連載
「息子とデート」「人財=じんざい」言葉に重なる〝まやかしの感動〟
気をつけたい「無意識の支配」の怖さ
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気をつけたい「無意識の支配」の怖さ
「母親と息子のデート」をうたう宿泊プランを企画した、リゾート施設の経営企業が、今年の春、ネット上で「炎上」しました。プランの見せ方に「親を喜ばせるため、子どもを使うな」「不適切な表現がある」などの批判が集まったのです。言葉によって〝感動〟を演出することで、他者を無意識に支配する。よく似た構造を持つのが、主に企業の経営者たちが発する、「人財(人材)」「志事(仕事)」といった造語です。一見、ポジティブな響きを伴う語句が、周囲の人々との関係性を歪(ゆが)めてしまう。そんな言葉を使うことの、怖さと難しさについて考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
「人財(人材)」「輝業(企業・起業)」……。ちまたで、そのような言い換え語を見かけることはないでしょうか。筆者は、これらの単語を「啓発ことば」と総称し、成り立ちを探ってきました。
「啓発ことば」の性質を分析すると、主として次の3点に集約することができます。
①単語の一部をもじることで、前向きさを演出する
→「顔晴る=晴れ晴れと笑い、明るく困難に立ち向かうイメージを強化
②労働に「賃金を稼ぐ」こと以上の価値がある、との印象を強める
例:「仕事」→「志事」:職務への高い意欲をやりがいをもって、生き生き働く、とのイメージを伴う
③相手に対し、自分の意図に応じるよう、暗に求める
親側は、子どもを「自分を喜ばせるための道具」にしないように注意していかなければいけないし、ましてやサービス提供者が「子どもを親を喜ばせるために使う」ことを後押ししてはいけないと思います。
子どもとの旅行を「デート」と表現することについて、「ネタ」と受け取る人々は少なくありません。しかし現状を放置することによって、冗談めかした行動が、親子関係に悪影響を与えかねない――。中野さんは、そんな懸念も表明しました。
一方で別の識者からは、息子を理想のパートナーと捉える風潮の裏に、母親の所有欲や、「子どもは親に感謝すべき」といった観念があるのではないか、との指摘がなされています。
その意味で、今回の騒動は、親が子どもを無意識にコントロールしようとする危うさが浮かび上がったケースである、と総括できるかもしれません。
そして「感動」による他者の支配という点で、「人財」にまつわる現象と、「息子とデート」案件は、通底する部分があると感じます。
「息子とデート」騒動の報道をめぐっては、「様々な困難が伴う子育ての糧に、『デート』という言葉を位置づけている」という趣旨の感想も、読者から上がりました。
母親たちが、育児の苦労を乗り越えるため、一服の清涼剤として、子どもとの親密さを表す言葉を用いる。そのこと自体は、決して否定されるべきものではありません。
また、それぞれの家族の事情によって言葉の受け止め方は変わりますし、「そんなにめくじらを立てなくても」という声に説得力があるのも事実です。ただ、こうした「擁護派」の視点においても、「人財」を用いる経営者の事情につながる要素が見て取れます。
産業構造の変化や、競合他社の存在など、企業を取り巻く環境は過酷です。生き残る上で、社員の組織や業務に対する愛着を高め、競争力を育てなければなりません。そのため、日々の業務に、ポジティブな価値を付け加える必要がある、とも言えます。
もちろん、会社が成長するメリットは、社員にとっても大きいでしょう。ただ「人財」や「感動」という言葉には、労働を特別視する空気を生み出す面があります。
結果として、仮に働き方などに問題が生じたとしても、異議を申し立てにくくさせる恐れが否定できないのです。その意味で、本当に働き手のために使われているか、慎重に吟味することが求められます。
このように、「人財」と「息子とデート」のいずれの事例も、意図せず他者の尊厳を傷つけかねない、との構図が共通しています。その根本に、言葉遣いによって、人間関係を都合良く解釈し直す姿勢があったかもしれないことは、心に留めておくべきではないでしょうか。
言葉には、現実の暮らしを変えてしまう力があります。扱い方次第で、困難な環境を生きる助けにも、私たちの暮らしを脅かす「呪い」にもなるのです。
このことを胸に刻む大切さを、いま、改めて実感しています。
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