お金と仕事
飛び込みの寺内健さん、41歳の「レジェンド」が考える“引退の日”
「オリンピアンだからしない、それは違う」
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「オリンピアンだからしない、それは違う」
16歳でのアトランタ五輪に始まり、これまで6度の五輪出場を果たしてきた飛び込み選手の寺内健さん。競技歴30年の41歳は、日本の飛び込み界をけん引する立役者で「レジェンド」と呼ばれる存在です。そんな寺内さんですが、28歳で一度、引退をしています。会社員時代に学んだのは「やっていることを好きになること」。復帰後の今も第一線で活躍する寺内さんに、アスリートのセカンドキャリアについて聞きました。(聞き手・小野ヒデコ)
寺内健(てらうち・けん)
正直、ギャップはありませんでした。そこは「飛び込み選手ならでは」もあると思います。飛び込み選手は万国共通、前に出るタイプより謙虚な人が多いのが特徴的なんです。
飛び込みという競技は、理想とする演技にたどり着くまで、長い年月がかかります。どちらかというと、地道にコツコツ努力ができる人向きのスポーツなんですね。そういった競技特性に加え、私は長年お世話になっている馬淵宗英コーチに「応援される選手になれるように」と言われ続けてきました。
印象に残っているエピソードがあります。元トップアスリートの知人が、ある仕事をしている際に「元オリンピアンなのに、こんなことをしないといけないのか」とぼやいたことがありました。それを聞いた瞬間、「俺はそう思わないな」と思いました。
「オリンピアンだからしない」ではなく、どんな仕事もしっかり取り組むことで、「オリンピアンの集中力はやっぱりすごい」と周りから言ってもらえるのが、私たちの価値なのではと思ったんです。同時に、自分は自然と湧き上がったこの気持ちを大切にしようと思いました。
会社に入れてもらえたこと自体がありがたいことです。ご縁があって働かせてもらっている中で、どんな仕事も前向きに取り組むことが大切だと思っていました。
競技をいったん離れたことで感じたのは「社会ではスポーツが『別世界のもの』と捉えられている」ということ。表現が難しいですが、一般社会とは別の次元でスポーツというものが存在しているイメージです。
もっとスポーツが社会の中に溶け込むには何が必要か。または、何が足りないのか。その「溝」をどう埋めていくかが、社会人の時に感じた課題で、今もなお自分の中でのテーマとなっています。
他競技の先輩方からは「中年の星となるように」と言われています(笑)。でも一度社会人経験のある私からしたら、何十年も毎日電車通勤をして仕事をする会社員の人だってすごいです。
アスリートは体力的にも精神的にもタフに思われがちですが、受け身な一面もあります。与えられた環境の中で競技に打ち込むことが多いからです。
それに、選手はひとりで完結できません。今年の東京五輪は、コーチやトレーナー、試合を運営する人、コロナ禍でもボランティアをしてくださった人、それに、家族のサポートがあったから成し遂げられたと痛感しています。
その事実をしっかりと受け止め、そのことを社会に発信していくことが、自分の使命の一つだと思います。
それは常に頭にあります。年齢のことや、次を目指すならどこをゴールに据えるかなど考えています。次の五輪出場を目指すとなると、向こう3年間、モチベーションを保ち続けないといけません。決断には、覚悟が伴うと感じています。
元々、2020年の東京五輪、そして2021年の世界選手権までは現役を続けようと考えていました。なぜ世界選手権なのかというと、20年ぶりの福岡開催だからです。
私が初優勝した世界大会が、2001年に福岡で開催の世界選手権でした。再び同じ場所で開かれる、思い入れのある大会に出たいという気持ちを持ち続けて、現役を続けてきました。
結果的に、新型コロナウイルスの感染拡大で、東京五輪も福岡の世界選手権も1年後に延期となってしまいました。東京五輪後、一度立ち止り「1年後の大会で戦えるか、そして、戦いたいと思う気持ちが残っているか」と考えたんです。
そして先日、「戦おう」と思うに至りました。今は、来年5月に控えた世界選手権への出場に向けての準備を進めています。
そうですね。東京五輪後に引退された選手は多いですが、私は「時期」ではなく、「自分の気持ち」に正直でありたいと思っています。振り返ってみて、1回目の引退の時は、“色々なもの”を背負っていました。
飛び込み界のために五輪メダルを獲らないといけない、その第1号に自分がならないといけないなど、周りが期待しているかどうかもわからないところまで背負って、ひとりで戦っていました。
今は、そういった重圧はなく、自分の気持ちに正直に進んでいこうと思っています。
まだ明確なものはありませんが、一つは飛び込み競技に関わる仕事をしたいと思っています。ビジョンとしては、選手に対して金銭面や大きなバックアップができる体制作りをすること。私自身は現場で選手を指導するのではなく、選手が長く続けられるような環境を作りたいと思っています。
その中で、後輩の選手たちに、お金をいただいて競技をすることの責任や覚悟についても伝えていきたと思っています。私は20歳の時に、幼少期からお世話になっていたスイミングスクールのJSSの所属選手となり、お金をもらって競技をするようになりました。その時、自分がその企業の看板を背負っている責任感がありました。
選手たちは、今後スポンサーとなる人や企業と出会い、関わっていくこともあると思います。自分が世間からどう見られているかについての視点は、選手たちに持ってほしいと思っています。
素直にうれしいです。その一方で、自分はまだふさわしくないと思っています。レジェンドは、金メダリストとか、目標を達成している人に使う言葉だと思うからです。
私は五輪に6回に出場するなどのキャリアは積んできましたが、五輪メダリストへの道中の人間でもあります。まだレジェンドとは思えないですね。
でも、その言葉のおかげで、飛び込みのこと、そして「飛び込み選手としての寺内健」を知ってもらえたかもしれません。それはありがたいと思っています。
大前提として、私が競技を続けていた理由は、「楽しさ」よりも「使命感」でした。もちろん勝ったらうれしいのですが、競技が好きというより、「目標達成」の気持ちの方が強いです。
1度目の引退後、スポーツメーカーに就職して働いたのが、私にとって初めてのキャリアです。好きなものを探すのも良いですが、「やっていることを好きになること」、「好きになるための努力」も大切だと思います。経験を積みたいと思う職を選ぶことも、選択肢の一つだと思います。
日々の練習は、キツく、つらいですし、「練習行きたくないな」と思うことも往往にしてあります。それでも、髪をセットして、練習場所に行き、トレーニングを積んでいく。何でそうするのか。それは目標を作ったから。
目標を設定して、それに向かって進んでいく中で、楽しさを見つけていきました。競技の中、そして競技以外でも何か嫌なことがあったとしても、将来振り返って「あの時があったからこそ今がある」と思えたら良いなと思っています。
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