連載
#2 コミケ狂詩曲
同人誌〝代行〟「責める気ない」コミケ出展経験者の男性が抱く思い
炎上した高校生に伝えたいこと「いつか仲間に」
毎年夏と冬を軸に東京ビッグサイトで催される、日本最大の同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。その会場で入手した冊子を、高値で〝代行販売〟するビジネスが、SNS上で炎上しました。企画者の高校生らに対し、「転売行為だ」との批判が集中したのです。一方、コミケに長年出展してきた男性は、「高校生たちを責める気はない」と語ります。二次創作に関わり続ける当事者として、今回の一件をどう受け止めたのか。胸の内を聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)
今年10月5日、ウェブメディア「cakes」上で、一本の記事が公開されました。2019年夏に開催された、現役高校生が対象の体験型学習イベント「ハイスクールショーバイ!」の様子を採録したものです。
参加者は経営者らを先生役として、ビジネスにまつわる講義を受講。更にお金を稼ぐアイデアを実行し、成果について発表します。記事に登場したのは、コミケの会場に来られない人々に代わり、同人誌を買い求めるプランを構想した3人組です。
3人は、ツイッター経由で購入希望者を募りました。取り扱った冊子の中には数量限定品が含まれ、一部1千円のところ6万円で取引したケースもあったといいます。そして共同出資した9万9千円の元手に対し、約18万円の利益を得たとしました。
記事中、イベントで登壇したネット関連会社幹部が、高校生らを称える様子も紹介されました。SNS上では「商売として秀逸」と評価する声が上がった一方、「実質的に転売行為ではないか」などの批判が殺到。その後、記事は削除されています。
「本の作り手や買い手を思う気持ちに欠けた行為だったように感じます。もう少し、コミケの理念について知り、思いをはせてくれていたなら……。残念な気持ちです」
そう語るのは、コミケに足を運び続ける40代男性です。2004年、冬季に開かれる「冬コミ」を、一般参加者として初めて訪れました。2009年からは、2000年代の人気ギャグ漫画の二次創作サークルを主宰しています。
「理念」とは何でしょうか? コミックマーケット準備会の定義によれば、コミケとは「全ての参加者の相互協力によって運営される『場』」。すなわち、その「場」に居合わせた誰もが、空間の作り手となるということです。
例年、数十万人がひしめく会場では、様々な立場の人々が入り乱れます。同人誌を制作・展示するサークル関係者に、活動を支える売り子。冊子を吟味する一般参加者やコスプレイヤー、そして運営スタッフ。全員が対等であるとされてきました。
「実際には、多額のお金が動いています。商機があるかもしれない、と思うのは自然です。高校生たちを責める気もありません」
「でも巨大イベントを支える大前提として、『営利よりも、表現によって皆が等しい立場で交流できる場』という建前は尊重してほしいと感じました」
その言葉は、男性自身の歩みにも裏打ちされています。
幼い頃から、漫画が大好きだったという男性。20年ほど前、あるギャグ作品に出会い、エピソードの小気味よさに魅了されました。
いつしかキャラクターを模写し、ネットの「お絵かき掲示板」に投稿し始めます。髪の毛のなびかせ方を少し変えてみよう。目の形を整えたら、もっと可愛い表情になる……。夢中で絵柄を研究するうち、作品のファンサイトまで立ち上げました。
大学生だった2004年、サイト上でやり取りしていた人物が、冬コミに出展すると知ります。広大な会場内で、迷いつつたどり着いたサークル席。お目当ての同人誌を手にした時、多幸感に包まれました。
「もっと上手に描きたい」。先輩絵師たちの助言を得て、ペンタブと呼ばれるデジタル描画ツールなどの専門機器を購入し、練習を重ねます。そして2009年、自身のファンサイトで扱っていた漫画の、二次創作を行うサークルを旗揚げしました。
初めて手掛けたのは、複数の描き手によるアンソロジーです。参加者の画力や強みを知り、原稿の提供を依頼する。全体の作風や装丁の調整に汗をかく。企画者として動き回りつつ、自らも冊子向けに漫画を描く日々は、忙しくも新鮮でした。
「色々な人と本を作るスタイルは、現在まで貫いています。参加者が原作をどんな切り口で『料理』してくれるか、毎回すごく楽しみです。逆に尊敬する描き手から『あのネタはやられた!面白い』と言ってもらえると、心底うれしくなりますね」
多くの参加者が目次に名を連ね、50~60ページのボリュームになる、男性のサークル本。完成まで時間がかかるかと思いきや、短期集中で仕上げることが少なくありません。年末に開かれる冬コミ向けの制作期間は、特に限られているそうです。
「出展の当落通知が届く11月始め、各参加者に原稿作りを依頼します。12月半ばには印刷所に提出しなければなりません。ただ色々な事情で、予定のページ数を埋められなくなる参加者もいます。万一の時は、私の担当漫画の割合を増やすんです」
関係者間のコミュニケーションを円滑化する工夫も凝らしてきました。その一つが執筆規定です。「いわゆる『18禁』描写を盛り込まない」「サークルが指定したキャラクターを登場させる」。これらを守れば、どんな表現も許容するといいます。
「原作の魅力を意識しつつ、皆が自由に描ける、持続可能な環境を整えたい。そんな思いに基づく判断です。結果として、何度も協力して下さる描き手の方もいます。居心地の良さを感じて頂けているなら、ありがたいですね」
新刊は毎回300~400冊刷り、会場に並べるものと、書店での委託販売用とにより分けます。売り上げを執筆陣への謝礼や、慰労会の経費などに充てるため、収支が赤字になることもしばしば。制作に費やした資金や時間と必ずしも釣り合いません。
それでも男性が取り組みを続けるのは、金銭以上の価値を、コミケに見いだしているからです。
「職業も住まいも異なる作家さんたちと、慰労会で自作の同人誌を交換して褒め合ったり、推しキャラへの愛を語らったり。その時間は掛け替えがありません。私にとって創作を通じた交流は人生の一部。人とつながることが最も大切なんです」
ところが2020年、予想外の出来事が起こります。新型コロナウイルスの流行です。同年から今年にかけ、準備会は感染防止目的で、会場を使ったイベントの中止や延期を決定。男性のサークルも、活動休止を余儀なくされました。
「夏の暑さや、冬の寒さに耐えつつ、二次創作の『聖地』に乗り込む。コミケへの参加には、そんな感慨があります。今は現地に足を運べず、季節が感じられません。日常に張りがなくなったようにも思います」
同人仲間との再会も、多くが地方在住のため、ままならない状況です。SNS上で細々と連絡を取り合う中、男性はいかにコミケに心を支えられてきたか、痛感したといいます。
「コミケには発電所のようなところがあります。手掛けた本が誰かの手に渡ると、必要としてもらえたと実感できる。自分が読み手ならサークル側に『ありがとう』と伝えたくなる。どんな立場であれ、前向きなエネルギーを交換し合えるんです」
「もちろん、同人誌を委託販売すれば、承認欲求は満たされます。売れれば売れるほど、実入りも大きくなる。でも私の場合、一方通行の働き掛けは求めていません。相互の交わりこそが重要です。コミケじゃないと、ダメなんですよ」
11月上旬時点で、国内のウイルス感染者数は、一時期と比べ抑制されつつあります。準備会も今年12月30~31日、約2年ぶりにコミケを開く方針を発表しました。男性は、既に出展の審査に応募しています。
「本当に開けるのか、疑問に思うサークル主さんも少なくありません。でも審査に通った場合、ぜひ参加に向けて準備したいです。無事に催されたら……会場で泣いてしまうかもしれません」。そう語る男性の両目には、光るものがありました。
言葉の端々に、二次創作とコミケへの愛情をたぎらせる男性。〝代行業〟を巡る一件について、伝えたいことはありますか――。改めて尋ねてみると、こう返ってきました。
「プレゼンに同席した審査側の大人、特に同人業界に詳しい方に、今回の件がコミケを壊す可能性を指摘してほしかった。営利目的で編まれるわけではない同人誌の位置づけ、そしてコミケの建前を危うくしかねなかったと思います」
「その上で、高校生たちには、大勢の人々がコミケを大切に思う気持ちにも目を向けてもらえたらと願います」
かくいう男性自身にとって、参加者への敬意を一層深めるきっかけとなった出来事があります。
コミケでは開催期間中、午前10時の開場前に、運営スタッフたちが各サークル席を巡回します。取り扱う同人誌などの内容が、準備会の規定に則っているか確認するためです。
男性は参加し始めたばかりの頃、その慣行が、まるで取り締まりの一環であるかのように感じられたといいます。しかし3年ほど前、会場でイメージが覆える体験をしました。
いつものように、男性のもとへと点検に来たスタッフ。しかしその場をなかなか離れず、机に並んだ冊子に、熱心に目を通していたのです。声をかけると「懐かしい漫画の同人誌で、つい読みふけってしまいました」と答えました。
「そうか。この人たちも、私を含む全ての参加者と同じ立場なんだな」。そのように思えた時、準備会が掲げる理念の意義が、より骨身にしみたといいます。
〝代行業〟を発案した高校生たちにも、同じ思いを持つ人々同士が、場を共有する楽しさを味わってもらえたら素敵だな……。男性は、そう考えています。
「人によって、コミケに求めることや、優先する要素は違います。でも、どうせ足を運ぶなら、交流を楽しむのも悪くない。より洗練されたビジネスのアイデアにもつながるのではないでしょうか」
「その場にいる人々の事情を踏まえた上で、会場を訪れてみると、それまでと違った景色が見えるはずです。いつか、私たちの仲間になってもらえたらいいな、と思います」
〝代行業〟の炎上事案に、筆者は衝撃を受けました。コミケという数日間の祝祭に向け、一心に準備してきた人々への敬意が、あまりに欠けていると思えたからです。
この催事を深く愛し、出展の経験を重ねる人々は何を感じたのか。中学時代から会場に通う、いちファンとして、直接尋ねてみたい。そう考えたことが取材の出発点です。
2年前の夏、筆者は売り子としてコミケに参加しました。当日、現場で感じたことについて、記事にもまとめています。
【関連記事】人はなぜコミケに行くのか? 売り子になって見えた「多様性の宝箱」
サークル席の内側から見える世界は、実に色彩豊かです。主宰者の友人や知人がひっきりなしにやって来て、談笑し、自作の同人誌を差し入れる。会場内を行き交う人々が、探し求めていた書籍を見つけ、パッと表情を明るくする――。
「同好の士」との慣用句がぴったりはまる、奇妙な縁でつながった参加者たち。その誰しもが生き生きとしていました。「好き」と思える物事を、他者と共有し、一緒に尊びたい。一人ひとりが、そんな感情を大切にしていたからこそでしょう。
今回話を聞いた男性が、採算度外視で参加を続ける点は象徴的です。準備会によると、7割方のサークルの収支は赤字。創作物の販売について、関係者間で「頒布」との表現が用いられることからも、利益を追求していないと分かります。
コミケとは、無償の愛を注げる対象を持つ人々同士が、互いを称え、祝福し合う場である。筆者は、そのように捉えました。いわば「幸せの循環」が成立する空間の価値について、より広く周知されるよう、心から祈っています。
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