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#10 #啓発ことばディクショナリー
「人財(じんざい)」はうさんくさい?辞書編集委員が語る意外な見解
批判も多いのに、生きながらえている理由
日常の様々な場面で、不思議な当て字を見かけることがあります。企業の採用情報を中心に、広く使われている言葉の一つが「人財(じんざい)」です。「人材」をもじったもので、「人を大切にする」との意味合いが込められている、と解釈されてきました。一方、無理やり前向きさを演出したような字面に、違和感を抱く人々も少なくありません。時に「うさんくさい」との評価を受けながら、世間に受け入れられ続けるのはなぜか? その起源を探ってきた記者が、辞書編集委員に尋ねてみました。(withnews編集部・神戸郁人)
人材派遣業者の手に成る、電車内の自社広告。大手小売りチェーンが、求人サイトに掲載した説明文……。民間企業から行政機関まで、特に働き手を募る場面で「人財」を活用する例は、枚挙にいとまがありません。さながら「バブル」といった様相です。
「材」ではなく、「財」をあてるようになったのはいつごろか? 気になった筆者は、背景を調べてみました。わかったのは、少なくとも、1960年代には普及していたこと。そして企業幹部を始め、労働者に影響力を持つ人々が、好んで用いてきたことです。
「人財」は働き手を雇う側にとって、強い〝魔力〟を持つ言葉です。それだけに「経営者本位で使われているのではないか」「どこかうさんくさい」などの批判にも、しばしばさらされています。そうした状況下、60年近くもの間、生きながらえてきました。
「一体、なぜだろう?」。そんな疑問が、夏休み終盤まで消化しそびれた宿題のごとく、ふとした瞬間に筆者の頭の中をよぎります。言葉のプロの意見は、参考になるかもしれない。そう考えて、「三省堂国語辞典」編集委員の日本語学者・飯間浩明さんに、話を聞くことにしました。
飯間さんは辞書編纂(へんさん)者として、日夜街頭に繰り出し、新語の収集に取り組んでいます。
「実は私も、街中で『人財』を見たことがあるんです」。インタビュー開始から間もなく、そう語りつつ、自らのツイッターアカウント(@IIMA_Hiroaki)の投稿を示しました。
添付された画像に写っているのは、飲食店の店頭に掲げられた黒板です。そこに書かれた文章を引用する形で、こんな風につづっています。
祖師谷の海鮮居酒屋に〈◆人財大募集〉と掲げてあった。「人材」の誤字では、と思ったけれど、実は、「人財」は「(材料でなく)財産である人」という意味でけっこう使われているようです。政府も使っている。もっとも、採用している辞書はまだ知りません。
――飯間浩明さんのツイッター(@IIMA_Hiroaki) 2012年6月18日投稿
祖師谷の海鮮居酒屋に〈◆人財大募集〉と掲げてあった。「人材」の誤字では、と思ったけれど、実は、「人財」は「(材料でなく)財産である人」という意味でけっこう使われているようです。政府も使っている。もっとも、採用している辞書はまだ知りません。 pic.twitter.com/boRJa6K4
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) June 18, 2012
「眺めているうちに『確かに、材料よりも財産として、働き手を捉える方が良さそうだ』と感じました」と飯間さん。同じような受け止めは、過去に発行された雑誌にも、掲載されていました。
1983年1月発行の「言語生活」(筑摩書房・1988年休刊)の投書欄には、化粧品会社の求人広告を見たという読者の声が紹介されています。文面にあった、「人財を求めます」との惹句(じゃっく)について振り返る内容です。
材も財も「たから」という基本義では一致するが、材の第一義は「丸太」だから、とかく材料・原料と意識されがち。それよりは「あなたはわが社の財産です、宝です」という訴えの方が説得力があるかも。
――「言語生活」1983年1月号
筆者も以前、雑誌などで「社員は財産」という表現を見かけました。実際、日本経済が上り調子だった高度成長期前後は、そのような趣旨で盛んに使われていたのです。
知識や情報が決定的な役割り(筆者註・原文ママ)をはたす70年代では、人間はもはや〝人材〟というより〝人財〟である。つまり、なにものにもかえがたい財宝というわけだ
――週刊ポスト 1970年6月号「一流企業と主要大学の71年度就職内定状況」
この例を思い出しながら、筆者は心の中で「なるほど」とうなずきました。ここまで紹介してきた記述には、「人財」の背景にある基本的な考え方が、含まれていると言えるかもしれません。
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