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連載

#2 記憶をつなぐ旅

ヒロシマの記憶をVRでつなぐ 技術で身近になる被爆者のストーリー

原爆投下の瞬間、VRゴーグルで体験すると…

仮想現実(VR)の技術を使い、原爆投下の日を体験する「VRツアー」を案内するメアリー・ポピオさん=2021年11月、水野梓撮影
仮想現実(VR)の技術を使い、原爆投下の日を体験する「VRツアー」を案内するメアリー・ポピオさん=2021年11月、水野梓撮影

目次

空を見上げると爆撃機がさしかかり、ピカッと光ったその「一瞬」のあと、街は真っ黒に……。思わず「うわっ」と声が漏れ、上体をかがめてしまうような体験。映画やアニメ、当時の写真でも見た光景が、想像以上の生々しさで迫ってきます。火傷やけがでもだえ苦しむ人々に胸が詰まり、ゴーグルを外すと、そこは今の広島・元安橋のたもとです。VRやアプリなど最新のテクノロジーを駆使した「記憶をつなぐ旅」を始めたガイドの思いを聞きました。

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記憶をつなぐ旅※クリックすると特集ページに移ります。

連載「記憶をつなぐ旅」:戦争や災害、公害・環境破壊といった近現代の人々の悲しみ・苦しみの記憶を巡ることで、未来につなげていく〝旅〟を紹介します。このような旅は「ダークツーリズム」とも呼ばれ、実際に現地を訪れて感じたことや、次世代に受け継ぎたいことを考えます。

地下室の一人だけが生き残った

広島・元安橋の近くに建つ被爆建物のレストハウスで待ち合わせたのは、NPO団体Peace Culture Village(PCV)のメアリー・ポピオさん。この夏から、VR(仮想現実)を使った有料ガイドツアーを開催しています(12/25~1/10は休止)。

広島に原爆が落ちたとき、一体何が起きたのか、街はどう復興していったのか。体験した被爆者が徐々に亡くなってしまうなか、ゴーグルをつけて「タイムスリップ」したような体験で、被爆者の記憶をつなぐ取り組みを続けています。
広島の原爆:1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下。地上600mで炸裂し、死者数は正確には分かっていませんが、12月末までに約14万人が亡くなったと推定されています。当時、広島市には約35万人がいたと考えられており、爆心地から1.2kmではその日のうちに半数が亡くなったといいます。
レストハウスは昨年リニューアルされ、1階の入り口から入ると開放的なデザインのお土産ショップと案内所があり、明るい雰囲気を醸し出します。

実は被爆建物で、大正屋呉服店として1929年に建設。原爆が投下された1945年には、広島県燃料配給統制組合が「燃料会館」として使っていました。
原爆の衝撃が残る地下室。野村さんはこの部屋にいたため、建物内で一人だけ生き残りました=2021年11月、水野梓撮影
原爆の衝撃が残る地下室。野村さんはこの部屋にいたため、建物内で一人だけ生き残りました=2021年11月、水野梓撮影
原爆投下の当日は37人が働いていて、書類を探しに地下室へ行っていた野村英三さんだけが生き残りました。VRツアーは原爆の爪痕が今も残る地下室から始まります。

「平和活動をしたい」NPO設立

VRツアーをガイドするメアリーさんは、アメリカ・ボストン生まれ。隠れキリシタンについて学ぼうと大学2年生で長崎を訪れ、初めて原爆について知り「人生が変わった」といいます。

「地球市民としての役割、責任について考えるようになって、平和活動をしたいと思うようになりました」
メアリー・ポピオさん=2021年11月、水野梓撮影
メアリー・ポピオさん=2021年11月、水野梓撮影
大学卒業後、広島平和文化センター元理事長のスティーブン・リーパーさんと共にPCVを設立。

「原爆は歴史の1ページではなくて、私たちの人生とも結びついていることを伝えたい」と話します。

元は繁華街だった中島地区

レストハウスを出て、元安橋へ。修学旅行生たちが戻りつつあり、子どもの歓声も聞こえるなか、メアリーさんは「平和祈念公園が元々はどんな場所だったか知っていますか?」と尋ねます。
平和公園の一帯は、中島地区という繁華街でした。飲食店や旅館、お寺や映画館もあり、「おしゃれな店がたくさんあったダウンタウンで、その一つがレストハウスでした。では、今からそこで働いていて被爆し、一人だけ生き残った野村さんの体験をVRで見てみましょう」。
野村さんを紹介するメアリーさん。リアルなVRツアーでは気分が悪くなってしまう人もいるといい、被爆して苦しむ人物が登場しない「こども」バージョンも選べます=2021年11月、宮本聖二撮影
野村さんを紹介するメアリーさん。リアルなVRツアーでは気分が悪くなってしまう人もいるといい、被爆して苦しむ人物が登場しない「こども」バージョンも選べます=2021年11月、宮本聖二撮影
元安橋そばの縁に座ってゴーグルをつけます。被爆前の元安橋が目の前に現れました。360度、すべてに当時の光景が広がり、タイムスリップしたような感覚です。

自分の周りの人たちが空を見上げるので、自分も同様に上空を見上げると、B29が飛来。原爆が落とされた「一瞬」を仮想体験します。それがVRだと分かっていても、炸裂した瞬間は思わず声が漏れました。
VRツアーの1場面。B29が飛来してきた瞬間、多くの人が指を指して見上げます
VRツアーの1場面。B29が飛来してきた瞬間、多くの人が指を指して見上げます
自分の周りの人たちが空を見上げるので、自分も同様に上空を見上げると、B29が飛来。原爆が落とされた「一瞬」を仮想体験します。それがVRだと分かっていても、炸裂した瞬間は思わず声が漏れました。
原爆投下の一瞬。思わず「うわっ」と声が漏れました。周囲は苦しむ人々でいっぱい。リアルで没入感がありました=2021年11月、宮本聖二撮影
原爆投下の一瞬。思わず「うわっ」と声が漏れました。周囲は苦しむ人々でいっぱい。リアルで没入感がありました=2021年11月、宮本聖二撮影
メアリーさんは「被爆者が亡くなっていき、体験した人がいない未来の準備をしなければいけない。テクノロジーは被爆者のストーリーを身近に感じる道具として大切だと思っています」と話します。

リアルな路面電車の音がして

元安橋から川沿いに、徒歩数分ほどの相生橋に向かいます。Tの字の形をした相生橋は投下目標になりました。

目標から少し外れ、原爆は「原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)」から南東約160メートル、高度600メートルの地点で爆発しました。

「東京スカイツリーぐらいの高さです」と空を指さして説明するメアリーさん。爆心地の500m以内にいた人は、9割超が亡くなったといいます。

相生橋では、広島の全体の様子を振り返ります。被爆後に広島の街がどう立ち上がっていったのかも紹介されます。
VRで見た被爆直後のシーンでは、水を欲して「黒い雨」を飲んでいる人がいました。息が詰まる気持ちになります=2021年11月、宮本信二撮影
VRで見た被爆直後のシーンでは、水を欲して「黒い雨」を飲んでいる人がいました。息が詰まる気持ちになります=2021年11月、宮本信二撮影
被爆後すぐ、相生橋に路面電車が通った――。そんなナレーションが流れたあと、実際に路面電車がガタゴトと通っていきました。過去が今につながっていることを五感で実感し、鳥肌が立ちました。
VRツアーの1場面。広島には原爆投下の3日後に路面電車が通りました
VRツアーの1場面。広島には原爆投下の3日後に路面電車が通りました
被爆から2カ月後の相生橋は、焼け野原だった直後とはがらっと様子が変わり、「こんなに早く立ち上がったのか」ということにも驚きました。

メアリーさんは、再建が早かったからといって苦難が少なかったわけではないと説明します。

「食べ物がなく草を食べたり、友人たちが放射線の病気で倒れたり、結婚でも差別されたり……そんな苦しいことを乗り越えていったことも伝えたい」と言います。
◆この記事は、withnewsとYahoo!ニュースの共同連携企画です。

「苦しんだ人々、私と違わない」

クリスチャンのメアリーさんは、長崎原爆資料館へ行った時、原爆の熱で溶けたロザリオを見て「この原爆で苦しんだ人々は、私と違わない」と感じたそうです。それが、原爆が自分事になった瞬間でした。
原爆の〝加害国〟でもあるアメリカ人のメアリーさんが伝える原爆被害。「『いいのかな』って思いもありましたが、被爆者の方から『英語圏の人に私たちのストーリーを伝えて』と使命をもらっています。核兵器の問題は日本だけの問題じゃないと思っています」=2021年11月、水野梓撮影
原爆の〝加害国〟でもあるアメリカ人のメアリーさんが伝える原爆被害。「『いいのかな』って思いもありましたが、被爆者の方から『英語圏の人に私たちのストーリーを伝えて』と使命をもらっています。核兵器の問題は日本だけの問題じゃないと思っています」=2021年11月、水野梓撮影
広島市内では、ピースボランティアなど無料のガイドツアーもありますが、メアリーさんの団体PCVでは有料ガイドの開催が特徴です。

『平和を作る仕事』を提供したいという思いが強い。平和活動のサステナビリティーにつながる大事な取り組みだと思います」
PCVがタイムルーパー合同会社と共同制作したアプリ「ヒロシマの記憶」。中島地区で育った被爆者・田中稔子さんの体験が聞けます。「戦争を体験してない若い世代としてどう継承できるかはすごく大きな課題」と話します。「この数年間はすごく重要。VRやARといったテクノロジーはとても大事になってきます」=2021年11月、水野梓撮影
PCVがタイムルーパー合同会社と共同制作したアプリ「ヒロシマの記憶」。中島地区で育った被爆者・田中稔子さんの体験が聞けます。「戦争を体験してない若い世代としてどう継承できるかはすごく大きな課題」と話します。「この数年間はすごく重要。VRやARといったテクノロジーはとても大事になってきます」=2021年11月、水野梓撮影

PCVではアルバイトで平和教育のガイドをする大学生たちもいます。

「私も、スティーブンを見て『平和教育っていいな』と思いました。広島を訪れた修学旅行生たちも、少しお姉さんお兄さんの平和活動を見て、かっこいいな、楽しそうだなって思ってほしい」

好きなことで平和を作る

メアリーさんは「自分の好きなことを通して平和を作ってほしい」と訴えます。

「たとえば私は大のゲーマーなのですが、ゲームでもスポーツでもファッションを通してでも、平和は作れる」と笑います。

ツアー後の振り返りタイムで、ふせんに感想を書いてもらいます。メアリーさんが最近印象に残った言葉は、自衛隊員が描いた「愛国心」の国の字を「人」に変えたもの=2021年11月、水野梓撮影
ツアー後の振り返りタイムで、ふせんに感想を書いてもらいます。メアリーさんが最近印象に残った言葉は、自衛隊員が描いた「愛国心」の国の字を「人」に変えたもの=2021年11月、水野梓撮影

「自分の人生のミッションと平和をつなげ、未来をつくるためにヒロシマの過去を振り返って、一緒に楽しく未来を作ろうというメッセージを大切にしています」

◆広島市の旅の楽しみ


広島市内ではさまざまなお好み焼きが楽しめます

◆広島市・平和記念公園へのアクセス
新幹線:東京駅から広島駅までは新幹線で約4時間。
<広島駅から>
路面電車(広島電鉄):1号線「広島港」行き乗車、「本通」または「袋町」下車。徒歩約400メートル
広島バス:25号線(草津線)乗車、「平和記念公園」下車。
<広島空港から>
広島空港からは広島市中心部のバスセンターまで、高速バスで約1時間。バスセンターからは徒歩300メートル

徒歩や自転車で被爆の痕跡を巡るツアーは、広島市経済観光局観光政策部が制作したサイト「ピースツーリズム」が参考になります

◆この記事は、withnewsとYahoo!ニュースの共同連携企画です。

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