IT・科学
記者に届いた〝ニホンカワウソ〟出没情報 絶滅したはずなのに?
今も追い続ける人たちと考えた〝犠牲者の姿〟
ニホンカワウソはいるのか、いないのか。興味本意で取材を始めた記者は、ニホンカワウソがたどった悲しい運命を知り、自然環境そのものに対する意識が変わりました。自分たちの小さな行いが、やがて取り返しのつかない事態を招くかもしれない。絶滅したはずのニホンカワウソの姿を追い続ける人々の姿から、生き物たちが発する「メッセージ」について考えます。(朝日新聞記者・湯川うらら)
愛くるしい姿から人気の動物「カワウソ」。
日本の水族館や動物園では、主に東南アジアに生息するコツメカワウソ、韓国などに生息するユーラシアカワウソなどに会うことができます。
カワウソの一種「ニホンカワウソ」は、本州、四国、九州などに広く生息していました。かつて日本の水辺で普通に見られ、水中を変幻自在に泳ぐ姿などからかっぱのモデルになったという説もあります。しかし、水辺環境の変化や乱獲などで、明治時代ごろから次第に姿を消しました。
1970年代後半に高知県で撮影されたのが最後の目撃例とされ、生息を裏付ける確実な情報が確認されていません。環境省は2012年に「ニホンカワウソのような中型の哺乳類が、人目に付かないまま長期間生息し続けていることは考えにくい」として絶滅指定しました。
そんな、ニホンカワウソが今、再び話題に上っています。2020年に、高知県の有志が「ニホンカワウソとみられる映像を撮影した」と発表したのです。彼らは生存の可能性があるとして、明確な証拠を求めて調査を続けています。
記者が昨年まで働いていた高知県は、「カワウソ最後の生息地」として知られています。異動してからも「映像発見」について気がかりで、話を聞かせてもらうことにしました。
ニホンカワウソはイタチの仲間。尾も含めた全長は1メートル前後の大きさです。太くて丸い尾が特徴で、泳ぐときのバランスを取る役割があります。泳ぎが得意で、足には水かきがあり、毛並みはびっしり詰まっていて水をはじきます。
基本は水辺に単独で暮らします。夜行性で、暗くなってから川や海に入り、ウナギやアユ、エビなどを捕ります。陸地に戻ると、草地で体毛についた水をぬぐい落し、近くの陸地で休息します。
ニホンカワウソは、ユーラシアカワウソの亜種(北海道のニホンカワウソは別亜種)とされています。遺伝的特徴などから「独立種」とする意見もあります。
2012年に絶滅指定されて以降は、あまり話題に上らなくなったニホンカワウソですが、20年に高知県の有志が「映像を撮影した」と発表します。
高知県内の有志らの任意団体「Japan otter club」が大月町の海岸で撮影した映像の静止画です。茶色っぽい毛に覆われた動物が、水面に顔を出す姿が記録されています。「海で毛の生えた動物といったらアザラシだが、大きさが違った。顔を見たらカワウソという言葉がパッと浮かんだ」と振り返るのは、理事の大原信明さん(63)。
2016年夏、大月町の静かな海岸で釣りをしていた大原さんたちは、見慣れない生き物が海中から顔を出すのを見ました。首の毛が白いといった見た目の特徴、泳ぎ方などから、目の前の生き物はカワウソだと確信しました。
「ニホンカワウソが生存しているに違いない」と、調査を開始。4年間で104日間通い、うち6回はカワウソらしき生き物を目撃。17年には3回の動画撮影に成功します。さらに、20年5月には近くの小川周辺に設置した赤外線カメラで、カワウソらしき動物の姿をとらえました。
体長は1メートル前後とみられ、カワウソと間違えられるハクビシンとは、尾の形の特徴が異なるといいます。画像は不鮮明ですが、大原さんたちは「歩く時の腰の盛り上がりなどカワウソの特徴が見られる」と強調します。
共同理事の土井秀輝さん(58)は、父親が夜の川辺でアユ釣りをしている時に、何度もニホンカワウソに遭遇したという話を聞いていました。
土井さんは「父親が元気なうちに、カワウソのはっきりした動画や写真を見せてあげたい。最初は『映像を撮ったら有名になれるかも』とか思っていました。月日が経つにつれ、カワウソが一生懸命生きている姿に同情し、どうでもよくなりました。今後も観察を続け、出来るだけ多くのデータをこの世に残したい」。
現在は、目撃情報のある場所で撮影を試みたり、採取した毛やフンをDNA鑑定依頼に出したりして、ニホンカワウソ生存の確証をとるべく調査を続けています。地元の観光協会に設置した情報提供窓口には、これまで20件以上の目撃情報が寄せられているそうです。
実際にニホンカワウソを見たことがあるのが動物学者の今泉忠明さんです。「ざんねんないきもの事典」「ブラックないきもの図鑑」などの監修でも知られる今泉さん。かつて高知県で調査を行い、撮影に成功しました。
今泉さんが日本の山に住んでいる身近な動物たちのエピソードや自然のしくみを紹介する新著『あえるよ!山と森の動物たち』(朝日出版社)では、1974年に今泉さんが四国最南端の足摺岬(高知県土佐清水市)でニホンカワウソを撮影するまでのエピソードが紹介されています。
夜行性のカワウソを写真に収めるため、足摺岬に通い、毎晩徹夜でカメラを構えていた今泉さん。調査開始から2年目にようやく撮影に成功しました。
大原さんたちが撮影した写真についても、同書で「あれは間違いなくカワウソ」と記しています。
今泉さんは「1970年代に自分もその近くを調査したこと、明け方らしき光景であることが理由です。ニホンカワウソは夕方遅くから活動し始め、明け方にその日の泊り場に帰ってきますから」と説明します。
「カワウソは鼻の裸出している部分の形で、ある程度分類できます。正面からの鮮明な写真を手に入れたいものですね」と話し、新たな調査結果を期待しています。
もし、ニホンカワウソの生存の確証が得られた場合は、どうすればよいでしょうか。
今泉さんは「国が保護区の指定をして守りながら、調査をしていく必要があります。私は、絶滅指定は時期尚早だったと思っていますが、国は一度絶滅と言ってしまった手前、なかなか動きづらいでしょうね。それに、漁網を撤去しなければならないなどの地元住民への影響もあるので、簡単ではないでしょう」と話しました。
身近な動物だったニホンカワウソが、「絶滅」まで至った原因は、乱獲や水辺環境の変化だと言われています。明治時代以降、質の良い毛皮、結核の特効薬といわれた肝臓を目的に狩猟が進み、数が激減します。昭和の始めに捕獲禁止となりましたが、密漁は続きました。
乱獲で減ったニホンカワウソに追い打ちをかけたのが、河川環境の変化です。
戦後は、海岸道路の建設や川の護岸工事により、カワウソが姿を隠す岩場などが減少。農薬や家庭排水によって川が汚れ、エサの魚が減りました。漁網がかみ切れないナイロン製になったことで、カワウソが絡まって死んでしまうこともありました。1964年に、ニホンカワウソは国の天然記念物、翌年には特別天然記念物となりました。
ニホンカワウソの最後の生息地だった四国では、一部で調査や保護活動が行われました。1979年に、高知県須崎市の新荘川に住むカワウソが目撃され、メディアやアマチュアカメラマンらが押し寄せ「カワウソフィーバー」となります。ニホンカワウソに対する全国的な関心が集まりましたが、具体的な保護策は取られませんでした。1990年ごろに環境庁が調査を開始しましたが、手遅れでした。
今泉さんは、「日本中の海岸が駄目になる。じりじりと駄目になって汚れていく。ニホンカワウソの絶滅は、その指標、警告です。もともと居たものがいなくなるというのは、大変なことなんです」と警鐘を鳴らします。
「『絶滅なんて人間に関係ないでしょ』と言う人がいるけれど、違うのです。『絶滅したら、終わり』と、原因を探ろうとしなければ、やがてしっぺ返しが来ます。自然を壊すと、色々な未知の問題が起きてくる。少しずつ壊れて、人間のほうに入ってきている。これは、長い目で客観的に見ないとわかってこないものです」
今泉さんは人類に猛威を振るう感染症についても言及します。「新型コロナウイルスの感染拡大も、その一つかもしれません。例えば、原生林の奥には、私たちが知らない色々な病気が潜んでいます。それを『開発、開発』とやると、いつか大変なことになる。小さく、バラバラなことに思えるけど、何かに関連しているのです。自然の場所と人間の住む場所をはっきり区別するというスタンスが大事です」
生存を絶望視する声が大半を占め、年々話題に上らなくなるなかでも、ニホンカワウソの痕跡を探し続ける人たち。取材した彼らは、「熱狂的な愛好家」ではありませんでした。「生き物の命を軽く見ていた。その犠牲者がニホンカワウソ」「当時の行いを反省することが、人間が生き残るために必要なことだ」。真剣なまなざしで語る彼らの原動力は、地元の自然全体を愛し、未来に残したいという思いでした。
今泉さんの言葉が印象に残っています。
「カワウソが好きで調査活動をやっていると思われているけれど、もちろん好きですが、心の根底に『もっと自然を守ろうよ』という思いがある。騒ぐのは良くない、かき立てるのは良くないと思うかも知れないけど、やらないと世論も動かない。素朴な思いを大切にしなければいけませんね」
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