿がありました。
投稿には、なんと、あのドラゴンフルーツが発芽し、苗となった画像がありました。
取り出した種は、スタッフと博物館学芸員を目指す学生実習生の手によって、一部が発芽に成功していたのです。
指定されたのは、この植物園にとっての「最終日」でした。
どんな人たちが苗を受け取るのだろう。筆者は、渋谷区ふれあい植物センターを訪ねました。
渋谷駅から徒歩約10分のところにある「日本で1番小さな植物園」です。
どこにいても水のせせらぎが聞こえる園内。日差しが差し込む温室内には熱帯植物が茂り、面積を感じさせない開放的な空間です。
最終日に1番のりしたのは、東京都小金井市在住の女性でした。「中の人」である園長・宮内元子(ちかこ)さんのツイートで、「渋谷区ふれあい植物センター」の存在を知り、閉園2日前に初来園。最終日に、夫と娘と一緒に再訪しました。
ドラゴンフルーツの苗を手に、「まずは生き延びさせることを来年の目標にしたいです」と話しました。
お父さんと来園した、いつきくん(5歳)も、ドラゴンフルーツの苗を手にしました。
毎週のように来館していた常連です。
最終日も、これまでのように閲覧用DVDを借りて、BBCの食虫植物のドキュメンタリーを視聴しました。まだ漢字が読めないいつきくんのために、40分の番組の字幕はお父さんが読み上げます。「自由に過ごせる貴重な植物園でした」
首に提げたカメラで、天井まで届くほど茂ったお気に入りの「モンテスラ」を、最後に撮影しました。
植物園には子どもたちがあふれていました。入園料は100円という安さですが、未就学児なら無料、渋谷区内在住であれば、小中学生まで無料。誰でも気軽に立ち寄れる「居場所」でした。
この日渡されたのは、ドラゴンフルーツだけではありませんでした。
スタッフから「ドラセナ」の挿し木を手渡された、小幡友美さん。
息子・ひろかくん(7歳)は、2歳の頃から毎日のように植物センターに遊びに来ていました。周辺には公園が少なく、ひろかくんにとっては「ひとりで遊びに来られる」限られた場所だったからです。
スタッフと一緒に土の手入れをすることも。この日、来園者に配られた土には、ひろかくんも手書きで「なんでもそだてるための土です」とメッセージを添えました。
2日前、最後の来園をしたひろかくんは、「これが最後だぁ」と泣きじゃくったそうです。そんなひろかくんが大好きだった、細長い葉っぱのドラセナを、スタッフは覚えていました。
「ここは、『植物園』っていう感じじゃなかった。『植物いっぱいの遊園地』みたいなところだったよ」
スケッチに通っていたイラストレーターの高尾斉さんは、子どもたちやカップルが自由に散策する園内を、そう称しました。
渋谷清掃工場の還元施設として、2005年4月に開園した渋谷区ふれあい植物センター。
12月28日を最後に「長期休園」に入り、大規模な改修をして、2023年度に「リニューアルオープン」する予定です。
渋谷区の計画によると、リニューアル後は「食育」などの情報発信がコンセプトになり、施設は野菜を栽培するエリアや、レストランとして活用されます。
温室植物園としての機能がなくなるため、今ある熱帯植物などの大半は維持が難しくなり、移植や伐採するそうです。
「この植物園から種を播くつもりなので、その種をぜひ、一粒でも持って帰ってもらいたいです。何にでも使える種ですから」
最終日の朝、園長の宮内さんはそう笑いました。来園者が受け取った「種」とは、なんだったのでしょうか。
来園したゆうまくん(6歳)にとって、3歳の時に足を踏み入れたこの植物センターが「人生初の植物園」でした。
特にラフレシアと、ウツボカズラが大好き。身近に見られるインパクトの強い植物たち。そこから、身近な植物や、普段食べている野菜にも関心が広がりました。
いまでは毎晩のように、植物園を舞台にした創作話を親に話して聞かせます。「今日は、園長とラフレシアが冒険する話だよ」
受け付け前でたたずんでいた、りりこさん(12歳)。「お世話になったんで、あいさつしたくて」。2歳から通っていました。
「今日、植セン(ショクセン)行けるー?」
近所の小学生たちにとって、放課後、そう声を掛け合って、遊びに来る場所でした。
「渋谷って自然がないから。ここで過ごすのが楽しみだった。みんなで集まって雑談したり、ゲームしたり」
遊びの中で、自然に触れさせてもらえる「自然」がありました。りりこさんは、展示されているワニガメを洗わせてもらい、「お題」の珍しい植物を園内で探してはプレゼントをもらいました。
「渋谷にはぴったりの場所だった」
最終日を迎える植物センターへ、りりこさんは手書きのカードの束を届けました。母マリコさんと一緒に、友達や、近所の小学校、保育園などに声を掛けて、集めたものです。
通っていた人たちからの感謝がつづられていました。
「お庭のようにくつろいで過ごすことができた」
「自然がいっぱいでおもしろい場所」
「よく遊びに行くので、なくなってしまうのは悲しいです」
マリコさんは「植物センターは、一緒に子どもたちを育ててもらった場所。ここを守り切れなくてごめん、という気持ちです」と話しました。
植物センターには、宮内園長がつづったメッセージが掲げられていました。
「たとえ明日、世界が滅亡しようとも 今日私はリンゴの木を植える」
マルチン・ルターの言葉の引用から始まるメッセージには、こう書かれていました。
「私たちは延々と重なる明日を生き抜くために、種子を播き続かねばばりません。命の糧の種子を、文化の種子を、生きる喜びの種子を。(中略)
渋谷の植物園はあなたの心に『植物園の種子』を播きました。水をやり大きく育てていただいても、種子のまま大切に持っていただいても、誰かにあげても、自由にしていただいてかまいません。
けれどもどうか種子を持っていることの大切さを忘れないでください。あなたは種子を持ち明日を繫ぐ人です。
いつかどこかの木陰で一息つかれた時、一瞬でいいのでその木陰を生み出す樹のことを、足元で揺れる小さな花のことを想っていただけませんか。
渋谷の植物園の魂をこの世界の全ての植物とあなたに託します。17年間、誠にありがとうございました」
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